みわよしこ氏のレポート

レポート その1

のぢぎく県の小野市で生活保護者のギャンブル禁止条例が施行されたのニュースがありました。まあ、賛否両論だったと記憶していますが、みわ氏は批判的な姿勢である事は確認できます。3/22付ダイモンド・オンラインより、

ここで誤解して欲しくないのですが、みわ氏が条例に反対されている事自体は問題と思っていません。賛否が分かれる議論の単なる否定側の意見の一つに過ぎないからです。上の記事は小野市役所への電話取材のレポートが主体ですが、幾つか興味ある事実がわかります。
  1. 小野市の生活保護世帯は130世帯である
  2. 130世帯に対してケースワーカーが常勤で3人配置されている(標準は80世帯に1人)
  3. 130世帯のうちとくに問題とされたのが7世帯である
この7世帯はかなり手強いようで、生活保護費を受け取るとたちまちギャンブルに費消してしまう状況のようです。そのために月割りでなく、日割りで支給してもやはり同様の状態であるともなっています。そういう状況は昨日今日に始まった事でないとするのが妥当です。素朴な疑問として、支給された生活保護費をギャンブルで費消した後はどうやって食べているのかの疑問は出てきます。

もちろん理由はわからないのですが、あえて考えれば日割りにしているので食べられているのかもしれません。毎日支給されるのですから、支給されたらとりあえずメシを食ってからギャンブルに励まれたぐらいの観測です。ギャンブルの前に腹ごしらえをされても不思議は無いと言ったところです。そうかどうかは不明ですが、この生活保護費がギャンブルに費消され食べられなくなる問題に対する小野市職員とみわ氏の見解の相違が興味深いところでした、

    小野市:金に困って犯罪に走られる危険がある
    みわ氏:それでも飢え死にしていないから「なんとかなっている」と見るべきだ
みわ氏の視点は本当に興味深く、ギャンブルにそれだけのめり込むのは精神障害とか認知症の影響はどうだろうと投げかけています。とくに精神障害なら浪費と言う依存症状が現れる事もあるとしています。言いたい事は判らないでもありませんが、問題は「だからどうする」です。みわ氏の主張を引用しておくと、

  • 犯罪を推奨するつもりはないが、犯罪に走り、逮捕され、裁判を受けて受刑することが回復へのステップとなる場合もある。筆者が直接知っている、連続飲酒状態から回復したアルコール依存症者のうち何人かは、刑務所を経験している。
  • 「放っておくしかないです。依存症だったら、本人が行くところまで行って、回復の必要を感じるまで待って、治療につながるしかありません」

ドライに言えばそうかもしれませんが、そこまでなるまで放置したら今度は市役所がバッシングを受けます。その旨を小野市職員も主張していますが、みわ氏は、

「マスメディアもいろいろです。私は、依存症だから不幸にしてときどき起こってしまう種類のことと、行政に責任あることは区別する立場です」

みわ氏はそうかもしれませんが、小野市職員はみわ氏以外のマスコミのバッシングを懸念しているのであって、あんまり答えになっていない気がします。そりゃ、犯罪も寸借詐欺程度だったらまだしも、傷害やましてや死亡に発展したら批判の矢面に立たされるのは小野市であり職員になるからです。

もう一つ付け加えておくと、この職員(ないし小野市)が条例問題で対応したマスコミ関係者(記者、ジャーナリスト)は、みわ氏1人でないと言う事です。記者の中に「故意に取材相手を怒らせて本音を引き出す」を常套手段とされ、これを高等テクニックと常に駆使されている方が多いのは周知の事実です。そういう手合に慣れ親しまされた大都市部の連中と不慣れな田舎の職員の差も考慮するべきかと存じます。


それはともかく、みわ氏と小野市職員の問答でなんとなく見えてくる事があります。条例は条文上、汎用性の高いものになってはいますが、実態として問題の7世帯をピンポイントに狙ってのものであると見れそうに感じます。ケースワーカーが問題の7世帯に忠告指導を行なっても、それこそ、

    ギャンブルやったらアカンと「どこ」に書いてあるんや!
こうやって開き直る世界です。こういう問題が積もり積もって条例制定に至ったぐらいです。みわ氏は条例に市民が無関心だから不用の主張を展開されていますが、条例の狙いは実はそこであったとも私は思っています。条例を活用するのはあくまでも問題世帯に対してだけのものであり、実効性はそもそも期待していない感じです。最前線のケースワーカーが「ここに書いてある」とする根拠ぐらいでしょうか。

