「将来の医師需給に関する検討委員会」最終意見の要約

ssd様が発掘してくれた資料です。これを読む前に平成18年7月に出された医師の需給に関する検討会報告書から引用します。

昭和59年5月に「将来の医師需給に関する検討委員会」が設置され、昭和59年11月に中間意見が、昭和61年6月に最終意見が取りまとめられた。その内容は、昭和100(平成37)年には全医師の1 割程度が過剰となるとの将来推計を踏まえ、「当面、昭和70(平成7)年を目途として医師の新規参入を最低限10%程度削減する必要がある。」というものであった。旧厚生省はこれを受けて、医学部の入学定員の削減について関係各方面に協力を求めてきた。

将来の医師需給に関する検討委員会は昭和59年(1984年)に設置され、昭和61年(1986年)に最終意見を出しています。ちなみにそれ以前は昭和45年(1970年)に人口10万人当たりの医師を150人するのを目標に医師養成が行われ、昭和59年に目標を達成しています。つまり人口当たりの目標数が達成された時点で医師養成の抑制に転じた事になり、医師養成抑制の根拠として「将来の医師需給に関する検討委員会」が行なわれたことが分かります。

その結果、平成5年には医学部入学定員は7,725 人(削減率7.7%)となったが、当初目標の10%削減には達していない状況にあった。平成5年8月には「医師需給の見直し等に関する検討委員会」が開催され、平成6年11月に意見を公表した。その中で、将来の医師需給について推計を行ったところ、将来医師が過剰になるとの推計結果を得たため、「若干の期間をおいて推計値を検証して、必要であるとすればその適正化のための対策を立て、できるだけ速やかに実行することが望ましい」と提言された。

平成6年(1994年)に「医師需給の見直し等に関する検討委員会」が医師養成の抑制が不十分であるとの結論を出して「将来の医師需給に関する検討委員会」の方針をさらに推し進めた事が確認できます。

平成9年6月に医師数を抑制する旨の閣議決定がなされたことから、平成9年7月新たに「医師の需給に関する検討会」を設置し、平成10年5月報告書を公表した。これによると、医師の需給に関する認識としては、「地域的にみて医師の配置に不均衡がみられるものの、現在の医師数の状況は全体としては未だ過剰な事態には至っていないが、診療所医師数の増加がある程度続いた後は医師の過剰問題がより一層顕在化し始める」というものであった。

さらに平成10年(1998年)に「医師の需給に関する検討会」は医師は過剰になるとの報告をさらに行なっています。その延長線上で平成18年(2006年)の「医師の需給に関する検討会」報告書は、

医師の養成には時間がかかること、また、多額の国費が投入されていることを踏まえれば、医師数が大きく過剰になるような養成を行うことは適当ではない。

まとめてみると

  1. 1984年:人口10万人あたり150人の医師数を達成し、「将来の医師需給に関する検討委員会」設置。
  2. 1986年:「将来の医師需給に関する検討委員会」の決定に基づき医師養成数の抑制を決定。
  3. 1994年:「医師需給の見直し等に関する検討委員会」が抑制方針を確認。
  4. 1998年:「医師の需給に関する検討委員会」が抑制方針を再び確認。
  5. 2006年:「医師の需給に関する検討委員会」が増加方針を基本的に否定し、「足りているが偏在がある」と主張。
1986年からほぼ現在に至るまでの約20年間にわたり4回の検討委員会を行い、一貫して医師養成の抑制方針を確認しながら続けていた事になります。大元は1986年に出された将来の医師需給に関する検討委員会の結論になります。その後の3回の検討委員会は基本的に「将来の医師需給に関する検討委員会」の結論を後追い確認しているだけとも考えられます。

「将来の医師需給に関する検討委員会」で中心となった意見は、

  1. 21世紀に向けてゆるぎない保健医療供給体制を確立するためには、医師過剰を招かないよう所要の措置を講じる必要がある。
  2. 本委員会の医師需給バランスの将来推計によると、昭和100年(2025年)には医師の一割程度が過剰となると予想される。
  3. この将来推計は、医師過剰については控えめなものであり、この点と医師数の抑制に要する時間を考慮すると、当面、昭和70年(1995年)を目途として医師の新規参入を最小限10%程度抑制する必要がある。

現在大きな問題となっている地域医療のついての考え方は、

 地域医療には、一般の地域における医療と、へき地医療や救急医療のような特別な対策を必要とする医療があり、後者においては、まだ医師不足が言われているものの、前者については近い将来医師の過剰が予測されている。

 一般の地域における医療について、本委員会は都道府県衛生部長へのアンケート調査を行ったが、そこでは、医師数の現状についてはまだ不足しているものの、将来に医師が過剰になるとの認識の下に、これに対応するためには公的介入が必要であるとの見解が示された。

 昭和60年(1984年)12月に医療法が改正され、医療圏毎の必要病床数の算定が行われる事になったが、これはそこに吸収される医師数の問題にもつながってくるため、本委員会としても医療計画が今後の各地域における医師の需給関係にどう影響を与えるか関心を寄せている。

 また、へき地医療、救急医療の問題については、単に医師数を増加させれば解決できるものでないことを再確認した上で、医療計画による地域間の医療格差の是正ののほか、へき地にも有能な医師が赴任し、充実した医療活動を行ない得るように各種条件を整備すること等により、へき地医療施策が今後も積極的に推進されることを期待する。

