ストロー現象と故郷への想い

何度か書いていますが、私の故郷も寂れゆく街です。これでも故郷には愛着がありますから、「なんとかならんか」ぐらいは常に思っています。なんともならないから現状がありますし、町医者が素人考えしたところでどうにもならないのですが、それでも思ってしまうのが故郷です。似たような思いの方は少なくないと思っています。ここでストロー現象なる言葉があります。wikipediaから、

交通網が整備されると、交通基盤の「口」に当たる市町村・地域に経済活動が集中し、「コップ」に当たる市町村・地域の経済活動が逆に衰える現象である。特に長く細い(=1本の)通り道だけで大量の移動が起き、途中の中継地に移動に伴う経済効果がほとんどないのを特徴とする。

交通の利便性の悪さや所要時間の長さ、運賃の高さなどによる制約は、通勤・通学・買い物など日常行為には強く働くが、旅行などの非日常行為にとってはそれほどの重要性はない。このため、高速交通網などが整備され制約から開放されると、地元住民はより魅力的な商品や品揃えを求め、より多く良い仕事を求め、より良い学校に通学するため域外に出る。その一方、域内への流入はほとんど増えず、観光客についてもほとんど変わらないばかりか、むしろ滞在する必要性が薄くなることから宿泊や食事などの減少を招くことになり、客単価が低下する面がある。これらのため、より大都市へと購買力などが集中し、田舎側の地方都市は衰退することがほとんどである。

ではでは道路建設(交通網の整備)が無条件で悪かったかと言われるとそうとは言えない気がします。古くから交通の発達は産業の発展を促していたのも事実です。ある産地があり、交通不便のために良質の産品が運び出せなかったのが、道路整備により地場産業が発展した例はかつては「きっと」あったはずです。昔から交易路のポイントの町は交通の要衝として栄えていたはずです。

交通の要衝の町が衰えたのは、輸送手段の発達により、その町に立ち止まる必要がなくなったである程度説明可能です。輸送は速度がメリットになりますから、かつては要衝の町に必然的に立ち止まる要があったのが、なくなれば衰えざるをえなくなるみたいな関係です。では流出はどうなんでしょうか。これもごく簡単には、

    田舎 vs 都市
これの魅力関係で良く説明されます。この構図は確かにあり、今も続いているのですが、いくら都市と言えども昔から巨大な吸収力があったとは思いにくいところがあります。吸収力とはある意味「雇用」としても良いかもしれません。19世紀以前にも都市問題は発生していましたが、それは都市に大量に流入した人口の雇用先が十分に無くスラム化した点だったと思っています。現代のストロー現象とはチト違う気がしています。

かつても交通網の整備によりそれなりのストロー現象は起こったとは思いますが、日本であっても40年ぐらい前までは都市に対する地方は存在しえたと記憶しています。これは怪しい記憶ですが、昭和40年代の社会問題として「過疎と過密」が掲げられていたはずです。これも今から思えば象徴的と言うかなんと言うかですが、

    過疎・・・地方からの人口流出による問題
    過密・・・都市部への人口集中の問題
地方の人口が減少して問題になるのは今と似ていますが、同時に都市部の人口増大も並列して問題視されていたとも解釈できます。都市部もまたあんまり人口が集まってもらうと困るみたいな感じでしょうか。つまり都市のキャパシティも限界があった事を示していたんじゃないかと思っています。地方と都市は綱引きをしていたと見ても良いと考えます。都市部の魅力が基本的に強いのは昔も同じかもしれませんが、一方で現実として吸う力も限界があったぐらいの考え方です。

現在も地方の過疎問題は続いているどころかより深刻化していますが、都市部の過密問題はあんまり聴かれなくなりました。これが都市部の吸う力が飛躍的に大きくなったんじゃないかです。その理由が重要なような気がします。地方と都市部の綱引きは2つの側面があり、

