小ネタの雑感

誰かコメントに入れるかなと思っていたら、きっちりBugsy様に入れられてしまいましたが、今日の小ネタは8/24付のNHKオンラインからです。

医師不足が深刻となるなかで、文部科学省は、大学病院を中心とした医師の養成システムを整備するため、臨床研修の際に大学病院から地方の拠点病院に派遣される医師の旅費や滞在費などおよそ100億円を来年度予算の概算要求に盛り込むほか、大学病院に勤務する医師の処遇の改善を求めていくことになりました。

今日リンク元を確認しようとしたら消えていましたので、えらく早いネット上からの消滅ぶりにまず感心しました。そんな事に感心していても話は進まないので、この短い記事の要点です。

    医局機能復旧のために100億円の概算要求を文部科学省が行なった
医療に文部科学省がなぜ出てくるのか首を傾げる人がいるかもしれませんので、簡単に補足しておきますと、医師や病院の大元締めは厚生労働省ですが、大学医学部は文部科学省管轄なのです。従来の医局人事の元締めである医局を管轄していたのは厚生労働省ではなく、文部科学省である事は間違いありません。

少しだけ複雑な関係なのですが、従来のほとんどの病院の医師人事は、大学の講座(医局)が取り仕切っていました。俗に言う医局人事で、教授の指示により医局に属する医師は「あっちに行け」「こっちに変われ」と問答無用に動かされていたとイメージしてもらえば大きな間違いではありません。この医局の管轄は厚生労働省ではなく、文部科学省であると言う事です。当然ことながら医局は大学の医学部の一講座であるからです。

医局人事が全盛期には日本中の津々浦々まで及んでいた事は有名です。その影響範囲は今で言う僻地病院まで及んでいました。強権的な面でのデメリットの指摘はテンコモリありますが、僻地医療の維持という面から見ると、請け負った病院は基本的に義理堅く維持していた面は評価されても良いかと思います。

一方で医療全般を統括している厚生労働省は、勤務医の人事権を手許に置くことが悲願であったと伝えられます。ところが手許に置くにも大学医局はどう足掻いても文部科学省管轄であり、直接手が出しにくいところに存在しています。また旧厚生省時代も含めて、日医が強力であった時代にはその対応に精一杯で、大学医局から勤務医の人事権を奪還する余力はなかったと見ています。

ところが武見元会長が退陣後、日医の力は急速に落ち込み、余力のできた厚生労働省は医局から勤務医の人事権奪還に動いたと考えます。医局批判のキャンペインは断続的に行なわれました。すべてが厚生労働省の策謀とは思っていませんが、密かな助長は行なったと考えますし、少なくとも火消しに走って医局人事温存の方向には動かなかった事だけは確かです。

医局人事に対する勤務医の思いも複雑で、間違っても勤務医全員が全面支持の体制ではありません。むしろ「旧弊をぶち壊せ」の意見が、相当の比率で活発に存在していたと言えます。ですから初期の医局批判には勤務医も消極的には賛成で、教授の人事権が適当に落ちて医局の風通しが良くなった事を歓迎しているところも少なくなかったと見ています。

今から思えば、医局人事の民主化が緩やかに進行していく路線であれば、医療崩壊はこんなに急速に進まなかったと考えています。ところが厚生労働省の目標は医局の民主化ではなく、医局人事の消滅にあったのです。医局の弱体化を見極めた厚生労働省は、結果としてトドメをさすことになる新研修医制度を導入します。

おそらく医局消滅派の主要メンバーの一人であったと考えられる、信州大医学部長、全国医学部長病院長会議会長であり地域支援中央会議に医学部を代表して委員となっている大橋俊夫氏はこう新聞に公表しています。

    (新研修医)制度導入の狙いは、いわゆる「講座制」をつぶすことだが、日本の医療が崩壊しそうになってしまった。
新研修医制度導入のときには、専門に閉じこもらず、広くプライマリ・ケアの能力を医師につけさせる云々が喧伝されました。そのためには従来の講座制では実施不可能のため、新研修医制度が必要と言う主張でした。物事には本音と建前があり、またこの二つは分離したものでなく、時に一体化します。建前の主張には本音の部分も多々含まれているでしょうが、建前とはまったく別に医局の消滅を本音で狙っていた事を恥ずかしげもなく開陳しています。

厚生労働省にどこまでの計算があったかはわかりませんが、医局衰退のためには経済諮問会議の主張にもある程度同調しています。経済諮問会議が目指す世界を今日のエントリーでは詳しく書きませんが、ウカウカ乗れば厚生労働省の貴重な利権である皆保険制度、年金制度まで脅かされる劇薬ですが、当面の大目標である勤務医の人事権の掌握のために力を借りたと解釈できる面もあります。

新研修医制度のために計算通り医局は一遍に衰弱しました。これは医師が予想しているよりも遥かに衰弱してしまいました。私も危惧はしていましたが、ここまで落ちるとはさすがに予想できなかったものです。ここまでは厚生労働省の計算通りだったと見ています。

