「今後の医学部入学定員の在り方等に関する検討会」てなものが設置されているようです。とりあえす委員の方々を御紹介しておきます。
氏名 | 肩書き |
安西 祐一郎 | 慶應義塾学事顧問 |
今井 浩三 | 東京大学医科学研究所附属病院長 |
片峰 茂 | 長崎大学学長 |
木場 弘子 | キャスター、千葉大学特命教授 |
栗原 敏 | 社団法人日本私立医科大学協会副会長、慈恵会医科大学理事長・学長 |
黒岩 義之 | 全国医学部長病院長会議会長、横浜市立大学医学部長 |
桑江 千鶴子 | 都立多摩総合医療センター産婦人科部長 |
坂本 すが | 社団法人日本看護協会副会長 |
妙中 義之 | 独立行政法人国立循環器病研究センター研究開発基盤センター長 |
竹中 登一 | アステラス製薬株式会社 代表取締役会長 |
丹生 裕子 | 県立柏原病院の小児科を守る会代表 |
永井 和之 | 中央大学総長・学長 |
中川 俊男 | 社団法人日本医師会副会長 |
中村 孝志 | 京都大学医学部附属病院長 |
西村 周三 | 国立社会保障・人口問題研究所所長 |
濱口 道成 | 名古屋大学総長 |
平井 伸治 | 鳥取県知事 |
森 民夫 | 新潟県長岡市長 |
矢崎 義雄 | 独立行政法人国立病院機構理事長 |
山本 修三 | 株式会社日本病院共済会代表取締役社長 |
注目するほどでは無いかもしれませんが、医師の需給に関する検討会報告書(2006)で「座長」を務められた矢崎義雄氏が、ここでも名を連ねてられるのは興味を引きます。独立行政法人国立病院機構理事長ですから委員になられても不思議は無いのですが、まだ理事長の席に御健在である事が確認できます。1938年生まれですから、今年73歳になられるかと思うのですが、理事長には定年はどうやら無いようです。
さて医学部定員の話となると、これまではどうであったかを確認しなければなりません。これを調べなおすのが厄介だったのですが、私の確認できる範囲でまとめてみると、
年度 | 医学部定員数 | 備考 |
1950〜1960 | 2900 → 2840 | ・1948年「医学部、新制大学に移行」 |
1960〜1965 | 2840 → 3560 | ・1961年「国民皆保険制度」 |
1965〜1970 | 3560 → 4380 | ・1970年「医師数を人口10万人対150人にする政府決定」 |
1970〜1975 | 4380 → 7120 | ・1973年「経済社会基本計画(一県一医大構想)閣議決定」 |
1981〜1984 | 8280 | ・1982年「医師数抑制を閣議決定」 |
1985〜1998 | 8260 → 7640 | ・1986年「将来の医師の需給に関する検討委員会報告」 ・1987年「医師数を抑制する旨の閣議決定」 ・1994年「医師需給の見直し等に関する検討委員会報告」 |
1999〜2002 | 7630 | ・1998年「医師の需給に関する検討会(1998)報告」 |
2003〜2007 | 7625 | ・2006年「医師の需給に関する検討会(2006)報告」 ・2006年「新医師確保総合対策」 ・2007年「緊急医師確保対策」 |
2008 | 7793 | ・2008年「経済財政改革の基本方針2008を閣議決定」 |
2009 | 8486 | ・2009年「経済財政改革の基本方針2009を閣議決定」 |
2010 | 8846 | ・2010年「今後の医学部入学定員の在り方等に関する検討会設置」 |
大雑把に言うと、1970年の一県一医大構想で1981年に8280人まで増えていた医学部定員は、1982年の医師数抑制の閣議決定により、2003年には7625人まで削減されています。これが2008年から急増し、2010年には8846人まで増えています。医師数が抑制された源流は、1982年の閣議決定に決定的な影響及ぼした土光臨調であると考えられ、さらにその源流として厚労省(当時は厚生省)で大きな影響力を持ったとされる吉村仁氏の活躍を示唆する意見も数多くあります。
こうやって見てもらえればお判りの通り、当たり前と言えば、当たり前ですが、医学部定員の増減はすべて政府の決定により方針が定められています。もちろん大学定員の許認可は文科省(その以前は文部省)管轄でありますが、どう見ても、文科省の判断で医学部定員が左右されるというより、政府レベルの決定として推移してきた歴史があると判断して良さそうです。
一県一医大時代の意思決定がどういうメカニズムであったかは残念ながら調べられませんでしたが、1982年の閣議決定以降は比較的分かりやすい構図になっています。これは医学部の定員だけではなく、それ以外の多くの政策決定に用いられた手法で、