  1. 過密の解消:都市が地方の雇用を受け入れる力が増大した(吸引力の増大)
  2. 過疎の悪化:地方が雇用で支える力が減少した(吸引抵抗力の低下)
この2つが同時進行で起こった結果とするのが自然でしょう。そんなものは誰でも判るところですが、やはり基本は産業構造の変化とぐらいしか言い様がありません。えらく平凡な結論ですが、古典的な第一次〜第三次産業の人口比率の変化です。総務省産業(3部門)別就業者数の推移(1950年〜2005年)産業(3部門)別就業者の割合の推移(1950年〜2005年)からですが、
現在では第三次産業はさらに細分化され、第六次産業なんて言葉も見たことがありますが、とにもかくにも第一次・第2次産業従事者の比率がドンドコ減少しているのが確認できます。地方の視点(うちの故郷的に)からみると、これは地方の雇用(吸収力)とも一致しますが、第一次・第二次産業従事者は基本的に地方から離れられません。同時に雇用であり、人口流出を食い止める防波堤みたいなものです。ここの人口が一定以上いれば、必然的に第三次産業も規模に合わせて存在し、そこの雇用も発生するわけです。ここで第一次産業第二次産業従事者が減少すれば、それに伴う第三次産業従事者も減少するわけです。

第一次・第二次産業従事者の急激な減少が一世代とか二世代単位の時間で起これば、後の世代の子弟を雇用して地方に留める力が失われ、吸う力の増大した都市にドンドン吸いとられる関係になります。

一方で第三次産業(もしくはそれ以降の産業)は人口密集地であるほど効率が良く、さらに発展する特性があると見ても良いと考えます。人が集まれば集まるほど第三次以降の産業は栄え、そこに巨大な雇用がさらに生れる関係です。地方の雇用が衰え、都市部の雇用が増大した状態で交通網の整備がなされれば、地方は都市からの大きな吸引力にさらされ、ストロー現象が著明になるぐらいの考え方です。

まあ、そこまでになれば交通網(ストロー)の有無はあんまり関係なくなっているかもしれません。



さてと、故郷を考えるとシビアです。故郷にも農業はあります。農業も高齢化の問題はありますが、そこに大昔のような雇用吸収力はありません。同じ面積に働く人手を増やしたところで、生産効率が上がるわけではないと言った所です。これはこれからもそうだとしか言い様がありません。農業面積の飛躍的拡大は不可能であり、当然のように雇用の拡大は望めないです。

地場産業もまたどうしようもない状態です。古くから大工道具の名産地として知られ、今でもプロを唸らせる逸品は作られてはいます。ただし生き残っているのは基本的に高級品分野だけであり、中級品以下の地場産業は壊滅的な状態です。理由もわかっており、電動工具の流れに乗り遅れた、もしくは乗れなかったです。地場産業としての雇用を支えていたのは高級品ではなく大量生産の中級品以下であったです。

高級品は単価はともかく少量生産であり、少量生産に見合う雇用しか発生させません。高級品の市場は狭く、ここに大量の人間を投入して大量生産を行なう選択枝もありません。つまり雇用の増大は期待しようもないところです。

第一次・第二次産業従事者が減少しさらに、これからも雇用が増えるアテもないとなれば、必然的に第三次産業は縮小します。地域経済のためにカネを持ち込む人も、それを使う人も減れば、これを相手に商売する規模も縮小せざるを得なくなります。どこを見ても八方塞がりで、地元の人間の流出を食い止める雇用吸収力がなければ「寂れゆく街」にならざるを得なくなるです。


政治としてはこういう現状があった上で、なんとかならないかを考えるわけですから、そりゃ難問です。もう少し言えば、少子高齢化自治体財政を確実に圧迫します。地方で一番カネを持っているのはある意味役所ですが、役所自体も財政赤字で青息吐息状態で、こういう現状を打開するような施策をやれないも付いて回ります。まあ、かつて派手にやりまくったのが夕張ですが、そんな元気もないというところでしょうか。

それと地方分権は最近の政治テーマではありますが、地方に行くほど人材は乏しくなるのも現実です。地方分権は、地方に財源が与えられた時にこれを有効利用できる人材がいてこそのものです。中央集権が良いとは言いませんが、地方分権のミクロで見ての活用できる人材はそんなにいるのだろうかです。うちの故郷の市長は毀誉褒貶はあるにしろ地方にすれば「まあまあ」程度じゃないかと思っていますが、その程度ではニッチもサッチも行かないと思っています。


今日のお話は某所で道路建設ストロー現象の話題があり、「だったらどうしたら?」の問に私なりに一生懸命考えたものですが、私程度ではありきたりの答えしか出ないのに自分でガッカリしています。どんな状況でも夢を語れる政治家には全然向いていないのだけは確かの様です。