御用会議の七不思議

世に審議会(調査会、研究会、委員会等を含む)と称される公的な会議はゴマンとあります。今日はあえて一括して御用会議とさせて頂きます。これらの会議について前々から思っていた素朴な疑問を列挙してみたいと思います。


その1 委員は誰が選ぶのか

一般にはその会議のテーマに相応しい有識者が選ばれると思われています。広い意味では間違いとは言い難いのですが、とっても不思議な事に誰が選んだのか不明です。いきなり委員が発表されて決定です。会議の方向性は委員の構成によって決まるのは自明ですが、人選に偏りがあれば方向性にも偏りが必然的に生じます。もう慣れっこになっている面もありますが、選ばれた委員を見ただけでどういう結論になるか予想が可能で、その予想はほぼ外れる事はありません。

それぐらい重要な委員の人選ですが、誰が責任を持って選んだのかは一切公表されません。またそういう人選方法である事に誰も疑問さえ持ちません。私には不思議で仕方ありません。


その2 委員長選出の不思議

私の知る限り委員長の選出は、第1回の会議で事務局なりが「○○氏を委員長にしたいと存じます」と発言すれば、まるで打ち合わせが行われていたかのように出席した委員が拍手で承認しています。委員長と言っても御用会議では単なる司会ではありません。会議を誘導し、意見をかなり強引にねじ伏せて方向性を強引に決める重要ポストです。

御用会議の委員がすべて御用委員であるとは限りませんが、会議で自分の意見・考えを通したいのなら委員長は誰であるかは重要なポイントになるはずです。委員長の必殺技である「委員長一任」まで持っているのですから、熾烈な駆け引きが時にあってもおかしくないはずです。でも実態はシャンシャン選出が儀式の様に行われます。

御用会議の結論は、時に業界の今後の動向を左右するほどのものがるのですが、委員の人選同様に委員長の人選もまた誰かが既に決定しているのがよくわかります。


その3 事務局提案の不思議

建前上は事務局は会議の黒子のはずです。この辺は詳しくないのですが、少なくとも委員会であるなら会議に参加し決定する資格があるのは委員のみです。これの延長線上で会議に議題を出す資格があるのも委員だけではないかと考えます。もちろん参考人とかを呼んで意見を聞くのは必要な作業ですが、参考人が「これを検討せよ」と持ち出すのはルール的に違和感を感じます。

参考人は委員の討議に必要な知識を加えるのが役割であり、その意見を討議の内容に加えるかどうかは委員の権限のはずです。細かい事を言えば、参考人の意見で取り入れるべき事があれば、これを取り入れるかどうか、検討すべきかどうかをまず決定しないとならないはずです。これを参考人が「今日は○○について検討してください」は本末転倒の様な気がします。

現実の御用会議は事務局提案の「てにをは」について議論する事がお仕事になっているのは、見慣れているとは言え不思議な光景です。


その4 委員の属性

これは判り難い表現ですが、誰かが恣意的に選んだ委員が所属している業界を代表してると見なされる事が多々あると感じています。医療関係であれば医師の委員がどういう形であれ賛成すれば「医療界も賛成した」みたいな位置付けです。これは覆せない事もありませんが、実質的にはかなり重い見なされ方になります。

人選の過程を考えれば判る様に、選ばれた委員はその業界の公式の代表者、または業界の意見の代表者ではありません。その業界の中から誰かが適当に選び出したものです。たとえば医療問題、そうですねぇ、事故調問題で選ばれた委員の程度は、ここでブログを書いている私と実質的に変わりはないと言う事です。どういう事かと言えばあくまでも「one of them」であり、別に委員に医療界の代表を委任している訳ではなく、単なる一個人に過ぎないという事です。

勝手に業界代表にされ、業界の意思決定のように扱われるのは迷惑千万てなところです。


その5 満場一致の原則

問題に賛否両論があってよいわけで、最後の採択部分でも賛否が分かれても構わないはずです。満場一致になっても良い一方で、あくまでも反対の立場を貫くものが出てきても何の不思議もありません。ところがそうはなりません。最終答申は委員全員が認めるのがどうも大原則になっている様に思います。反対意見を持つ者も基本は最終答申に賛成しなければならず、その代償に「少数意見」として答申に書き加えてもらう事で了解されないとならないようです。

あくまでも反対であれば、たまにありますが委員辞職が必要になるようです。これもいつも不思議に感じています。


その6 利益相反

利益相反とはwikipediaより、

わかりやすく言うと、依頼者からの業務依頼があった場合、中立の立場で仕事を行わなければならない者が、自己や第三者の利益を図り、依頼者の利益を損なう行為のことである。例2がこれに近い。

  • 例1. 例えば、行為者Aがある会社Bの社員(役員、従業員)でありながら、Bの競争相手である会社Cと関係を持ち、何らかの形で、AとCとが利益を得ると共に、Bが不利益を被るようなこととなる行為を言う。