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政府が決めた結論を有識者による御用会議で裏打ちする
ここで御用委員は「腑抜けか!」のお怒りの声も出てくるところですが、御用委員も本職で政府ににらまれると、自分だけではなく自らが属する組織に「江戸の仇を長崎で討つ」式の報復が強く懸念され、ある程度以上は抵抗できないシステムになっています。経済財政諮問会議があれだけの強権を政府に揮えたのは、委員が与党のスポンサーと言う別格の地位に居ただけの事です。その他の殆んどの御用委員では徹底抗戦など夢と思えば良いと思います。
医師数抑制政策は1982年に始まっていますが、閣議決定の下で開かれる医師数に関する検討委員会の結論など決まっています。会議のテーマは、どれだけ医師数抑制が妥当な政策であるか、またこれを推進していく事がいかに合理的であるかの理論付けにのみ腐心する事になります。医師数抑制の閣議決定の下で開かれた検討会は全部で4回です。
- 1986年:「将来の医師需給に関する検討委員会」
- 1994年:「医師需給の見直し等に関する検討委員会」
- 1998年:「医師の需給に関する検討委員会」(1998)
- 2006年:「医師の需給に関する検討委員会」(2006)
つまり誰か1人が基本と言うより、決定の需要予測を作り出し、検討会はこれに賛同する方式を取ります。私が調べた範囲でこの統計資料を作った人物は、
- 1994年:開原レポート
- 1998年:井形レポート
- 2006年:長谷川レポート
長谷川レポートに関しては、ちょうど医療崩壊減少現象の初期に登場し、私も含めて袋叩きにした経緯があります。ところが、よくよく掘り起こしてみると、もっともエゲつないレポートは井形レポートである事が確認されています。前にもやったのですが、もう一度引用しておきます。引用の前にですが、井形レポートでは女性医師の労働係数を0.7とし、医師の定年を70歳にした上で、まず大目標として、
医師数の適正化の目標としては、高齢者人口のもっとも多くなる平成32年(2020年)において需給の均衡が達成され、かつその後の供給医師数と需要医師数との乖離についても抑制が可能になるよう、新規参入医師を削減する。具体的には、削減率を次第に高め、最終的には上に述べた時期を目途に現在の新規参入者の概ね10%削減を目指す。
今回の目標値は、これまでの入学定員の10%削減目標(現在迄の削減率7.8%)の未達成部分の達成を含めて考えられており、適正化対策を進めるにつき、従来の目標の達成が当検討会の第一に要請するところ。
ここを具体的に計算しておくと、
- ピーク時8280人の定員の10%削減を達成し、7640人(1998年当時)を7450人まで減らす。
- それでも余るので7450人をさらに10%削減し、6700人に減らす。
臨床研修の充実は、新規参入医師に対する10%削減目標とは別に、実質上総医師数に対するおよそ5%の削減効果がある。
この「臨床研修の充実」は後に新研修医制度して現実化しますが、具体的な5%削減効果として、
井形レポートを擁護しておくと、今とは医療界の空気が全く異なっていた事を指摘してかないといけません。当時は当たり前ですがネット以前の時代であり、情報と言っても断片的なものしか入手できない時代でした。今よりマスコミや厚労省が信用されていた時代ですから、そこから医師がもうすぐ余ると言われれば、そのまま信じる医師が圧倒的な多数派であったとしても良いかもしれません。
私も怪しい記憶ですが医師数が人口10万人対200人を越すと大変な事になるとの情報が流れ、誰もそれを疑問に思わなかった時代と言えば笑われるでしょうか。そういう時代の空気を濃厚に反映したのが井形レポートであり、そのレポートに誰一人疑問を差し挟まなかったとすれば良いかもしれません。まあ、疑問を差し挟む前に井形レポートの原文を読んだ人間が、そもそもどれぐらい居たかが疑問で、殆んどの医師は「とにかく過剰になりそうだから医師数は抑制しなければならない」ぐらいであったとしても良いでしょう。
これに対し、最初にウォッチャーに発見されたがために、クソミソに言われた長谷川レポートですが、これは匿名希望様のコメントですが、
曰く「新たな予測によると、日本の国全体としては医師は当面不足気味であるが、医師の供給の伸びは需要の伸びを上回り、2020年ごろまでに均衡し、その後も需給バランスは全体としては改善が続くと予想される。ただし、20年以上も先の未来の予測は突発的不確定要素がありえるため断言するのは難しい。」
