津軽地域の方言

中間管理職様のところで見つけた記事ですが、ちょっと面白かったので便乗させて頂きます。10/22付陸奥新報より、

患者の津軽弁、医師ら誤解多く 方言教育の重要性学会発表へ

 津軽地域の医療施設で働く医師が方言を誤認するケースや、看護師の大半が方言を理解できないケースがあることが、弘前学院大学文学部の今村かほる准教授らが行った調査で明らかになった。調査対象となった看護師のほとんどが、医療現場で方言を理解することの必要性を認識しており、方言教育の重要性が改めて注目されそうだ。今村准教授は「方言教育は社会に直結する問題。津軽弁研究から将来的に教材開発といった“津軽モデル”を発信していきたい」と意気込んでいる。調査を踏まえた方言研究成果は24日に愛知大学で開かれる日本語学会で発表される。

 今村准教授らは「共通語のコミュニケーションが正しいという考えは本当だろうか」との疑問から2005年に医療や介護の現場での方言調査を開始。中間報告として今回、津軽地方での研究を「医療・看護・福祉現場における方言教育」にまとめた。

 この中で、弘前市内の医療施設で働く看護師37人を対象にしたアンケート(08年9月〜09年10月)では、患者の方言が分からなかったことがある看護師は全体の60%に上り、全体の97%が「津軽では方言の理解が必要だ」と回答した。

 また、津軽地域の住民、医師、看護師を対象にした面接調査では方言を誤認した具体例が明らかになった。

 例えば、津軽地方の診療所で患者が「ボンノゴガラ ヘナガ イデ」と医師に症状を話したのに対し、医師は「お盆のころから、背中が痛い」と認識、津軽地域出身の看護師が誤認を指摘した。

 腹ばいになるという意味を持つ「ノタバリへ」を、他地域出身の医師が使い誤って「クタバリへ」と話すなど現場ではあってはならない例もあった。

 今村准教授は「現場では症状、身体部分の表現、感覚などさまざまな分野で方言を理解することが必要とされている。地元の看護師らが通訳として現場を支えている」と実態を説明する。

 また、首都圏に暮らす息子夫婦に引き取られた津軽出身の女性は首都圏の病院で津軽弁が理解されず、治療をあきらめそうになり、病院スタッフが津軽出身の看護師を探す事態もあった。

 経済連携協定(EPA)でインドネシアから日本(むつ市)に来た介護士への聞き取りでは、現場で聞いて分からない言葉が共通語か方言かも分からないという実態も浮かび上がった。外国人が地方で働く場合、共通語や専門用語のほかに方言を習得することも必要となり、日本語習得のためのハードルが高くなる。

 問題解決のため今村准教授は、現場で必要とされている津軽弁のデータベースや問診の様子を津軽弁で再現したDVDなど教材開発も試みている。「方言の分からない若年層が増え、高齢化が進む中で、現場で患者の方言が分からないという事態は深刻化する。方言問題は地域や国を越えた問題」と力を込め、方言研究の必要性を強く訴える。

方言は文化ですから基本姿勢として尊重する必要はあります。私も関西弁(亜分類は省略)で話しますが、関西弁に強い誇りを抱いています。明治以来の共通語(今の日本では標準語も共通語も似たような意味で使われるそうです)である東京地方の方言に対し、関西弁は「正統語」と自負しています。まあ自負は私の勝手なのでどうでも良いのですが、とにかく方言は文化です。

方言もまた様々なところがあると思っています。現在の方言はたぶん過去と較べてかなり変容していると思っています。なんの影響を受けているかと言えば共通語です。日本語として誰にでも通じる様に、共通語のエッセンスを取り入れた方言になっていると考えています。私の関西弁も実態としては関西弁風共通語であり、イントネーションや語尾の言い回しに関西弁の色合いは濃厚に残していますが、使っている単語自体は共通語が多いと思っています。

もちろん関西弁独特の単語表現もありますが、これが通じないと思えば共通語に置き換える事は容易です。実際にもこうやって文章を書いていますが、文章自体には関西弁の影は非常に少ないはずです。つうか関西弁が散りばめられていて読みにくいとか、意味が通じないは殆んどないはず(たぶん)と思っています。

関西弁は方言の中でもメジャーな方なのですが、日本には共通語化が不十分な方言も存在しています。不十分な方言は当然の事ですが、その方言を話す人間以外には通じないことになります。有名なのは沖縄方言ですが、ベースは同じ日本語ですが正直なところ何を話しているのかほとんど理解不能です。