  • 例2. 家の強度試験を行う民間検査会社の株主が、住宅メーカーである場合などがある。この場合、検査会社と住宅メーカーとでは直接は利益が一致していない。しかし、上下関係があるため、チェックが甘くなる場合がある。結果として、試験結果が甘く付けられ、住宅を購入した人が不利益を被る恐れがある。

話を医療系の御用会議の医師委員に絞って考えたいのですが、医師の監督官庁厚労省です。厚労省は医師に対し保険報酬の審査から、補助金の分配まで幅広い直接の影響力を持っており、さらにこれを実際に行使します。医師は厚労省の政策に批判的な者が多いですが、直接面と向かって批判するのは躊躇いが出る立場にしばしば置かれます。

もちろん医療政策(末端も含めて)に対し強硬な異論を唱えても目に見えるしっぺ返しは行われません。あくまでも「江戸の仇を長崎で討つ」式の陰湿かつ陰険な間接的な手法で行われます。開業医レベルなら妙に保険査定がビックリするほど重箱になったり、必要と認めた時のみに行われるはずの監査がしばしば行なわれたりです。いわゆる目を付けられる経験談は私ですら耳にします。

ここで重要なのは実態はともかく「行なわれる危惧がある」ことです。そういう目に見えない重圧を常に受けていると言う事です。開業医でなく勤務医であっても同様の事は生じます。病院経営者なら各種の補助金や細々とした基準申請で嫌がらせを受ければ経営に支障を来たします。

研究者であれば厚労省の班研究への参加は様々なメリットがあるそうですが、これについても監督官庁の御機嫌を損ねるのは好ましい事ではありません。班研究の人選もまた厚労省の胸先三寸であるのは誰もが熟知しているからです。とにもかくにも監督官庁である厚労省のご機嫌を損ねてメリットなどまず生じる事はありません。


そういう状況で委員の打診を受けたらどうなるかです。御用会議は厚労省の意向を忠実に具現化する舞台であり、この舞台を強硬な反対論でかき回し、もしぶち壊しでもしようものならどうなるかです。面子を潰された厚労省がどういう陰湿な報復手段に出るかは考えるだけで恐怖です。それこそ「夜道には気をつけな」の世界になります。

打診に対し固辞するのも一法ですが、固辞しただけでも御機嫌を損ねる可能性は排除しきれません。ましてや受諾したら、御機嫌を損ねない様にどころか進んで迎合する事が最大の保身になります。保身だけではなく「うい奴」としてメリットさえ期待できます。

御用会議の委員が必ずしも御用委員と限りませんが、御用委員の密命の意を含ませての打診を受ければ千切れるぐらい尻尾を振る事こそが他に選択の無い処世術になると言う事です。御用委員以外の委員で強硬な反対論を展開したとしても、会議以外の根回し工作で監督官庁の意向を硬軟含めて、ほんの少しでもちらつかされれば、これに逆らう事の困難さは想像するに余りあります。

法的には問題ないと思いますが、実質的な利益相反の構図は確実に存在すると私は考えます。


その7 誰の責任であり功績であるか

話を医療にしますが、御用会議は厚労省が行いたい政策を具現化するために存在します。政策が具現化するように委員を厳選し、委員長を選び、事務局提案のスタイルで会議を主導し結論ありきの思い通りの答申を生み出します。

そうやって作り出された答申は「尊重」されて採用されます。御用会議の進行にトラブルがあって不要な事柄が書かれていれば、政策なり法案段階になって「修正」されます。答申は提案であり参考意見ですから、開き直れば厚労省への強制力は無いからです。一方で御用会議で決まったという事実は最大限に利用されます。「もう議論は尽くされている」の立場です。

建前上は第三者である有識者の議論を経ていますから、御用会議に参加していない「その他大勢」に異論反論が出ても「既に答申は採択されている」のゴリ押しが強硬に行われるのも良く見る風景です。


ではでは答申が政策として実行された結果が良好であればどうなるかです。これは答申を出した御用会議の功績ではなく、答申を採択して政策を行った厚労省のものになるとして良いかと考えます。ま、厚労省的には答申を考え結論出させたのは実質として厚労省ですから、そういう評価になるんだと理解します。

ほいじゃ政策が裏目に出た時はどうなるかです。ある程度厚労省にも責任は生じますが、厚労省的には御用会議に最終責任を振ります。答申を出したのはあくまでも御用会議であり、厚労省はその答申に従っただけの論理とすれば良いでしょうか。御用会議は責任を振られはしますが、御用会議自体は提案をする役割だけであり、結果の責任は負わないと言うのがあります。

つまり責任のたらい回しが粛々と行われ、回しているうちに誰の責任かわからなくなるシステムとすれば良いでしょうか。

官僚が功績を評価されるかどうかは存じませんが、官僚にとって重要なのは功績より責任を回避する方であるは夙に有名です。10の功績より1つの責任問題がすべてを帳消しにしますから、責任が「たらい回し」で消える事が何よりのメリットになっているのかもしれません。