今後に条例が独り歩きするんじゃないかの懸念は持たれるのは致し方ないですが、現実問題への切羽詰った対処の表れぐらいです。言うても条例ですから、まさか7世帯を名指しの条例を作るわけにもいかないってなところです。


レポート その2

レポート その1は内容的に目くじら立てるほどのものはありません。私が引っかかったのは10/4付ダイモンド・オンラインです。

「上」となっているので、この後に「中」なり「下」が続くと考えますが、内容的にかなり首を捻ります。レポートの内容は、実際に条例が施行された後の現地レポートみたいな体裁と解釈して良いでしょう。フォロー取材を行う姿勢は素直に評価されますが、どうにも偏りが強すぎると感じてなりません。個人的にはフォロー取材であるなら、条例によりどういう影響があったかを基本中立で取材するべきだと思いますが、余りにも条例反対の感情が強すぎるように思います。

と言うのも、みわ氏は条例憎しのあまりか、条例叩きよりも小野市叩きに終始されています。そりゃ小野市は人口5万程の小都市です。近隣の都市も似たり寄ったりの小都市が並ぶ北播の一角にあります。その程度の小都市が、

公共交通手段を用いて小野市へアクセスするには、神戸電鉄粟生線またはJR加古川線を利用する必要がある。神戸電鉄粟生線で神戸から1時間ほど北上し、小野駅で下車すると、その周辺に小さな商店街・市役所・図書館・ショッピングセンターなどがある。しかし、それ以外の場所には何もないそうだ。ちなみに、小野駅は昼間は無人駅だ。

先に小さなツッコミを入れておくと、

補足するまでもありませんが、昼間だけでなく夜間も無人駅です。そもそも神戸電鉄粟生線で有人駅なのは・・・いくつだったっけ。西鈴蘭台(ここも建前は無人駅)と志染と終点の粟生ぐらいじゃないかと思っています。別に小野だけが別格で無人と言うわけではありません。神戸電鉄粟生線の話は何度かしていますから、こんなもんで良いでしょう。それより、
    小野駅で下車すると、その周辺に小さな商店街・市役所・図書館・ショッピングセンターなどがある。しかし、それ以外の場所には何もないそうだ
もうちょっとありますが、描写としてはそんなに外れていません。外れていませんが、これ以上のものを人口5万の小都市に要求するのはチト酷と思います。みわ氏の居住されているところでは、5万規模の都市に他に何があるんだと聞きたいところです。先に言っておきますが、文化ホールはおそらく北播では一番早く整備されたはずで結構立派なホールが存在します。

それと小野市には産業がない事をツラツラと書き並べています。小野市はかつて算盤産業で栄え、他には打ち刃物としての鎌も有名でしたが、聞いただけでわかるように斜陽も良いところの産業です。また、その後にこれに取って代わる産業が興ったわけではありませんから、若年者の就労場所が乏しいのは否定できない事実です。

ただそういう事情は小野市の特異事情ではなく、少なくとも北播一帯はどこも似たり寄ったりの状態であり、そんな地方都市は日本中にザルで掬うほどあります。むしろそうでない所を探すほうが大変とした方が良いでしょう。言い切れば日本の地方小都市が共通して抱えている問題に過ぎず、まるで小野市の特異事情のように書かれる姿勢は好ましいものではありません。

レポートを読まれればわかるように、小野市の事情は「たった1人」の匿名者によって展開されます。この人物が現在不遇であるのは良く判りますが、この人物が不遇の原因を小野市である事に帰結させるのはかなりの力業と感じずにおられません。その人物のプロフィールですが、

田中さんは高校を卒業した後、小野市近郊に事業所を設置している大手企業に就職したが、過労で心身の調子を崩し、1年で退職した。その後は、さまざまな業種のアルバイト・派遣での就労を繰り返した。もちろん田中さんは、正社員になりたいと望んだ。望みが実現し、正社員としての就労に成功したこともあった。しかし、短期間で解雇されたり、パワハラ等で再度心身の調子を崩して退職に追い込まれたりであった。

経歴に同情はしますが、この経歴は小野市だから起こったものとは受け取れません。日本中どこでも、そうなる人はそうなるだけのお話です。いわゆる都市部でもこういう経歴で生活に苦しまれておられる方は珍しくもありません。これはこれで今の日本の問題の一つですが、条例とも小野市だからとも、まったく関係のないお話です。

