何か手続きが抜けているような・・・

5/20付河北新報より、

医学部新設は国民の意思 東京でシンポ、医師らが改革議論

 大学医学部の新設による医師不足の解消や、医学教育の改革などを考える公開シンポジウムが19日、東京都港区の航空会館であり、医師をはじめ大学、自治体関係者ら約140人が参加した。

 現在、全国には80の大学医学部・医大があり、新設は1979年の琉球大(沖縄県)を最後に認められていない。シンポは日本医学ジャーナリスト協会(水巻中正会長)が主催した。

 この中で東大医科学研究所の上(かみ)昌広特任教授(医療ガバナンス論)は「医学部新設は医師の絶対数不足や地域偏在などを解決するのに有効な選択肢と言える。地域の人づくりの観点から議論したい」と述べた。

 国際医療福祉大(栃木県)の北島政樹学長は「文部科学省が行った国民意見の募集では、新設に賛成が6割を占めた。国は、医療制度の受益者である国民の意思を尊重すべきだ。競争なしに改革はない」と指摘した。

 聖路加国際病院(東京都中央区)の福井次矢院長は、米国で医師養成の主流となっているメディカルスクールの日本への導入を提案。「医学部新設も含め、新しい取り組みが医学教育の改革につながる」と訴えた。

 東海大医学部(神奈川県)の田島知郎名誉教授は「医療ミスや患者のたらい回しなど医療の劣化が目立っている。医学部新設が、国や医療界を真の改革へと向かわせる“黒船”や起爆剤になるといい」と語った。

 河北新報社は、東北再生に向けて「地域の医療を担う人材育成」を提言している。その中で仙台に臨床重視の医学部を新設し、慢性的に不足している病院勤務医の地域偏在や診療科偏在を解消するよう促している。

見出しは誤解を招きそうに感じます。「国民の意思」とはシンポジウムに集まった国民の方の御意見であり、もう少し言えば、

    河北新報社は、東北再生に向けて「地域の医療を担う人材育成」を提言している。その中で仙台に臨床重視の医学部を新設し、慢性的に不足している病院勤務医の地域偏在や診療科偏在を解消するよう促している。
河北新報社の御意見です。無駄じゃないかの「国民の意思」もまた存在しており、決して小さな集団とは言えないかと存じます。シンポジウムの中では盛り上がったかもしれませんが、それなら新設医学部不要シンポジウムを開けば、そこも「国民の意思」として報道されるのでしょうか。まあ、どうでも良いことです。

どうでも良いついでに、

    シンポは日本医学ジャーナリスト協会(水巻中正会長)が主催した。
凄い不思議なんですが、主宰者の名前を読んだ瞬間に猛烈な脱力感に襲われてしまいました。記事に紹介されている、東大医科学研究所の上昌広特任教授、国際医療福祉大(栃木県)の北島政樹学長、聖路加国際病院(東京都中央区)の福井次矢院長、東海大医学部(神奈川県)の田島知郎名誉教授は主宰者の名前を十分認識した上で参加されたのでしょうか。個人の信念と自由ですから別に構わないですが、興味深いところです。



さて医学部新設は何を目的にしているかです。別に難しい話ではなくて、医師を増やそうで良いと思います。ついでに言えば医学部附属病院と言う立派な病院が欲しいと言うのもあると思います。もう一つ謳い文句である新設医学部が作られた地域の医師不足の解消ですが・・・これはもうやめときましょう。附属病院はともかくとして、医師を増やすは錦の御旗になっています。ほいでもそんな昔からの話ではなく、安倍元首相時代の柳沢厚労大臣は予算委員会で、

「(医師は)あくまで総数は足りていて、偏在の問題と認識している」

こう答弁されています。安倍元首相と言えば、大昔に首相をやった人の様に思いますが、これはたかだか5年前の2007年3月のお話です。この答弁なんですが、当時は私も猛烈に批判しましたが、それでも根拠に基いた答弁です。年表を再掲しておきますが、

