15人のユダ書をもう一度考える

このブログの得意技である蒸し返し編で、昨日のコメント欄の論議を読み返しながらのおさらいみたいなお話です。

日本の適正医師数の根拠になっているのが、前に散々取り上げ、私が「15人のユダ書」と呼んでいる医師の需給に関する検討会報告書です。そこには医師が不足の理由として必ず根拠にするOECD諸国の医師数は影も形もありません。ひたすら今の医師数で「足りている」事を裏付ける報告書になっています。

こういう御用会議は結論ありきの会議であることはもはや常識ですが、それでも論議の末に結論に誘導する過程を経ます。どういう事かと言えば、御用会議の多数派は結論支持派で固めてありますが、一部に中立派、反対派を混ぜておき、この意見を圧殺する過程を経るということです。つまり反対意見も一部にあったが、論議の末、結論は全員賛成みたいな過程です。

検討会の議事録でも反対派は意見を展開している部分はあります。医療の現場を少しでも知っている者なら「足りている」の結論は体感的におかしいと考えるからです。そのおかしい事を体感している反対派意見を押し潰すのに使われるのが統計資料です。医師の需給を検討するには統計資料が欠かせません。この検討会で統計資料提供の主役となったのが長谷川敏彦氏であり、長谷川氏が次々に提出する統計資料が反対派の口を封じ込めたと言えます。

統計は嘘をつくとは言いますが、嘘であると感じてもそれを論破できないと数字の前に感覚論は弱いものになります。「足りないと感じている」と主張しても「これこれの資料を統計分析すると実は足りている」の反論に抵抗が難しいという事です。再反論するには「その統計分析は間違っている」と主張する必要がありますが、統計学者が巧妙に辻褄を合わせた数字を素人がそう簡単には反論できません。皆様も統計に自信があれば参考資料の医師の需給推計について(研究総括中間報告)に挑戦してみてください、私は基本的に匙を投げています。

最終的に医師の需給に関する検討会報告書は長谷川敏彦氏が提出した統計資料にそって作られる事になります。その最大の統計資料が「医師の需給推計について(研究総括中間報告)」であり、これは報告書の31ページがら副えられています。この参考資料の基本的な統計手法が、

  • 医療需要量を概算する。
  • 医療供給量を概算する。
  • 需要量<供給量なら医師は足りている。
ある意味わかりやすい手法です。もちろん需要量の計算の仕方にも批判がありますし、供給量の計算では「医師の年齢上限の撤廃」とか「女性医師の対男性医師労働係数を0.7から1.0」にするという手法にも批判がありますが、それでも辻褄は合わせてあります。少なくとも検討会の反対派はこの統計計算の数字を崩せなかったから、結論を受け入れざるを得なくなっています。

「需要量<供給量だから医師は足りている」はまず医師が足りているの絶対の根拠となります。そして足りているはずの医師が不足しているところがあるのは「偏在である」の結論にも直結します。ここで「需要量<供給量」理論が成立するには、供給量に余裕がある必要があります。需要量と供給量が近いほど医療供給が均等でなければならないからです。たとえば「需要量=供給量」なら完全に全国一律均等分布で無いと成立しないからです。

つまり需要量より供給量が大きければ、大きい分だけは偏在があっても問題は生じません。ところが需要量と供給量が近づくほどわずかな偏在が大きな影響を及ぼします。これは推測ですが、長谷川氏がこの手法で統計解析を行なった時に、まともにやれば、「需要量>供給量」の結論が出た可能性を考えています。もちろんそんな結果を会議に提出するわけには行きませんから、なんとか「需要量<供給量」の結果になるように条件設定を苦心惨憺して組みなおしたかと考えています。

