長谷川レポートをちょっと再評価

「医師の需給に関する検討委員会(1998)」の情報は元もと保健所長様より頂きました。つまみ読みをしていたら興味深い記述が出て来たのでご報告します。「医師の需給に関する検討委員会(1998)」の結論と考えられる部分なのですが、

 医師数の適正化の目標としては、高齢者人口のもっとも多くなる平成32年(2020年)において需給の均衡が達成され、かつその後の供給医師数と需要医師数との乖離についても抑制が可能になるよう、新規参入医師を削減する。具体的には、削減率を次第に高め、最終的には上に述べた時期を目途に現在の新規参入者の概ね10%削減を目指す。

 今回の目標値は、これまでの入学定員の10%削減目標(現在迄の削減率7.8%)の未達成部分の達成を含めて考えられており、適正化対策を進めるにつき、従来の目標の達成が当検討会の第一に要請するところ。

医師数の推計値の前提は「医師の需給に関する検討委員会(1998)」がもっとも抑制的な試算を行なっており、報告書の中では何種類かの計算法を提示していますが、

  1. 女性医師の労働係数0.7
  2. 医師定年70歳制
これを行なって、医学部定員10%削減を完全達成してもまだ医師が余るとの報告を行なっています。そのため、医学部定員削減だけではなく国会試験段階の削減も検討しています。

 臨床研修の必修化との関連で、実技試験の導入も視野に入れ内容を見直す。また、合格基準の変更も含め抜本的に改善。以上の結果、事実上新規参入者の数%の削減効果を見込み得る。

 受験回数の制限に関して、他分野への進路の早期転換を促す面等から意義があるが、実施方法等についてさらに詳細な検討が必要。こうした対応により新規参入者を1%削減する効果。

 合格者数の定数化は、資格試験であること等から多くの議論があり慎重な検討を要する。

医学部定員だけではまだ医師数の抑制に不足とし、

  1. 国家試験の難問化による削減
  2. 難問化による国試浪人に対する受験回数の制限による削減
  3. 医学部定数とは別に合格者の定数化による削減
国試段階での削減効果を「数%」とし、これも合わせて行なう必要性を報告しています。他にも「卒前医学教育及び卒後臨床研修」にも興味深い記述があります。まず卒前医学教育なんですが、

卒前医学教育を通じて、入学者選抜の改善、厳正な進級・卒業認定、適切な針路変更等の措置が必要。こうした対応は結果的に新規参入者の削減効果を有する。

卒前教育すなわち医学部での進級・卒業認定を厳しくしてドロップアウトする医学生を増やす効果を求めています。さらに卒後教育に興味深い記述があります。

臨床研修の充実は、新規参入医師に対する10%削減目標とは別に、実質上総医師数に対するおよそ5%の削減効果がある。

なんと、なんと新研修医制度の一つの目標に総医師数の削減効果が期待されていたなんて初めて知りました。それも効果はなんと5%も期待されています。新研修医制度は平成16年(2004年)から導入されていますが、導入前には後期研修の構想はまだなかったと記憶しています。卒業者は7700人程度と仮定してよいですから、2年間で15400人で報告書では15000人としていますが、この扱いは

  • 臨床研修医15000人については、研修に専念できるように体制を整備する観点から、医療従事医師数には含めず、別途必要医師数として計上した。
  • 臨床研修指導医については、、十分な指導を行なうことが可能なよう診療従事医師とは別に計上することとし、今後総合診療方式(スーパーローテート方)を基本とした研修が定着するとして、平成22年(2010年)までに研修医3人について1名配置する事にした。

研修医3人について1人の指導医がつくわけですから、15000人の研修医がいれば5000人の指導医が必要となります。研修医も指導医も「医療従事医師数」に数えないですから、合計すれば2万人程度の医師が計算外になります。研修医は戦力外の医師であり、なおかつ研修医が来れば3人につき1人の指導医が戦力として削り取られるわけですから、この検討会の結論に従えば研修医が来れば来るほど病院の戦力は落ちることになります。そういう風な新研修医制度にすると「医師の需要に関する検討会(1998)」は結論し、この結論の延長線上に2004年から始まる新研修医制度は展開されている側面がある事がわかります。


