私もそう思う

medtoolz氏の2/13付ツイートより、

顔本の、「僕の居場所はここじゃない」感はちょっと怖い。あの場の誰もが「いい自分」を書くから、場の平均値が恐ろしく高い気がして、自分の居場所がとんでもなく低いんじゃないかと思えてくる。で、すかさず「本気で開業したいあなたに」という広告がはさまる

念のためですが「顔本」とはフェースブックのことです。後半の開業広告の話はともかく前半部は唸ってしまいました。フェースブックと言っても私は参加していないのは前にも書いた通りで、知っているのはこれも前にも書いた高校の同窓会の時に勧誘材料として見せてもらっただけです。

あの時にはひたすら興味深かっただけですが、一通り読んで何とも言えない違和感が残っています。違和感の正体がなんであるか不明だったのですが、medtoolz氏のツイートでストンと腑に落ちたような気がします。これは感謝ものです。


違和感の正体はフェースブックのポジティブ感です。ポジティブであって悪い訳もないのですが、余りにもポジティブでそろい過ぎているのに違和感を抱いてしまったと言うところです。人間そういつもポジティブでいられる訳がないとすれば良いでしょうか。にも関らず足並みそろえたポジティブ感がどうにも気色悪いと言うかついて行けない感触を抱かせたです。

私が読んだのは限定的な部分であり、なおかつ同窓会と言う明瞭な主題があったので「たまたま」かもしれないはありましたが、実際に参加して、それなりに活動されているmedtoolz氏がそう感じるなら普遍的と解釈しても良さそうです。


リアル社会は実名と言うだけでなく実体による交流社会です。そこでは自分が何者であるかが常に問われる社会でもあると見ています。発言時にも自分が何者であるかを示し、相手が何者であるかを確認し、相手と自分の立ち位置を確認した上でなされます。つまり何者が発言するかへの注目度が高い世界であるの見方も出来ると考えています。

フェースブックは実名である事が最大の売りですが、実名で発言すると意識した瞬間にリアル社会の秩序が濃厚に反映されると解釈して良さそうです。発言に当たり、まず自分が何者であるかを示す作業です。匿名世界でもありますが、その比重が非常に高い世界の様に感じます。

ただネットの実名世界と言っても、リアル社会に較べると実体は遥かに不明です。リアル社会であっても自分が何者かを示す時に、相手に気が付かれない程度の見栄を張ります。少しでも自分を高く示したいの素朴な感情です。よくあるケースとしては奥様グループでの旦那自慢みたいなものでしょうか。旧友に久しぶりに会った時に、自分の現在の境遇を少し飾って言うなんかも良く聞くケースです。


そういう小さな嘘は実社会には幾らでもあります。別に悪いとも思っていませんが、そういう自分を何者かを示すための虚飾の度合いがリアル社会よりフェースブックの実名世界ではより強くなる傾向があるです。

高校の同窓会話で言えば、誰かがリアル生活の充実を書けば、そこには並んでおく必要があるの意識です。そこで見栄を張ったところで、誰かが詮索するわけでも無いので、人は自分を飾ります。さらには並ぶだけでなくチョットだけ上にいたいの心理が働く人も出てくると思います。そういう小さな見栄の張り合いでも積み重なれば、実体と大きな落差が生じます。

一旦積み上げた見栄は、フェースブックの中の実名であっても一つの実体と化します。結果としてリアル社会より度合いの強い虚飾の世界が出現しやすくなるです。


それがフェースブックである言えばそれまでです。そういう世界が楽しいと感じるか感じないかは、それこそ人それぞれですから、文句を言うのはお門違いだとは思います。それでも匿名世界との違いに少々驚かされます。

匿名世界でも自分が何者かは問われます。しかし匿名であるが故に、たとえば私が小児科開業医である事を示すのも容易ではありません。「そうである」としたところで自称に過ぎません。自分が小児科開業医である事を信じてもらうには、小児科開業医として認めるに足る発言を積み重ねるしかありません。小児科開業医らしい発言が認められてようやく「あいつは本当に小児科医らしい」と認知されます。

もう少し言えば、そういう自分が何者であるの証明自体が匿名世界では必ずしも重視されません。重視されるのは発言内容で、誰であれ信用できる発言を積み重ねるものを何者であれ認める世界です。その中で「あいつは小児科医らしい」とか「弁護士らしい」とかが附随して認識されるとすれば良いでしょうか。

フェースブック的な実名世界でも匿名世界でも嘘はありますが、嘘の質がかなり異なる様にも感じます。あえて単純化すれば、

    実名世界:虚飾のための嘘(小さな嘘)
    匿名世界:社会を欺くための嘘(大きな嘘)
実名世界では先に自分が何者であるかの立場を固める事になりますから、立場を踏み外した大嘘はつきにくく、立場に拠ったポジショントークの嘘の範疇に留まりやすいと思います。これに対し匿名世界の嘘は、立場へのこだわりが少ないですから、ポジションに縛られない大嘘がつけます。

嘘と真は裏表の関係にあり、小さな嘘しかつけない世界では小さな真しか得られませんが、大きな嘘がつける世界では大きな真も得られる可能性があるです。もっともどちらもメリット・デメリットありですから、優劣の問題でない事は明記しておきます。


一つ気になるのは、フェースブック的な実名世界を無闇に賛美される一部の識者がおられる事です。賛美したって構わないのですが、その延長線上で実名世界こそ「ネットの正しいあり方」みたいな主張を行われる方もおられます。個人的にはネットには様々な世界があるべきであり、様々な人間が自分の好みに合う世界を見つけるなり、新しく作っていけるのが最大の魅力と考えています。

匿名はもちろんですが、実名すらネットの中では単なる記号に過ぎず、ネット世界を構成する単なる要素の一つに過ぎないものです。ネットにリアル社会に近い世界を作るのも自由であり、リアル社会とは別の価値観の世界を作るのも自由です。なぜに一つの価値観、一つの鋳型に押し込もうしたがるのかの理解が難しいところです。


私は匿名世界の方が水に合っているようです。だからと言って実名世界を楽しんでいる方々に干渉する気はサラサラありません。なんとなく別の世界に干渉したがるのは実名にこだわる方の様な気がしますが、気のせいでしょうねぇ。