ついでですから、ここも笑ったのですが、

「あの条例案で問題になったパチンコも、そもそもパチンコ屋が、そんなにたくさんあるわけではないんです。中心街から少し外れた国道沿いに、2軒3軒ある程度。その近くに、マイナーなレンタルビデオチェーンの店舗とカラオケ屋が1軒ずつ。小野市で『遊ぶところ』といったら、これで全部です」(田中さん)

想像しただけで、なんとも息の詰まりそうな世界だ。それでも筆者だったら、図書館が充実していれば、なんとか息抜きや気分転換や知的刺激の手段を確保できるかもしれない。

みわ氏は余ほどの都会に住まわれており感覚が麻痺されているのかも知れませんが、地方小都市の『遊ぶところ』なんてそんなものです。みわ氏は5万の地方小都市に何を求められておられるのか疑問です。なんであれ産業は顧客の需要があって初めて成立するもので、5万しか人口がいなければ5万に相応しい規模のものしか成立しません。後段は図書館のお話になるのですが、もうちょっと引用しておきます。

「図書館……大きな図書館があるんですけど、若い人は行かないですよ。年寄りばっかりです。あとは子どもとか、子どもを連れてくる親が少しはいる感じですかね。図書館もそうなんですけど、小野市はハコものが好きなんです。お金はあります。でも、肝心なところはケチります」

ここも傍らに写真つきで図書館が紹介され「小野市唯一の図書館。蔵書数は約20万冊」なんてキャプションが付いてますが、5万都市に幾つ図書館があるのが「普通」とお考えになられているのでしょうか。これだけの図書館があると言うだけで大した物ですし、若者が利用しないから云々も何を言わせたいか意味不明です。

この後に定番中の定番であるハコモノ批判が展開されますが、コミュニティ・センター、スポーツセンター(なぜか図書館も列挙されているのが不思議です)があっても赤字運営だと憤慨されている話も引用されています。ここも展開上の論旨として不思議で、若者が遊ぶところがないとする一方で、スポーツセンターに対してはハコモノ批判です。

言えるのは取材された小野市の人が、図書館も好まず、スポーツも好まず、文化ホールやコミュニティ・センターの催し物ものも好まない事です。好まないのは個人の自由ですが、それをもって小野市の代表的な意見として取り扱う、みわ氏はどうかと思います。1例報告でよいのなら、私も小野市在住の知人は少なからずいます。1例で足りないのなら10例でも、100例でも出せます。まったく違う小野市像を幾らでも描けます。


地方を知らないんだろうなぁ

みわ氏が「息が詰まるような」と表現された娯楽関係の施設ですが、こういう地方都市の交通体系の現実を気付いておられないのか、それともあえて伏せられたかです。神戸電鉄粟生線やJR加古川線は時間はかかるし不便な代物ですが、別にそんなものに依存していません。一家に1台でなく、一人に1台のクルマが交通の主体です。

ものの30分も走れば、カラオケだって、ゲームセンターだって、プールだって、遊園地だって、キャンプ場だってあります。外食もファミレス・プラスアルファ程度なら結構あります。都会感覚からすれば垢抜けていないかもしれませんが、それなりにこじゃれたレストランだってあります。酒を飲むところも同様で、昭和の香り高いスナックもありますが、チェーンの大衆居酒屋的な店も鄙びていてもバー的なところもチャンとあります。

ギャンブルに関しても誰もがスルーしているようですが、パチンコ屋は2〜3軒かもしれませんが、滝野IC付近まで出かけるだけでボートピア(ボートの場外馬券売り場)があります。国道175号の幹線沿いですから、たとえクルマがなくともバスで行き帰りは可能なはずです。郊外のパチンコ屋に行けるのであれば、ボートピアにもまた行く事は可能です。

買い物も加古川まで気軽に出かける土地柄ですし、神戸の中心街でも日帰りで十分出かけらますし、西神方面程度で良いのなら午後からでも余裕綽々です。クルマで考えると便利なところもあって、中国道にも山陽道にも乗るのはお手軽です。インターチェンジが近いのです。高速を利用できれば行動半径が飛躍的に広がるのは説明の必要もないでしょう。

もちろん、それで十分かどうかは別にして、なんにもない事はありません。大都市部、たとえば神戸程度と同じかと言われればそりゃ格段に落ちますが、これ以上のものは人口規模からして無理です。こんなところは「楽しくない」と言われればそれまでですが、そこまでは小野市行政がなんとか出来る問題を越えすぎています。つか、誰が行政を担当しようが「どうしようもない」問題です。