医療危機、医療崩壊の原因としての新研修医制度問題は最近では一つのキッカケにすぎず、これだけで医療崩壊の原因とするのは短絡過ぎると言うのが意見の主流です。私もそうですし、これを読んでも意見は基本的に変わらないのですが、2万人の医師削減効果となれば少しだけ見方が変わります。とくに最初の2年間を考えると効果は著明です。

この2万人の削減効果が直撃するのは勤務医です。研修医は例外を除いて勤務医になり、例外は誤差の範囲内としてよいでしょう。医師の自然減と言うのがあります。「医師の需給に関する検討会(1998)」では70歳定年制を考慮していますが、大雑把に年間の医師誕生数の半分ぐらいとしてもいかと思いますから年間3500人程度と考えます。この3500人は死亡した数でもありますが、おおよそ病院を退職した医師数にも等しいとも考えられます。

そうなると新研修医制度の最初の2年間で7000人が退職し、2万人が戦力外になることになります。勤務医の数は9万院程度とされますから、計算上は3割の勤務医が戦力から消えうせる事になります。また2万7000人はの穴埋めは新研修医制度3年目から始まりますが、これは「医師の需給に関する検討会(2006)」からですが年間3500人程度なっていますから、単純計算で新研修医制度で出来た戦力減の補充に8年弱が必要となります。


もちろん1998年時点ではそれぐらい医師が余剰であるとの前提で結論されていますから、当時の考え方からすると「それぐらい減らして帳尻が合う」であったと考えています。つまり新研修制度の一つの側面として、医師過剰に対する対策として、

  1. 医学部定員削減10%減(当時は7.8%)達成
  2. 医師国家試験の関門化による数%の削減
  3. 医学部の進級・卒業判定の関門化による削減効果
こういう入口対策では不十分で、新研修医制度による実質的な医学部8年制による削減効果も必要と判断されていた事が分かります。そうなると珍妙なのは現在盛んに議論されている医師不足の解消策に笑えるものがあります。
  1. 研修医の僻地義務化
  2. 医学部5年卒業論
研修医は医療従事医師数に含めないわけですから、いくら研修医を地方僻地に派遣しても戦力外のはずです。戦力外であるだけではなく、研修医3人につき1人の指導医も同時に戦力外になることになり、帳簿上は地方僻地の戦力補充には全くならない事になります。また医学部5年卒業論も8年制に延ばしたら医師が足りなくなったので、7年制にするという訳の分からない主張にもなります。

もっともですが、1998年の結論からは笑えますが、検討会は2006年にも結論を出しています。医師の需給に関する検討会(2006)になると情勢の変化に合わせて、医師数の予測の前提条件が変更され、

  1. 医師定年を撤廃し、死ぬまでフルタイムの現役とする
  2. 女性医師の労働係数を撤廃し、男性医師と全く変わらない戦力とする
  3. 研修医や指導医も1人前の戦力に含ませる
このように前提が変わった上で「研修医の僻地義務化」「医学部5年卒業論」がありますから、主張としては矛盾しなくなり、笑ってはいけない事になります。ちゃんと辻褄は合わせているわけです。会議室の決定では辻褄はあっているのですが、この決定に関しての説明は十分でないと感じています。医師とは言え高齢化すれば能力は落ちます。矍鑠たる医師も存在しますが、マスとして考えれば絶対的に落ちます。また落ちる分の能力を補う技術革新が為されたとも聞いた事がありません。