翻訳すると「今後20年は足りないと予測されるよ」
曰く「病院と診療所に分けて推計すると、病院において医師の不足の傾向が深刻となると予測されるが、同時に診療所医師は増加が見込まれ、外来総数の増加は期待できないことから、病院の外来を診療所に移行するか、医師を病院に引き止めなければ、診療所に勤務する医師は過剰となる危険が高い。併行して、病院診療において、入院医療の生産性を高め、病院における必要医師数を減少させてバランスを改善することが必要と考えられる。また、今医学部定員を増やしてもその効果は早くとも十数年後にしか認められず、実質的な現場への数量的効果はさらに10年を要する。医学部の教育に(略)必要だからである。しかし、現在及びこれからの15年間は病院医療を中心に、需給がひっ迫する。」
翻訳すると「ちゃんとした手を打たないと今後15年間は医師の不足は特に病院において大変深刻な事態になるよ」
井形レポートが医師が存分に余るという楽天的なものであったのに対し、かなり苦汁に満ちた結果を出しています。他も紹介すると長くなるので1/28付CBニュース(Yahoo !)に進みます。
医師需給見通し「長谷川データ」を反省−文科省・医学部定員検討会で同氏
文部科学省の「今後の医学部入学定員の在り方等に関する検討会」(座長=安西祐一郎・慶応義塾学事顧問)は1月28日、2回目の会合を開き、有識者ヒアリングを行った。この中で、長谷川敏彦・日本医科大主任教授は、自身がまとめた医師の需給推計(「日本の医師需給の実証的調査研究」2006年)について、「頭数の推計にすぎなかった」などとする「反省」を表明した。推計は「長谷川データ」と呼ばれ、厚生労働省の資料などに多く用いられてきたが、「現場の実態と異なる」などと批判されていた。
長谷川氏の「3つの反省」は、(1)需要の予測はすべきでなかった(2)頭数の推計にすぎなかった(3)個々の医師のキャリアパスを考慮していなかった―というもの。推計について、「需要の予測は不可能で、どこの国もやっていない」「超高齢社会にどのようなケアが必要で、どのような医師がどのくらい必要かを考えるべきだ」などの指摘を受けたことを説明。当時の方法論を踏まえたものとしては「最も精緻だった」としたものの、社会や医療の変化を受けて考え方を変える必要があると述べた。
その上で、今後の需給は高齢化や医師のキャリアパスを踏まえて考え、「数の議論だけでなく、医師のキャリアを支える総合的政策を同時に施行することが必須だ」などと総括した。また、現在の医師不足と未来の過不足は、分けて考える必要があると指摘。すぐにも対策を要する現状に対しては、▽中国医科大日本語課程の卒業者を招聘する▽歯科医師を再教育する▽逆紹介やチーム医療など、医療の役割分担を推進する―などを提案した。
長谷川氏も可哀そうなものです。
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推計は「長谷川データ」と呼ばれ、厚生労働省の資料などに多く用いられてきたが
項目 | 井形レポート | 長谷川レポート |
作成 | 1998年 | 2006年 |
医師の係数 | ・女性医師は0.7 ・医師は70歳定年 |
係数、定年とも廃止 |
医学部定員 | 7640人を6700人に減らす | 不足の可能性あり増やすことも必要 |
さらなる医師抑制策 | ・研修医を計算外にする ・指導医も計算外にする |
むしろ増加策を提案 ・医学部定員増(ただ時間がかかる) ・外国からの流入 ・他職種からの短期養成 |
井形レポートに従って新研修医制度が導入されたと考えてもよく、結果として新研修医制度が医療崩壊への最後の引き金であったのは説明の必要もありません。一方の長谷川レポートは、井形レポートによる医療崩壊が顕在化した時点で発表され、レポートの有無に関係なく、医師不足の現実を認識し、医師数増加へ政策転換がなされています。
言ったら悪いですが、新研修医制度は今となってはこれを「失敗」とか「医療崩壊の引き金」とするわけには行かず、そのために実質として影響の少なかった長谷川レポートを槍玉に挙げて満足しているように見えます。長谷川氏が言う
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当時の方法論を踏まえたものとしては「最も精緻だった」としたものの、社会や医療の変化を受けて考え方を変える必要があると述べた。
医療崩壊に熱中し始めた初期の頃は、たまたま見つかった長谷川レポートこそが諸悪の根源と私も考えていました。当時の認識はとにかく医師が不足しているというのに、足りているの報告を医師の需給に関する検討会が行い、さらにその典拠が長谷川レポートであると見なしたからです。また長谷川レポートと言うより、医師の需給に関する検討会報告を基に時の政府が答弁した事に逆上に近い反応を示したのは間違いありません。
