周期的に生温かくウォッチングします

新聞業界の経営が「どうも苦しい様だ」のウォッチングは年間なり、年度の発表が出るたびにやっていますが、とりあえずは新聞協会データから再掲で、

新聞業の収入は販売収入、広告収入、その他収入の3つにすべて分類されます。販売収入については常に「押し紙」問題があるにせよ、ジリ貧とは言えドカ貧になっていません。2010年から2011年にかけてもたった93万3741部(総発行部数ベース、by 新聞協会)しか減っていません。内実はともかく公式データでもっとも影響が大きいのは広告収入の減少です。広告収入の動向が新聞業界の経営改善に大きなカギを握っているとして良いでしょう。

新聞協会データは例年9月頃でないと出て来ないのですが、この時期には電通データが出てきます。今年も2/23付プレス・リリースが確認できます。さてこの電通データなんですが、途中で集計方法が変わっています。具体的には、

  1. マスコミ四媒体広告費は、「雑誌」の推定対象誌を増加(専門誌・地方誌等を拡張)した。
  2. 「インターネット広告費」は広告制作費を推定した。
  3. プロモーションメディア広告費は以前のSP広告費の呼称を変更し、内訳を見直した。
  4. 「屋外」は以前の広告版・ネオンに屋外ビジョン・ポスターボード等を追加した。
  5. 「交通」は以前の鉄道・バスに空港・タクシーを追加した。
  6. 「折込」は全国の折込料を見直して推定した。
  7. 「DM」は以前の郵便料に民間メール便配達料を追加した。
  8. 「フリーペーパー・フリーマガジン」の広告料を推定した。

こういう改訂を2007年まで遡って行われているのですが、読めばわかるように新聞の広告料については同じ集計であるのが確認出来ます。これを踏まえた上で、2つほどグラフを作ってみました。前にも作った様な気がするのですが、まあ良いとして、

1990年代、正確には10年前の2001年までは1兆2000億円ラインで前後していたとして良いかと思います。これが2002年から一貫して減少傾向となり、2011年には6000億円を割り込んでいます。6000億円は新聞業界の売上からしても巨額なもので、「電通広告費 = 広告収入」ではないとは言え、2001年当時の新聞業界の総売上が2兆5000億円ぐらいですから影響は小さくありません。それと広告収入が減少した分をカバーできる収入源の確保も出来ている様に見えませんから、モロに10年間で失った収入として良いかも知れません。

それと広告費の減少は、広告媒体としての魅力を計る指標にもなると思います。広告主は自社の製品を売るために広告費を払います。魅力ある広告媒体には大きな広告費が払われるのは自明です。広告費全体の中の新聞広告費のシュアを次にグラフにします。

こちらは一貫して減少を続けており、1991年には23.5%のシュアがあったものが、2011年には10.5%でまで減少しています。ではでは新聞から逃げた広告費がどこに行ったかですが、
新聞だけが減ったのではないのですが、ネット広告費が見る見る伸びています。これも2007年ぐらいの伸びに較べると鈍化しているんじゃないかの見方も出てきそうですが、電通の解釈を引用しておきます。

2010年に堅調な伸びを示したインターネット広告媒体費は2011年に入っても伸長を維持していたが、3月の東日本大震災の影響により市場が一部停滞し、さらにモバイル広告市場においてはスマートフォン向け広告が拡大する反面、従来からのフィーチャー フォン向け広告が縮小したこともあり、市場全体としては前年をやや超える規模に留まった。

なるほどの分析です。携帯電話がスマートフォンに移行しつつあるのは目に見える現実ですが、移行に対する広告の対応のギャップが出ているです。ここも考えると、従来の携帯よりスマートフォンの方が新たな広告戦略を展開する余地も大きいと言えるので、来年以降のさらなる市場の拡大が予想できそうとも言えます。

そうそうこれもついでですが、上で「電通広告費 = 広告収入」でないとしましたが、連動性だけは示しておきます。

年度 新聞協会 電通 協会/電通
2005 7438 10377 0.72
2006 7082 9986 0.71
2007 6657 9462 0.70
2008 5655 8276 0.68
2009 4791 6739 0.71
2010 4496 6396 0.70

新聞協会の広告収入は電通データのおよそ7割ぐらいですから、2011年の新聞協会データは300億円減の4200億円程度になると予想されます。 後は「ありきたり」の分析ですが、広告主の願いと言うか狙いは購買の可能性のある人に広告を提供するです。それも同じ費用で可能な限り多くの人に広告を見てもらうです。エッセンスとしてあえて分けると、
  • 広告を見ると期待できる人数(閲覧者)
  • 見た人の中で広告したい人の人数(購買期待者)
広告媒体にも特徴があって、購買期待者はともかく閲覧者が多い媒体もあれば、閲覧者は少なくとも購買期待者の率が高いものもあります。理想は「閲覧者 = 購買期待者」でありなおかつ「数が多い」ですが、ネット前はなかなか難しく、とにかく閲覧者が多く期待できるところの価値が高かったと思っています。

ネット広告は従来型の媒体に較べると、閲覧者の中から購買期待者を選ぶ機能が勝っていると言うか、勝る様に技術開発が日々行われています。またネットの普及率は現在ですら伸びており、かつてのようなネット人口の年齢・職業等による偏りが少なくなってきています。