女性医師の労働係数も0.7から1.0に上る根拠に乏しく感じます。検討会の結論は労働係数を上げるための施策を求めるではなく、2006年の時点でも1.0であるとの結論です。女性医師が男性医師に較べて、個人的な能力はともかく、育児等でどうしても及ばない部分があるのは言うまでもありません。それが8年間で不利な条件を自助努力で克服してしまったと結論するのはかなり強引な印象です。だいたい1.0になっているのであれば、女性医師の活用論自体が噴飯物の施策とも言えます。

新研修医制度の解釈変更もなかなかです。2006年といえば新研修医制度が始まって3年目です。戦力外の制度として設計された研修医が、これを分析すると1人前の戦力であると判断し、指導医も研修医を指導してもまったく負担にならないので戦力に含むと判断したになります。かなり強引な解釈変更と感じるのは不合理でしょうか。

印象としては1986〜1998年までは医師過剰論が絶対の前提で、医師数の推測は様々な少なく見積もる計算を講じても過剰になるは明らかで、だからさらなる医師抑制が必要であるとしています。しかし2006年は違います。医師数の推測は限界目一杯の数に突然変更されます。まるで予備役どころか後備役まで総動員し、さらにパリパリの新兵まで1人前の戦力として数えて増やしています。その上で匿名希望様が長谷川レポートのおもしろい個所を抜粋してくれています。

曰く「新たな予測によると、日本の国全体としては医師は当面不足気味であるが、医師の供給の伸びは需要の伸びを上回り、2020年ごろまでに均衡し、その後も需給バランスは全体としては改善が続くと予想される。ただし、20年以上も先の未来の予測は突発的不確定要素がありえるため断言するのは難しい。」

翻訳すると「今後20年は足りないと予測されるよ」

曰く「病院と診療所に分けて推計すると、病院において医師の不足の傾向が深刻となると予測されるが、同時に診療所医師は増加が見込まれ、外来総数の増加は期待できないことから、病院の外来を診療所に移行するか、医師を病院に引き止めなければ、診療所に勤務する医師は過剰となる危険が高い。併行して、病院診療において、入院医療の生産性を高め、病院における必要医師数を減少させてバランスを改善することが必要と考えられる。
また、今医学部定員を増やしてもその効果は早くとも十数年後にしか認められず、実質的な現場への数量的効果はさらに10年を要する。医学部の教育に(略)必要だからである。しかし、現在及びこれからの15年間は病院医療を中心に、需給がひっ迫する。」

翻訳すると「ちゃんとした手を打たないと今後15年間は医師の不足は特に病院において大変深刻な事態になるよ」

1998年の試算に比べ2006年の長谷川レポートは、前提の医師数をあれだけ水増ししてもはっきり「足りない」と報告している事になります。予備知識が無いと読み取るのは難解ですが、過去の検討会の流れとはまったく別の状況観察が行なわれている事が分かります。


長谷川レポートは私も含めて多くの医師が酷評してきましたが、よく読むと重大なポイントを示唆しているとも考えられます。それこそ行間を読むぐらいの注意力が必要なんですが、レポートの組み立てと言うか構成なんですが、

  1. 予測医師数の見積もりを誰でも不自然に感じるように可能な限り水増ししている。
  2. 医療需要の計算根拠は不明だが、医療需要を満たす医師数はいない。
  3. 水増ししても足りないから明らかに医師不足だ。
こういう事を間違い無くレポートしています。これも匿名希望様からの御指摘ですが、長谷川レポートの18ページに
見てお分かりのように医師不足のための対策を提示しています。このうち入院需要の削減として、

入院を要する疾患は重症度が高く、根本的な予防対策なしに減少させることは一般に難しいと考えられる。ただし、今後の入院の増加分が主として高齢者の手術入院であることを考えると手術適応を厳密化し、真に必要な手術に絞り込むことで入院需要も適正化し削減できると考えられる。

高齢者の手術の抑制を明記しているのも確認できます。読み取るのは厄介ですが、長谷川レポートは御用会議の命題である「医師は余っている」の結論に副いながら、実は不足しているとのメッセージを書き込んでいるとも解釈できます。足りていないのメッセージシグナルが冒頭部に近い医師の推測数の前提条件の強引な変更とも考えられます。