ただその後に情報は数多く蓄積されました。蓄積の成果が上記した年表になりますが、別に長谷川氏が延々と医師抑制政策のデータ部分の担当者であったわけではありません。たまたま順繰りで2006年の担当者になっただえです。
御用会議の「結論ありき」の凄まじさは今さら説明の必要もありませんが、任命された委員と同様にデータ作成者にも強烈なプレッシャーがかけられるのは周知の事です。なんと言っても2度に渡って閣議決定された医師数抑制政策ですから、この基本政策からはみ出す事にどれだけの制約が課せられていたかは想像に余りまります。
「それでも」の批判を部外者からするのは容易ですが、実際に中の人として可能かと言われれば私だって「長いものには巻かれろ」の対応を行う可能性は大です。政府と言うか国家に、公式の場で逆らう勇気は残念ながら持ち合わせていません。もっとも、そういう場に呼ばれる可能性自体が無いと言われればそれまでですが。
そこまで考えると長谷川レポートは、それまでの3回に較べると、制約された条件の中で、医師不足による医療の危機感を精一杯盛り込んでいるとの評価は可能です。悪意に取れば、何か言われた時の遁辞にもなりますが、それでも従来のレポートに較べると、医療の危機への警鐘が盛り込んでありますし、それが薄められてはいますが、報告書の中にも一部反映されています。
ただなんですが、この手の御用会議の報告書には反対意見も実は盛り込まれてはいます。しかしこれは無視されます。時と場合によりけりでしょうが、報告書自体を主管大臣なり、ましてや首相が読むことは稀と考えています。主管大臣なら読む機会はまだあるかもしれませんが、首相に至ってはそんな余裕は殆んどありません。聞くのは報告書の要点をまとめたレクチャーだけです。
主管大臣とて、報告書の本文は読む可能性があるとしても、長谷川レポートまで読んだかといわれれば、大いに疑問が残ります。また主管大臣が読んでも、その解釈は官僚が必ず補足すると考えるのが妥当です。結局のところ、ありき結論以外の参考意見はバッサリ無視されると考えられます。忙しいですからね。
私は思うのですが、今回の長谷川氏の糾弾は、単なる茶番劇以外の何者でもないと見ています。長谷川レポートは医師の間で有名で、医療崩壊の奥義書とまで酷評されている面があります。この象徴的な長谷川レポートを叩く事でポイントをあげようの意図しかないと見ています。結果的な被害の大きさとしては、その前の井形レポートの方が遥かに大きいと考えますが、こちらを叩くと新研修医制度に飛び火しかねないからです。
それと「今後の医学部入学定員の在り方等に関する検討会」と言う御用会議に課せられた命題は何かになります。誰でも思いつくのは、
- さらに既存の医学部定員を増やす余地の検討
- いわゆる地域枠の拡大
- 新設医学部認可の裏書
長谷川氏の失策は将来予測の計算のうちで医師不足を予測しながら、これを強力に主張しきれなかった点です。これじゃ、わかりにくいですね。え〜と、将来の医師不足が問題になった点で政策転換が為され、さらに医師抑制政策のツケが自分に回される事を予測できなかった点になるでしょうか。将来に舛添氏のような厚労大臣が就任して閣議決定を覆し、さらに政権交代が起こって前政権を叩きまくる時代が訪れる将来予測です。
それでも御用委員会がありき結論を出し、これが実害をもたらした時に、なんらかのペナルティを行う事自体は、審議の緊張感を高める上で有用とは思います。有用とは思いますが、ペナルティがあるとなれば、今度は御用委員会に有識者が出席されるでしょうか。とくに将来予測は、予期できなかった新しい社会的変化が大きく影響します。
現在ある事象は将来予測に盛り込めても、新たに起こる社会的変化まで予測するのは困難と言うより無理です。たとえば、ほんの10年前にネットがこれほどの社会的影響力を持つようになると、どれ程の人間が予測できたかです。それが出来なければ、今後はペナルティが課せられる先例を作ったと言う事です。
この「今後の医学部入学定員の在り方等に関する検討会」でも、何らかの将来予測が行なわれるはずです。それを誰かが作成するはずです。これがハズレであったときに、どこが政権を握っているかが一つのポイントだと思います。民主政権であれば「予測できない社会情勢の変化」でチョンでしょうが、政権が変わっていれば、
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「現場の実態と異なる」などと批判されていた。