あくまでも想像

外部の有識者を招いての所謂審議会方式がいつの時代から始まったかは存じません。淵源を遡れば古そうな気がしますが、現時点でわかる事は非常に多いと言うか、なんでもかんでも審議会みたいな様相が確実にあります。全部の省庁を合わせると一体幾つあるんだろうと言う感じです。

こういうシステムは一概に悪いとは言えません。政策は誰が決めるかですが、本来なら主導権を握るのは政治家と言う事になるのが筋かと思います。しかし政治家の質も継続性も担保されていません。また政策は全体の整合性が必要ですから、思いつきの人気取り政策ばかりをポンポンと打ち出されると少々困るです。日本の官僚制は基本的に政権与党依存性がないですから、一貫性がある官僚が裏で主導権を握るスタイルになります。

そうなると官僚が密室で決められたものが政策のすべてになります。これに対し外部の意見を導入しようとしたのが審議会形式じゃなかろうかです。もう一度断っておきますが、あくまでも想像です。


ただ最初がどうであれ現在は御用会議化している審議会が多くを占めます。つうか何らかの理由により官僚主導の御用会議にならなかったらかえって話題になり、マスコミでその動向が注目を持って見られるなんて状態になっています。

御用会議化の効用は行政による政策に影響が出ないと言うのがあります。実質的に官僚の事前計画通りにしか結論は出ませんから、審議会で開けてビックリ玉手箱みたいな事は起こりません。粛々と政策は行われて行くです。これは問題も多々含むとは言え、政策遂行上の混乱が少なくなっている面は効用です。お蔭で審議会が始まる前から、出てくる結論に備えての次の手順が段取り良く進められます。

この効用は評価はできます。毎回毎回、いったい結論がどうなるか予断を許さない審議会では、出てくる結論によっては大混乱を来たします。それに結論ありきの審議会とは言え、殆どの審議会は「さほどの内容」の審議をしているだけであり、そんなところまで悉く混乱の火種となれば、たしかに困った面は出てきます。


改善は可能なんだろうか?

ではでは、現状でOKかと言えば違和感はバリバリと残ります。そもそも何のためにやっているんだろうです。余りにも形式化し儀式化してしまうと存在意義自体が問われるとすれば宜しいでしょうか。ほいじゃ、改善するにはどうしたら良いかです。これを少し考えていたのですが、実は良い案がまったく浮かびませんでした。

浮かばない最大の理由は委員の人選に付きます。これを誰かが恣意的に選ぶ限り、選んだ人間の意思が必ず反映されます。では裁判員のように無作為にすればどうかですが、今度は専門テーマに対する専門的知識の問題が出てきます。たとえば私が無作為抽出で法律系の審議会に呼ばれても無能振りを呈すだけになります。

ほいじゃ、委員の承認を第三者による判定会議で行うのも一法ですが、これもまた第三者を誰かが選ばなければなりません。つうか基本は専門家ですから、審議会の専門家のほかに委員構成が妥当かどうかを判定する専門家が上に乗っかる事になり、判定会議もたくさん必要になります。それは無駄が多すぎですから、一つの判定会議に委ねると畑違いの専門家については従来通り素通りになる懸念があります。


ではでは委員の選出承認を民意の反映である国会に委ねたらどうかです。これをやると今度は自分の政党の政策に有利な委員を送り込むための政争の場になり、トドの詰りは国会の委員会と同じ、党派の勢力に応じた推薦委員数構成になります。そうやって出来た審議会は、政党推薦委員ですから自らの主張を一歩も譲らず徹底的に主張するのがお仕事になります。

それなら審議会などやらずに最初から国会の委員会審議をやる方がマシです。

それでもの改善策ですが、その問題に対する専門家をリスト化し、そのリストから無作為に選ぶというのもあるにはあります。ここもそもそものリストを誰が作るかの問題が出てきます。専門家であっても必ずしも全員がこの手の審議会に出席したいわけでもありませんし、強制と言う形になってしまうのも好ましいかどうか微妙です。


人選問題もネックなんですが、利益相反問題も難問です。官庁主催の審議会ですから、そこで行なわれる審議会に出席する専門家もまた官庁の監督下にあります。それもこういう会議に出席するほどの専門家になるほど、官庁との利害関係は濃厚になります。監督官庁の機嫌、あからさまに言えばカネの配分や許認可の権限を実質として握っている官僚の機嫌をあえて損ねたい人間は多いとは言い切れません。

委員に対する身分保障を制度として整えると言う考え方もありますが、官僚はそんなあからさまな報復手段を用いません。法に触れず、かつ明瞭に制裁が周知できる陰湿かつ陰険な手法を用います。逆に迎合したらこれもまた然りです。


ほいじゃ、審議会形式を全廃して完全に官僚に委ねてしまうのが良いかどうかになります。現在も実質的にそうなっているとは言え、制度として抵抗できる余地がある審議会はある方がまだマシの見方も出てきます。

こうやって考えてみれば、官僚サイドにとって実に良く出来たシステムなのかも知れません。つうかそう言うシステムを長年の努力で作り上げたとする方が良さそうです