ただよく御存知のように全体は「足りている」と言うか、現時点では一時的に逼迫するがやがて過剰になるとの報告にまとめています。そういう結論にしたのは本気でそう考えた可能性も否定できませんが、そういう結論にする命題を与えられていた可能性もまた大です。個人的には与えられた命題の中で、なんとか「足りない」のメッセージを盛り込んだとも読める可能性を示唆するとしておきます。

検討会の結論はこれも周知の通り、現在の医師不足の分析については「偏在」として片付け、将来の医師過剰の結論に重きを置いてのものになっています。検討会が重視したのは、

    医師の供給の伸びは需要の伸びを上回り、2020年ごろまでに均衡
2006年から14年後に均衡化し以後過剰になる予測かと考えます。この重視した分析に付け加えられた、
    20年以上も先の未来の予測は突発的不確定要素がありえるため断言するのは難しい
こちらは軽視ないし無視されたと考えるのが妥当で、それよりも
    また、今医学部定員を増やしてもその効果は早くとも十数年後にしか認められず、実質的な現場への数量的効果はさらに10年を要する。
つまり現在は若干の不足を認めるが14年後には均衡状態に達する予測ですし、現在の不足を補うために医師養成数を増加しても、その効果が現れるのは医師過剰に転じる時期であるから無駄であるとの結論かと思われます。予測がいかに難しいかは2006年のこの検討会の8年前の上記した検討会では「これでもか」の過剰予想を行い、8年後に外れていた事でもわかります。

2006年時点でも医師の滅私奉公意識は永遠に不変であるとの前提があったであろうと考えています。これがたかだか2年で大きな流れとして変化しつつあるのも「突発的不確定要素」の一つかもしれません。長谷川レポートの「突発的不確定要素」は足りないように予測が変わる可能性を示唆しているように読めないこともありませんが、検討会の結論は余る方に受け取ったのかもしれません。

今となっては些事ですが、医師の医療供給能力と患者の需要予想の解析手法を考え直す教訓にはして欲しいところです。未来予測はどの程度の信頼性で扱うのか、医師養成数は短期には左右できませんから「突発的不確定要素」も含めて長期ビジョンでどう考えるのか。さらにそれらの根本として日本はどういう医療体制の整備を目指して進むべきなのかの思想と言うか哲学です。

医師の需給の検討会は経緯を読む限り、帳簿上の数合わせの考え方に終始したのが問題のように感じています。そういう手法もあるのですが、現在の状況からすれば実情に合ってなかったと言っても良さそうです。もっとも今までも、またこれからも将来を見た明確なビジョンが出てくるとは思えず、たとえ出てきてもそれを強力な指導力で推進する人物ないし機関は期待薄です。医療には医師と患者の関係以外にこれを大きく左右する因子が余りにも多いからです。

一つだけの希望は国策である医療を最後に左右するのは国民であるという事です。そこしか希望がないのも辛いといえば辛いところで、国民は良質の医療を望みますが、そのための代償はやはり渋ります。誰だって負担増加は喜ばないからです。しばらくは混迷の時代が続くとしなければならないようです。


■訂正

新研修医制度による研修医と指導医を戦力外に見なす影響につき僻地外科医様から指摘を頂きました。新研修医制度が始まったのが2004年度からで医師数抑制効果が一つのピークに達しているのが2006年と考えます。2006年は厚労省資料によると、

    総医師数:27万7927人
    勤務医数:16万8327人
    開業医数:9万5213人
2年間の研修医を15000人、指導医が5000人、自然減を7000人とすると、
    総医師数:9.7%減
    勤務医数:16.0%減
あくまでも概算ですがこの程度の削減効果になっているとした方がより正しい事になります。私の勘違いによる計算ミスがあった事を深くお詫びします。