みわ氏にとっては

    どうせ誰も知らない田舎の街だし・・・
こういう風に判断され、存分にステレオタイプのデフォルメをされたのでしょうが、あんまり気持ちの良いものではなかったと感じています。


小野と三木

小野は私の母校があるところで、三木は私の生れ故郷です。隣りあわせで存在し、規模ももともとチョボチョボでした。現在はニュータウン開発の規模の差で小野が5万、三木が8万程度になっています。歴史的には三木が戦国期には東播の中心でした。そのために秀吉相手に三木合戦を行っています。そこから江戸期になると三木は天領となったのに対し、小野は一柳氏が1万石程度ですが明治まで連綿と続きます。1万石なんて吹けば飛ぶような大名の端くれ程度ですが、それでも違う気風を形成します。

一柳氏の治世と言っても殆んど知らないのですが、ある時期から文教に力を入れたようです。一方の三木は天領支配の職人の街として発展し、職人に学問は不要の気風が育まれたとしても良さそうです。その差が明治期の旧制中学の誘致となって現れたと考えています。積極誘致の小野と無関心な三木です。結果もその通りになり現在に至るです。

明治期の旧制中学は地方の学問の中心地になります。もちろん、その上に旧制高校なりへの進学もありますが、時代的には旧制中学に進学するだけでもエリートだったわけです。つうか数少ない旧制中学に進学できないと旧制高校や大学への進学も出来なかったわけで、その地方のエリートが集まる事になります。このエリートを見守る気風も小野には確実にありました。

もう30年以上前の話ですが、実際に通学して驚かされました。小野市内で下手な振る舞いをすれば確実に市民からの通報があったと言う事です。「小野高生ともあろうものが」的な通報です。ですから下手に喫茶店も利用できなかったぐらいでしょうか。良い悪いは色んな意見があるでしょうが、それぐらい学校を大事にしていたぐらいと今日は受け取って下さい。


地方政治の問題点の一つとして人材難があります。首長以下、行政に良い人材がなかなか集まらないです。この点でも小野はマシだった気がします。地方自治体だって学閥が形成されますが、

    小野:旧制小野中→小野高(だと思う)
    三木:県立農業高
小野は自然なものです。地元の名門校ですから、その出身者が主流を為して不思議ありません。またこれも当然ですが、小野高出身者はセットでそれなりの大学卒でもある(内部の細かい事情はあえてパスにしておきます)と言う事です。一方の三木は、ある時期の市長が多選を重ね、自分の母校出身者を引き入れたために形成されたと言われています。このためか、小野ではハズレもあるにしても比較的人材に恵まれ、三木は常に人材に恵まれない状態が続いたと見ています。

大きな差が出たのはニュータウン開発とハコモノでしょうか。三木はより大規模な開発を行ったために人口では小野を凌ぎましたが、市長の出身地を優遇したため非常にバランスの悪い乱開発状態になっています。この後始末に延々と苦慮している状態が続いています。70年代から80年代に開発されたニュータウンは、ニュータウンの宿命でオールドタウンに変貌し、どうしようもない状態と言うところです。

ハコモノに関しては常に小野が先行しています。構図としては先行する小野を三木がより大規模なものを作って追いかける感じです。ここもビジョンに差が確実にあり、小野が身の丈程度のハコモノであったのに対し、横並び以上のものを三木が作ったためオーバースペックで運用に苦しむ事になります。


結果として最大の差は小野が健全財政を今でも保持しているのに対し、三木は大赤字財政に七転八倒状態である事ぐらいでしょうか。地方行政ですからやる事一つ一つの差はさほどないのですが、積もり積もった差が今では巨大ぐらいです。だからと言って小野が理想郷と言うわけではもちろんありませんが、「比較的マシな地方小都市」であるぐらいは言えます。

北播は医療でも古くから聖地ですし、よく言われる民度もさほど高いとは言えないのは否定しません。しかし小野はそういう中では少々別格と言うところです。周辺都市はそんな小野を「すかした野郎」ぐらいの評価をしばしば行いますが、一方で「ちょっと及ばない」の劣等感も抱くぐらいの関係です。まあ、ここまで、みわ氏に観察しろと言うのは過剰な要求ですが、地元出身者ですから少しぐらい反論しておいても良いかと存じます。