年月 政府の動き
1982.9 医師数抑制を閣議決定
1984.5 「将来の医師の需給に関する検討委員会」設置
1986.11 「将来の医師の需給に関する検討委員会」報告
1993.8 「医師需給の見直し等に関する検討委員会」設置
1994.11 「医師需給の見直し等に関する検討委員会」報告
1997.6 医師数を抑制する旨の閣議決定
1997.7 「医師の需給に関する検討会(1998)」設置
1998.5 「医師の需給に関する検討会(1998)」報告
2005.2 「医師の需給に関する検討会(2006)」設置
2006.7 「医師の需給に関する検討会(2006)」報告


1982年9月の閣議決定のさらなる淵源は第二次臨調(土光臨調)の第三次答申であり、さらなる淵源は厚労省が理論として採用した医療費亡国論ぐらいの理解で良いと考えています。この医師数抑制政策は結果としてハズレでしたが、今日はハズレであった事を問題視したいわけでなく、計画と理論背景に基づいたものであった点に注目したいと思います。

医師数は養成期間の長さ、また1億円伝説は笑うとしても養成費用の点から長期の見通しに基づいたものが望ましいと考えます。そのため医師数抑制政策を行っている時にも、定期的に医師の需要予測を見直しています。抑制政策時代はこれが十分に(いやまったく)機能していなかったのが問題ではありますが、手法としてはキチンとしたものです。問題は手法ではなく儀式になっていた点ですが、これはとりあえず置いときます。

こういう手法は医師数増加政策になっても行うべきであろうと言うところです。私も医学部新設を完全否定はしていませんが、新設するなら新設するで、どこの地域にどれほどの数が必要なのかを検討すべきであろうです。手挙げ方式でワラワラと参加者を募る形式はどうなんだろうです。

もっと根幹は、医師を増やすにしてもどれほどの数を目指すかです。医師数の増加は入学定員とかなりリンクしますから、人口の将来予想と合わせてそこそこの精度で予測可能です。これについて現在の医師数増加政策は野放し状態の様に見えてしまいます。


医師数は人口当たりの単純な目標もそうですが、これも錦の御旗として掲げられている「勤務医の負担軽減」とも密接にリンクしています。どういう勤務環境を医師に対して考えているかで医師数の目標は大きく変わります。これは2007年まで「足りている」がその後突然「足りない」になったのかの原因を明らかにするのも重要です。新研修医制度導入なんて理由でお茶を濁していたのではいけません。

これに大きく関ってくるのが、交代勤務の問題です。当直と言う名の違法夜勤を当然の前提として続けるつもりなのか、それとも交代勤務を実現できる医師数まで増やすのかです。交代勤務の実現は現役勤務医の夢ですが、一方で実現するには軽く2倍以上、いや3倍ぐらいの医師数が必要になるかと存じます。それだけの医師数を雇えるだけの医療費もまた必要であるです。なんつうてもこれも医療政策の目標はいつでもどこでも24時間365日救急の錦の御旗ですから。

将来予測ですから医師数抑制政策の様にハズレもありますが、ほいじゃ無計画に医師数増加に驀進し、後で考えるも宜しくなかろうです。もっとも深く考えずに「とにかく増やせ」を全国で啓蒙されている医師もおられるそうですし、その賛同者も少ないようです。まあ、そういう方には歯科医師や弁護士がどうなっているのかなんて別世界のお話としか認識されていないように判断しています。



でもでもなんですが、よくよく考えなくとも、検討しようがしまいが、結果は一緒なのは自明です。検討会議を公式に開いたところで、言うまでもなく結論ありきの御用会議ですし、医師数抑制時代と同様に検証会議を開いたところで右に同じ。「今度は違う」がありえない世界ですから、やるだけ予算のムダと言えない事もありません。だいたい勤務医の完全交代勤務なんて目標が浮上しようものなら、怖い怖い財務省が目を剥きます。

それにこの手の会議が結果責任を負う事は非常に稀ですし、会議の結果を採用する厚労省なり政府もまた同じです。ましてや政権が変わろうものなら、それこそ「風の前の塵に同じ」です。そう言えば、そろそろ恒例の首相が交代する時期になります。政権自体が来年の夏までですから、どこを取っても「やるだけムダ」と言う高度の政治判断が働いているのかもしれません。