厚生労働省は、これまで病院への就職の斡旋のほぼすべてを医局が担ってきたので、医局が衰退すれば就職に困った医師が悲鳴をあげるだろうの心積もりであったように思います。また医局に医師の供給を全面依存していた病院も、他に医師斡旋ルートがあるわけでないので、これも悲鳴をあげて泣きついてくるだろう。医師も病院も悲鳴をあげたところで、厚生労働省が新たな医師人事制度を打ち出せば自然に飛びついてきて、勤務医の人事を掌握できる計算であったかと考えています。

しかし展開は厚生労働省の予想を超えたかと思います。医局人事が衰退(医局に属する医師が物理的に減れば)すれば、守備範囲を狭めます。狭められるのは僻地、続いて地方です。ここ2年ほどで僻地医療は論外に、地方医療も深刻になったのは、医局からしか医師供給ルートを持たない病院の悲鳴です。このあたりは厚生労働省の計算の内だったと思いますが、もう一方の医師からは悲鳴が上がらなかったのです。

この悲鳴を勘違いしてもらっては困るのですが、現場の過酷な現状への悲鳴は十分過ぎるほど上がっていますが、厚生労働省が期待した「就職先に困る」という悲鳴はほぼ皆無だったのです。医局人事衰退による人員減少、それに伴う労働環境の極度の悪化に耐えかねた医師たちは、「自分で」新たな就職先を見つけて逃散してしまったのです。

それでも厚生労働省の見解は「医師は足りている、偏在しているだけ」ですから、医師が自分で見つけている逃散先が間もなく満杯になり、悲鳴が上がるのを待っていたとも考えますが、一向にあがりません。一方で櫛の歯を引くように逃散は五月雨式に続き、僻地から地方、一部大都市圏でも病院の悲鳴はますます強まります。

厚生労働省の机上の計算では「緩やかに余剰に向かっている」医師数ですから、エエ加減、医師からの悲鳴が上がると待っていても全然出てきません。呼び水としてドクター・バンクや女医バンクを作っては見ますが、どことも殆んど機能していません。そうするうちに僻地、地方は悲鳴を越えて医療ごと崩壊の危機に瀕し、これは中都市クラスの中堅病院でもどんどん深刻化します。

そして参議院選挙です。選挙の争点は年金でした。年金は確かに大きな問題でしたが、与党大敗の主因である一人区の敗因に医療危機の影響が確実にあったとされています。投票率の高い高齢者にとって、地方ではもう直接「痛い」問題になっていたからです。そういう有権者にとって、「美しい国」は空疎に響き、「戦後レジュームの脱却」も別世界のお話です。そんなものより安心できる医療を持って来いの本音の炸裂です。

ちょっと脱線しますが、年金問題も同じです。首相の認識としては、自分に関係の無いところでできた、路傍の石につまづいた程度であったかもしれません。だから「1年で収拾する」と大見得を切っておけば片付く問題であり、それよりも国家の姿勢としての大問題である「憲法改正」とか「教育再生」で理解が得られると考えていたようです。しかし誰が石を作ろうが転んで痛いのは有権者であり、高邁な事を考える前に、直接の痛みを取り除いてくれないと共鳴出来無いと言う事です。

かくして参議院選挙は自民党の歴史的大敗に終わりました。前首相が郵政選挙で歴史的大勝を獲得したのと裏返しの結果です。この選挙による政治の枠組みの変化は、衆議院で2/3を握っている与党でも深刻な影響が出ます。参議院選挙前に次々と重要法案を強行採決で通してしまう荒技は、少なくとも3年間は封じ込められます。さらなる荒技である、参議院否決法案を、衆議院の2/3で再可決する手法も、その濫用は政権の寿命を確実に削ります。

長い、長い、前置きでしたが、文部科学省の大学医局強化の政策提示は、押されっぱなしの文部科学省の反撃の狼煙と見ています。文部科学省も医局人事を手放す事は利権の縮小につながりますし、厚生労働省に自らのテリトリーを荒らされた不快感はあるはずです。世論が医局解体に煽られているうちは手出しが出来なかったと考えていますが、医療危機による医師不足が世論化してくれば、それの救済策として医局のテコ入れに理解が得られると判断したかと考えます。

ですから今回の文部科学省の提案は、厚生労働省と協調の上なんてものではなく、独自のものと考えるのが自然です。官庁同士が協調するなんてことは、余程の手腕をもった首相で無い限り不可能です。官僚も前首相時代からかなり押さえ込まれていましたので、選挙の結果、政治による支配力が緩めば再び頭をもたげてくるは当然の結果です。

現政権が前政権から受け継いでいる新自由主義路線ですが、選挙の結果、強烈なタガがはめられた状態になっています。強行採決さえすれば、何でも思いのままの時代は終わりました。774氏様がコメントで「先が読みにくくなった」は私も同感です。今でも焼野原路線が既定とは考えていますが、これから強まる医療への不満が政治課題となるとき、どういう風に医療政策が揺れ動くかを予想するのは難しい問題です。

以上、小ネタ記事から浮かんだ雑感です。