謹賀新年

明けましておめでとうございます。今日が今年のブログ開きです。新春を寿はぐに相応しい話題と言う事で、去年の積み残しの藤山奉行の判決文に絡もうかと思いましたが、新年早々縁起が悪そうなので後日にします。やはり新春らしく今年の予想あたりを並べるのが正月らしくて良さそうなので、まずはそのあたりで。

医療に関しての注目は春でしょう。地方僻地だけではなくそこそこの都市部でも医師の分配供給は医局が担ってきました。ところが新研修医制度が4年目を迎えるに当たり、医局からの分配供給は見る見るうちにやせ細っています。理由は単純明快で、新研修医制度でまず2年間医局への新しい医師の供給が途絶えています。去年新制度の後期研修1期生が誕生しましたが、彼らも情報収集は怠り無く、医局不人気と、激務科不人気は鮮明となって現れています。この傾向は新制度後期研修2期生となっても強まりこそすれ、衰える徴候はありません。激務科不人気といっても今さらの小児科や産科、救急はともかく、去年から判明しているメジャー科不人気は聞けば聞くほど怖気を振るうほどのものです。

新研修医制度で新入医局員が2年間途絶し、さらに後期研修になって去年、今年と不作が続けばどうなるか。ここの理解が一般の方には難しいようですが、医局員は確実に目減りしているのです。定年退職、新規開業と抜ける数は確実にいます。下仕事を引き受けていた研修医が新制度でいなくなったのですから、その分の仕事は残存スタッフにすべて皺寄せされます。簡単に言えば仕事の量が増えたという事です。仕事は増える代わりに同僚のスタッフは櫛の歯が抜けるように減っていき、さらに負担がかかります。補充を求めてもいませんから、負担のかかった残存スタッフの逃散傾向に拍車がかかるのみの状態です。

新研修医制度から4年で、本当に医局の人事力は衰退しています。衰退とは単純に医局員の減少であり大学からの派遣医の減少です。派遣医の減少も初期のうちはある程度公平に減らしていました。ただ4年も不作が続くと公平に減らす事さえ不可能な状態に陥っています。病院から診療科ごと総撤収の徴候が出てきています。去年はそういう徴候が一部に噴き出していました。今年はそれがもっと明瞭に広範囲に出現すると考えます。それが春ではないかと予想されています。

春になぜ起こるかといいますと、慣例として医師の人事は春異動なんです。かつては6月人事でしたが、国家試験の発表が繰り上がっていますから今はもっと早いんじゃないかと思います。とにかく春に医局関連の病院は大きな人事異動があります。

春への人事異動の胎動は不気味な地鳴りのように聞こえます。当ブログの人気レギュラーコメンターである774氏様もしゃれ頭様もおそらくのじぎく県の勤務医であろうと考えています。お二人のコメントは時に脱線して暴走しますが、来春人事の内部事情を窺わせてくれるものも多数含まれています。それを読む限り、一旦内定しかけた春人事が再び迷走し始めている気配を感じます。

あくまでも憶測ですが、しゃれ頭様が祝杯を挙げた時点の内定では、小幅の異動で危機がいよいよ深刻になる程度であったような気がします。苦しいところはより苦しくなり、孤立無援状態のところがより増える異動です。ところが内定からなんらかの因子が加わって、異動全体を見直さなければならないように変わっている気配があります。

因子とは何かですが、憶測の上に憶測を加えることになりますが、

  1. 医局員の減少が加速した。分かりやすく言えば開業数がさらに増えた可能性があります。
  2. 内定人事に反旗を翻すものが増えた。とくに地方僻地からの異動を見送られた医師の反旗は考えられます。
上の二つは連動しているところがありますが、歯を食いしばって耐えている地方僻地病院の派遣医の願いは二つで「増援をよこせ」か「都会に返せ」だと考えます。このうち手駒が乏しくなっている医局には増援を送る余力は失われています。増援は出来ないので地方僻地の派遣医には泣いてもらって変化を待とうというのが基本戦略のような気がします。

「泣いてくれ」の要請に地方僻地の派遣医から異論が出ることは容易に予想がつきます。「せめて入れ替えてくれ」の悲鳴が出ても不思議はありません。ここを強行すればまた医局員が逃散してしまう可能性がでてきます。そこで入れ替えを内々に打診した可能性があります。ところが打診された方も「そうでっか」とホイホイ出かけるほど無知ではありません。そこがこじれれば「じゃあ、医局は辞める」につながります。そうやってこじれた医師がある数になると、来春人事構想は修正を余儀なくされます。修正の方向性がどこに向かうかが注目です。

医局人事が華やかなりし頃には、増え続ける医局員の勤務先を確保するためにドンドンと派遣病院の数を増やしていました。現在は真冬の状態で、目減りした医局員の数で華やかな時代の派遣病院数を維持する事が、物理的に無理な時代になっています。その臨界点が今春に出てくる可能性を考えます。

医局の大幅な戦線縮小の可能性です。数がいないのですから身の丈にあった派遣病院数に絞りこむ大きな戦略変更です。今時の流行語で言えば「集約化」です。それをドラステックに行なうか、小出しにするかの戦術を練り直しているような気がします。去年の内定段階では現状維持から小出しに集約化の構想であったような気がしますが、情勢の変化でドラスティックに行なうかどうかの検討を重ねているように思います。

もっとも劇的な変化では、地方僻地の病院は原則として総撤収とします。その上でどこか一つに中核病院を選定し、そこに残る戦力を結集させると考えます。ただし選定される中核病院は医局の意向を積極的に受け入れてくれるところのみで、そういう病院がその地方に無かったならあっさり総撤収にするかもしれません。そういう条件に適う病院、適う地域がどれほどあるかはわかりません。

見捨てられた地方僻地病院はどうなるか。なんのかんのと言っても地方僻地病院は医局以外に有効な医師供給ルートを持ちません。なんとかその地方に中核病院が存在すればサテライト診療所として生き残れるかもしれません。中核病院が存在しなければ独自路線となりますが最悪閉院です。

そこまで一遍に進むかどうかはわかりませんが、それに近い悲劇が地域によっては深刻に展開されても不思議はありません。もちろんのじぎく県だけではなく他の府県でもいつでも起こりうることです。またそうなっても国も県も助けてくれません。国策である集約化が進むのですから「痛み」として耐える事をキャンペインとして嬉々として行ないそうな気がします。

正月早々、暗い話で申し訳ありません。もう少し明るい話にするつもりだったのですが、書き出すと陰に籠ってしまってゴメンナサイ。しかし前政権がキャッチフレーズにした「痛みに耐える」とは、しばらく耐え忍んでやがて良くなる事を待つと当時は考えていましたが、ここまで来るとかなりニュアンスが違う事がよく分かりました。「耐える」とは永遠に耐えることで、耐えているうちに痛みを感じなくなるまで耐える事だと言う事です。そうやって痛みが感じなくなれば痛みは痛みで無くなり、さらなる痛みにまた耐える事が出来るということでしょう。

医療の集約化は言葉は美しいですが、簡単に言えば統廃合であり、病院が残った地域は充実した医療を享受できるかもしれませんが、潰された方は不便なだけです。その不便さも痛みとして耐えるうちにそのうち忘れるというのが国の基本政策です。格差社会も前時代の一億総中流化の記憶が残っているうちは辛いかもしれませんが、痛みに耐えているうちにやがてそれは忘れ去られて、格差はあって当たり前と誰しも受け入れてくれるのかもしれません。

こんな暗い予想が当たらない事を祈ります。そこまで日本人が無邪気でない事を信じつつ・・・