「需要量>供給量」を「需要量<供給量」にするには手段は二つです。需要量を減らすか、供給量を増やすかです。どちらも行なったでしょうが、需要量の削減効果だけでは満足のいく数字が得られなかったと考えています。いくら操作と言っても計算の基になる数値まで捏造を加えるわけに行かず、出来るのは需要量として算定する項目の取捨選択に限られ、それも後から検討されても容易にはボロが出ない範囲に限られます。また需要量と供給量が余りに近いと「全国一律均等分布」の前提が必要となり、机上の空論に化してしまうからです。

需要量削減だけではおそらく「需要量≒供給量」ぐらいの結果しか得られなかったんじゃないでしょうか。そんな結果を検討会に提出すれば大変な事になります。どうしても最低限の余裕をもった「需要量<供給量」の結論に持っていく必要が生じます。そこで行なわれた荒技が「医師の年齢上限の撤廃」と「女性医師の対男性医師労働係数を0.7から1.0」であったかと考えます。この二つの条件変更により概算ですが2割弱程度の供給量の増加効果があります。

ただしこの部分は長谷川氏の統計資料の中では誰が読んでも違和感を感じる部分です。需要量の計算部分はよく読まないとわかりませんが、供給条件の変更部分は統計数字に弱くとも「おかしいだろ」と直感される部分になっています。できれば長谷川氏もそういう事を避けたかったかと考えますが、この手法を強引でも使わないと結論に導けなかったと考えるのが妥当です。

もっとも報告書が出た時点では現在ほど医療崩壊について切迫して考えられている時期ではなく、定期に開催される検討会を義務的に通過させるだけで事足りましたし、どうせこんな報告書や参考資料は検討会委員以外は読む者もいないだろうと考えていたかと思います。つまり御用会議を結論に誘導させるためだけの統計資料であれば必要にして十分であるという事です。会議で供給量の条件変更に異議を唱えられても、結論支持派の多数意見で押しきれば後はno problemって算段です。

世の皮肉は報告書が提出された後から医療危機が噴出した事です。厚生労働省の本音がどこにあろうとも報告書の内容にすべて縛られることになります。厚生労働省自ら誘導した結論ですから、医師の数に関する公式見解はすべてこの報告書を基に主張しなければなりません。否定すれば責任問題が生じます。そのため珍妙な行動が続出する事になります。

報告書の「足りている」理論は医療全体をマクロとして分析した結果です。全体量が足りているのだから、不足地域が出現するのは「偏在だ」の結論に直結します。この主張は皆様耳タコになるぐらい繰り返されているものです。ところが余裕をもって「需要量<供給量」のはずの供給量部分に明らかな水増し部分があるのです。実質は「需要量≒供給量」に限りなく近く、本当は「需要量>供給量」の関係である可能性も十分にあります。

「需要量≒供給量」ないし「需要量>供給量」であれば、いくら厚生労働省が「偏在だ」と主張しても、不足地域の対偶にある過剰地域は存在しようがなくなります。過剰地域が存在しない事は厚生労働大臣の国会答弁にさえ現れています。厚生労働省が「ある」と主張している過剰地域は、報告書の統計資料上に基づけば「存在しているはずだ」以上の根拠は無いという事になります。

とても手が出せないのですが、長谷川氏作成の参考資料の供給モデルの設定条件を従来の条件で行なえば馬脚が出るような気がします。もっと言えば、前回の報告書に用いた統計資料の条件に基づいて統計処理を行なえば実質に近い様な気がします。そこでの結論は「需要量≒供給量」ないしは「需要量<供給量」になると考えています。

もう一つ付け加えれば、医療に限らずなんでもある程度偏在します。完全均等はありえないと言う事です。どの程度の「需要量<供給量」であれば、必然的に生じる偏在があっても過不足なく行き渡るかのマクロの指標が欲しいところです。マクロとミクロは相違しますが、最低限まずマクロの充足が無いとミクロの充足はありえないかと考えています。

いずれにしてもあの報告書に国や厚生労働省が縛られている限り、現状を改善する政策は何ひとつ出てくる可能性が無い事は確かです。