一方で新聞はかつては字の読めるものなら家族中が読んでいたものであったのが、とくに若年層でシュアが急速に落ち、中年層も目減りしてきています。簡単に言えば閲覧者の高齢者へのシフトが強まっています。もともとはとにかく幅広い年齢層への閲覧が強みであったはずの新聞媒体が、年齢層の拡がりを失ってきているわけです。失った層の広告費は確実に新聞から失われます。これも電通分析なのですが、

東日本大震災直後、新聞社は編集優先の臨時報道体制をとったため、広告枠が消失した。一方、広告主は、自粛意識やサプライチェーンの寸断など広告出稿をキャンセルしたり延期せざるを得ない状況となった。その後は、震災お見舞いや震災復興支援関連の出稿があったものの、出稿中止分をカバーするまでには至らなかった。広告主の自粛意識による広告出稿の敬遠は、4月中旬あたりから企業広告を中心に徐々に緩和されていったが、商品の供給不足による商品広告出稿の延期は7月頃まで続いた。特に、自動車メーカー各社や飲料メーカー各社の新聞出稿の回復は遅かった。新聞広告費の増加要因となったトピックスとしては、節電、なでしこジャパン世界陸上、地デジ完全移行などが、広告出稿の呼び水となった。

大筋として去年の分析として間違っていないと思います。


ここでまた「ありきたり」の分析をさらに加えます。新聞広告を出すのには広告以外の意味もあるとされています。衰えたとは言っても新聞はまだまだ巨大な世論操作機関の面目を失っていません。新聞界が金太郎飴のように一斉にバッシング・キャンペインに突き進めば、一流企業といえども大きな打撃を受けますし、倒産だって十分ありえます。

新聞自体は閲覧者の高齢者シフトが強まっていますが、新聞が動けば他のメディア、とくにテレビが連動するのも大きなところです。この新聞業界からのバッシングを和らげるのに広告を出しておくのは「みかじめ料」として案外重く見られている面があるとされます。一種の安全保障です。そのせいかどうかは不明ですが、「みかじめ料」を期待できない業界へのバッシングは情け容赦が無く、なおかつ執念深くネタガレになるたびに繰り返されます。

新聞が広告媒体として揺るぎない地位にいた時代には、企業側も「みかじめ料」についてさしたる意識もなかったかと思っています。むしろ新聞の広告スペースをいかに確保するかの方が重要だった時代もきっとあったと思っています。それがほんの10年ほどで媒体としての価値は急低下しています。広告効果を純粋に評価すればコストパフォーマンスとして打ち切りたいが、無碍に打ち切ると報復が怖い関係とすれば良いでしょうか。

そういう状況下では漸次撤退と「なにか理由」があれば業界一斉の総撤退なんて事が起こります。漸次撤退策は目立たない様に、一斉の総撤退は「みんなで渡れば怖くない」です。これに対し、広告を止める業界、会社には見せしめのバッシングで食い止めるのが常套手段でしたが、余裕のない時代になっていますから、バッシング効果が空回りしたり、戻ってこなかったら本当に手痛い経営上の損失、場合によっては致命傷になりかねません。


これは私が漠然と思っているだけですが、バッシングは行うとしても、その効果の判定をどこで見るかの動向が問題になってきていると思っています。具体的にはバッシング効果を及ぼさせるところはもちろん世論ですが、世論をどこで見るかです。これがネットの反応になってきている様に感じています。いまやこれほど手軽に、素早い反応を見れるところはないと思います。

ネットは現在のところ、新聞のバッシングにかなり連動しています。しかし新聞のバッシングに必ずしも連動しない層が確実に増えています。ここで誤解無い様にしておきたいのですが、ここでのバッシングはあくまでも新聞界が作為的にバッシングを行なった時のものです。

少しでも作為を感じると猛烈に反発する層と、それに連動する層が年を追う毎に厚くなっている気がしています。この層の肥大化は当初の予想より遅くなっている感触はありますが、それでも確実に厚くなっています。ここも観測によって変わる部分はあるのですが、少なくとも一色ないしほぼ一色の反応にならなくなっているぐらいは言えるかと思っています。

バッシング効果の変化は新聞界の伝家の宝刀を錆び付かせる、もしくは錆び付いているんじゃないかの懸念を強めている観測をもっています。次に抜いた時に錆びついていたら、みかじめ料のお付き合い業界が一斉に逃げてしまう懸念です。


その点も考えると、ここ2年ほど新聞広告費の減少ペースが和らいでいるのは、

  1. それでも新聞広告が効果のある業界が残っている
  2. 経営危機への直面からあらゆる手練手管を使ってスポンサーをつなぎとめている
これぐらいは考え付きます。1.については、ここ10年の新聞広告の質の変化が傍証です。広告の質の変化はテレビCMにも強く現れているとされていますが、新聞の方が著明の感触があります。2.については、そりゃ、やっていると思います。それこそ社の命運をかけて、ありとあらゆる手段を使うのは当然かと思います。

実態が1.が主体であれば、とりあえず現時点ぐらいが底になりますが、2.の部分が大きければさらなる底を目指すかもしれません。いずれにしても生温かく見守る事にします。