またこの時には珍しく「諸外国の状況」の報告が加えられており、  

 そうした中で浮かびあがってきたのは、先進諸国では共通して、1960年代まで医師不足の認識をもって養成力の拡大に努めてきたが、養成数が急増した1980年代には一転して医師過剰に悩んでいるという事実である。ことに、イタリア・オランダ・西ドイツ等の状況は深刻で、低モラルの医師(悪貨)が良貨を駆逐する一方で、国民医療費の不必要な増加、開業医の経済的不安定、若手医師の失業など、我が国が決して踏襲してはならない前車の轍が明らかに認められるのである。

非常に趣深い観察です。もう一つ「医療経済と医師数」なる項目があります。

  1. 医師数の増加は医療供給の増大を招き、その結果、国民医療費の対GNP比を次第に増加させることになるが、この比率をどう評価するか。
  2. 国民医療費の対GNP比をこれ以上増加させることが出来ないとした場合に、医師数の増加は、医師所得を低下させるが、これをどう考えるか。
 1.については、中間意見でも述べたように、医師数の増加が医療需要を生み出すという傾向は否定できない事実であり、医師数の増加に伴う医療費の増嵩についての影響は、病院勤務医1人当たり年8000万円、開業医1人当たり年6000万円になるという試算もある。また、医師数の増加は、医師1人あたりの患者数の減少によって、1人当たりの診療時間が延長するという良い面もあるが、一方で、過剰診療を触発し、1件当たり診療費を増加させるという方法で収入減を補って、所得が大きく低下しないようにすることが起こりかねないのである。

 このように、国民医療費の激増を招かないためにも、また医療の質の確保という面からも、医師過剰状態を生じさせない対策が求められる。

 2.については、医師所得の適正水準についての経済学的な結論をだすことは困難であるが、その業務環境の厳しさや他職種と比べものにならない程長期の専門教育・訓練を受けなければならない期間を考慮すれば、一般勤労者より高めであっても不合理でなかろう。これまで、医師の高所得が、若い進学希望者の進路決定に際して一つの大きな魅力として働き、結果的に医科大学・医学部に資質の高い学生が進学する比率を高めてきたことも否定できない。この点を考えると、医師急増による医師所得の急激な減少は医療を受ける立場からも、望ましいこととは言えない。

もう一つ視覚的な参考資料として医師の供給と患者の需要のグラフが添えられています。

詳しくは原資料を読んで頂ければ幸いですが、S1とS2は将来の人口10万人あたりの医師数で、D1〜D3は患者の需要予想です。これだけ見ても「医師は余る」が直感的に感じ取れる出来栄えです。


ここでなんですが、おぼろげながら当時の事は覚えています。それこそどれだけの医師が原資料を読んだかは不明ですが、「医師が余る」は当時の医師の誰もが多かれ少なかれ信じていました。今よりこういう審議会や検討会の権威は高く、また議事録どころか報告書さえ入手が非常に困難な時代のことですから、そう言われれば鵜呑みしていたのは間違いありません。なんてったってあの「マスコミ」さえそう報道していたからです。疑う余地などなかったと言うことです。

ただ当時の判断を一概には責められないかと考えています。「将来の医師需給に関する検討委員会」は昭和100年(2025年)の予測までしているわけですから、そんな先の予想が外れた事は現実として不幸ですが、だから「アホンダラ」とは安易に言えないと言うことです。最初の「将来の医師需給に関する検討委員会」よりも、その後に行なわれた3回にわたる見直し検討委員会で修正されなかった事のほうが重大な誤りと感じます。路線修正のチャンスは1986年から2006年までの間に3回もあった事実は見ておかなければなりません。

もう一つ、日医の影響はどうであったかです。「将来の医師需給に関する検討委員会」が設置されたのは1984年ですが、当時はまだ日医の影響力はまだ強かったと考えます。武見元会長は1982年に日医会長を降りており、武見時代以降の日医が長期低落を続けているのは周知の事ですが、1984年時点では今とは比べ物にならない影響力はあったとしてよいかと思います。

「将来の医師需給に関する検討委員会」は読んでの通りと言うか、通説のとおり「医療費亡国論」がベースとして作成されています。ただ「医療費亡国論」は日医が主導したというより厚労省が主導したと考えて良いかと思います。「将来の医師需給に関する検討委員会」の趣旨は医師数の抑制ではありますが、医師数の抑制自体は開業医が主体である日医の権益を損ねないとの判断から便乗したと考える方が妥当です。

それとあくまでも推測ですが当時のいわゆる「医療費亡国論」は一定の説得力を持っていたと考えるのが妥当です。とくに誰もトンデモ理論と考えたわけではなく、納得できる有力な説として重視されて政界や日医も含めて賛同したと考えても良い様な気がします。さすがに当時の裏舞台を示す資料は容易に発掘できないですが、日医がこれを論破するために精力的に反論したかどうかは怪しいところです。

日医の影響と言うか賛成が「将来の医師需給に関する検討委員会」の方向性に大きな影響を及ぼしたのは間違いないでしょうが、日医はその後、坂道を転げ落ちる様に影響力を低下させます。日医の影響力の低下が意味するのは、その後の見直し検討会では厚生省が主導権をガッチリ握ったという事になります。にも関らず基本方針の変更は行われていないと考えるのが妥当かと思われます。最新の2006年の「医師の需給に関する検討会」にどれほどの影響力が残っていたかは推して知るべしです。

資料を発掘してくれたssd様に感謝です。