病院マジックボックス論の背景を考える

とりあえず8/13付読売新聞・北陸発

もう内容についての細かい批評は良いでしょう。個人的に病院マジックボックス論ぐらいに解釈しています。とにかく病院に押し込みさえすれば、ワラワラと人手と設備が無尽蔵に湧き出てきて、なぜか「なんとかなる」しか考えない主張です。廊下で寝かせても重病人が自動的に治療されるとか、ベッドにさえ寝かせれば治療は勝手に進んでいくと考える方々と同じです。

さてこの記事なんですが、体裁は寄稿コラム形式です。ここにどれだけの編集権(ついでに高度の創作性も)が加えられているかは推測しようもありませんが、寄稿者の名前が明示されていますから、惣万氏なる方の意見と今日は解釈します。

この惣万氏なんですが、記事での肩書きは「NPO法人理事長」となっていますが、具体的にはこのゆびとーまれと言うNPO法人によるデイケアサービス、グループホームサービスをやっておられます。ググってみると「富山型デイケアサービス」とも呼ばれ、高い評価を得ているようです。調べられた範囲ですが、

  • 1993年「93とやまTOYP大賞」魅力ある富山(まち)づくり部門受賞
  • 1994年 第一回NHKふるさと富山大賞受賞
  • 2001年 中日社会功労賞受賞。
  • 2002年 日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2003 総合2位
  • 2005年 男女共同社会づくりで内閣府総理大臣表彰
その筋では一種のカリスマみたいな存在の気配が窺えます。さてこの惣万氏の略歴なんですが、

昭和26年 生地町(現黒部市)生まれ。
富山赤十字高等看護学院卒業。
昭和48年から富山赤十字病院に看護師として勤務。平成5年 退職し看護師仲間と富山市富岡町で民営デイケアハウス『このゆびとーまれ』を開所、子供、お年寄り、障害者が一つ屋根の下で過ごす「富山型デイサービス」を始める。平成11年県内初のNPO法人となる。
現在、富山ケアネットワーク会長をはじめ、宅老所・グループホーム全国ネットワーク代表世話人富山大学非常勤講師を務めている。また 平成14年 日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2003 総合2位。平成17年 男女共同社会づくりで内閣府総理大臣表彰など、数多くの賞を受賞している。

略歴から1973〜1993年まで富山日赤で看護師として勤めていた事が確認できます。1993年に富山日赤を退職して現在のNPO法人を立ち上げたようですが、ここでポイントにしたいのは1993年で医療現場の最前線を離れた点です。離れてNPO法人を起した事は何ら非難の対象になりませんが、当然ですが医療現場の感覚は1993年の退職時のものの影響が大きいと考えるのが妥当です。

私ですらとしても良いと思います。病院勤務から開業してしまうと、病院の現場感覚は年とともに遠ざかります。こういうブログを書かせてもらっている関係から、なんとか新しい情報をかき集めて、そんなに遠くなっていないはずだと思ってはいますが、それでも現在の現場感覚の実感はどうにも自信が持ちきれない面があります。

私で開業してから8年ですが、惣万氏となると18年になります。デイケアも医療のうちには入りますが、病院医療の現場感覚はかなり遠くなっているとしても良いかと考えます。これは惣万氏が悪いと言うわけではなく、人間誰しもそうなるのが当然だと言う事です。そうやってできる感覚の乖離を埋めていくのは相当な努力が必要です。

趣味で必死で埋め合わせても、たった8年で差を感じるのですから、医療と言っても畑がかなり異なるデイケア分野に専念されているのですから、現在の医療現場、とくに救急現場の感覚は現役時代の体験部分が大きいとするのが妥当かと考えます。これは仕方がないと思います。



さて惣万氏が現役時代の最晩年の1993年当時と、今では救急現場でどれほどの違いが出ているかです。前に作ったグラフを再掲します。

これは全国データですが、1993年から2009年(データが確認できる関係)の変化を見てみます。

全国 年度 増減
1993 2009 比率 実数
搬送患者数 2853339 4682991 1.6倍 1829652
入院患者数(50%で概算) 143万 235万 92万
救急告示医療機関 4356 3918 0.90倍 ▲438
救急告示病院 1046 374 0.36倍 ▲672


惣万氏が富山日赤を退職された1993年時点から較べて、救急搬送数・入院数は1.6倍になっており、一方で救急告示病院は1割減です。それとこれは時代的な事情が微妙なんですが、1993年時点では救急告示診療所が1000ヶ所以上健在です。もっとも1990年代でもピークの頃より半減にはなっていますが、それでもそれなりの数の救急搬送の応需を行っていたと考えても良いかと思います。

惣万氏の現役時代の末期でさえ、

  1. 救急搬送数・入院数(搬送後)は現在より2/3程度であった
  2. 救急搬送数のそれなりが病院でなく診療所でも対応していた
  3. 病院数自体も今より1割程度多かった
現在の救急医療機関は、惣万氏の現役時代の末期に較べて、搬送数・入院数が1.6倍になっているだけでなく、その上に救急告示診療所の応需していた人数、さらに救急告示病院数自体も減っている分も負担増となっているのはデータが明らかに示しています。


ここまでは全国データですが、惣万氏は富山で現役時代を過ごしています。全国はともかく富山はどうかになります。これが遺憾ながら1998〜2009年分しか確認できなかったのですが、

10年分の変化ですが、富山でも実数を確認しておくと、

富山 年度 増減
1998 2009 比率 実数
搬送患者数 21830 31620 1.4倍 9790
入院患者数(50%で概算) 1.1万 1.6万 0.5万
救急告示医療機関 45 37 0.8倍 ▲8
救急告示病院 33 12 0.4倍 ▲21


救急搬送数自体は同時期の全国データで1.5倍ですから、搬送数の増加は幾分緩やかですが、一方で救急病院数の減少は0.9倍程度ですから、受け皿の減少は大きいとは言えます。ただしこれは1998年データであって、惣万氏が看護師として富山日赤に勤務されていたのは、さらに5年前の1993年が最後です。たった5年でも救急搬送数や医療機関数はかなり変わるのは全国データが示す通りです。


惣万氏が富山日赤時代に救急現場に「いつ頃」「どれぐらいの期間」従事していたかもポイントにはなります。富山日赤時代の末期と較べても現在の現状が厳しいのはデータがはっきり示しています。これが富山日赤時代の前半とかになると、これは比較するのもどうかになります。

惣万氏が富山日赤に勤務を始めたのは1973年となっています。これは全国データですが、総搬送人員数は130万人と現在の1/4程度です。病院数も3/4程度ではありますが、差し引きしてもかなり状況が異なると考えるのが妥当です。あえて言えば、根性出せば受け入れる余地がまだあった時代としても良いかもしれません。これは1970年代でも、惣万氏が退職された1990年代前半でも富山日赤ではあったのかもしれません。

つまり惣万氏が勤務時代に根性論で捻出できると感じた救急の余力は、惣万氏が退職後に増え続ける救急需要にすべて食い尽くされたと考えてよいでしょう。


後は余計なお世話かもしれませんが、惣万氏はデイケア領域では立派な専門家であると見ています。デイケア領域の専門家が救急医療について意見を行って悪いとは言いませんが、詳しくない領域であれば発言はよく調べてからにされる方が良いと思います。自分の専門外であってもリクエストに応じて、適当に話を合わせ・作り上げるタイプの専門家は評価が低くなるのが現在のネット社会です。

そこの点が非常に惜しまれるところと考えています。