東北の方言も難解なところはあります。かなり前ですが旅行に行った時に、とあるもの(なんだったか忘れた)が必要になり、ホームセンターに立ち寄りました。レジに並んでいると、前の方の人が何事かを店員と盛んに話していました。聞くとも無しに聞いていたのですが、これがサッパリわかりません。辛うじて聞き取れたのは人名や地名らしきものだけで、後は意味不明でした。

意味不明ですから盛んに話していた内容が、商品に対するクレームなのか、それとも問合せなのか、はたまた時候の挨拶程度のものなのかも判別不能です。震え上がったのは私で、あんな調子で話しかけられたら立ち往生になるんじゃないかと強い不安に襲われたものです。緊張してレジの順番が来たら、

    「いらっしゃいませ」
    「○○円になります」
    「ありがとうございました」
なんの問題もなくレジを通過できました。あの時は1週間ほどかけて東北各地を回りましたが、言葉がまったく理解できなかったのは、そのとき一度だけでした。それでも地元の人間が方言で話す時はおそるべしと思ったものです。


さて記事は青森での方言のお話のようです。私は青森の人間ではなく、青森自体も一度行ったきりのところですから、あくまでも記事情報に頼ります。記事によれば青森の津軽地域の方言(津軽弁)が青森県内でも非常に難解であるとなっています。難解であるが故に医療現場での意思疎通にも問題が生じ、実害も発生しているらしいとのお話です。そのために医療従事者も津軽弁を覚えて意思疎通の向上に努力しようぐらいの趣旨と解釈します。

話としてはそれなりに理解できるのですが、同じ県内の方言が難解とはなかなかの事態です。のぢぎく県も関西弁圏内とは言え、地方によってまた独特の方言があります。のぢぎく県は別名「兵庫合衆国」とも言われ、旧分国で言えば播磨、摂津、淡路、丹波、但馬が合わさって出来上がっているので、かなり気候風土、当然の様に方言は異なります。それでも意思疎通に難儀するとはあまり聞いたことがありません。

しかし青森は津軽弁を同じ青森県人でも理解に難儀するとなっています。ここで気になったのは津軽弁を話す津軽地域とはどれぐらいを指すかです。記事で指し示すのは津軽地域としか表現していませんから、それだけで青森県人には理解できるのでしょうが、そうでない人間には漠然としてよくわかりません。イメージとして狭い地域の事を指すかと思えばそうでもないようです。

青森県人ではないので杓子定規の津軽地域の定義になりますが、とりあえず青森県津軽地域雇用開発計画を参考にしてみると、

津軽地域は、青森、弘前五所川原及び黒石公共職業安定所の4つの管轄区域からなり、青森市弘前市黒石市五所川原市つがる市平川市東津軽郡3町1村、西津軽郡2町、中津軽郡1村、南津軽郡2町1村北津軽郡3町で構成され、面積は、4,827.88K?で、県全体の50.3%を占めている。

県庁所在地の青森市を始めとする青森県の西半分程度を含む地域となります。人口は足し算してみると約80万人で、青森県人口が140万人ですから6割弱を占める事になります。面積も人口も青森の半分以上を占め、そのうえ青森市弘前市などの都市を抱える青森の主要地域の事を指すとしても良さそうです。それだけの地域の方言が県内でも通じないとなれば、そりゃ大問題でしょう。

うん、ちょっと待った。面積はともかく人口の6割弱が津軽地域になります。仮に津軽地域の人間が津軽弁を話すのなら、津軽弁青森県の共通語的な位置付けになるんじゃないかと思ってしまいます。物事は多数派が優勢になるのは世の習いだからです。それでも医療現場では意思疎通に難儀していると記事は伝えています。どれぐらいの問題かと言えば、

    津軽地域の医療施設で働く医師が方言を誤認するケースや、看護師の大半が方言を理解できないケースがある
なんと看護師の大半が方言を理解できないとなっています。医師に較べると看護師の地元就職率は一般的に高いかと思われます。さらに言えば異動も遥かに少ないと思われます。それでも大半が方言を理解できないとは、どう理解すれば良いのでしょうか。さらに記事は続きます。
    弘前市内の医療施設で働く看護師37人を対象にしたアンケート(08年9月〜09年10月)では、患者の方言が分からなかったことがある看護師は全体の60%に上り、全体の97%が「津軽では方言の理解が必要だ」と回答した。
ここから推察される事は、津軽地域の大半の看護師は津軽弁をnativeとしていない可能性が示唆されます。そうなると、津軽地域の看護師は津軽弁を話さない、つまり津軽地域以外から就職した看護師と理解できる事になります。そんな事があるんだろうかと思わないでもありませんが、
    地元の看護師らが通訳として現場を支えている
ここも文脈上、大半以外の少数派の津軽地域出身の看護師が「通訳」として必要なぐらい現場は難儀していると考えられます。それだけ難解な津軽弁なら受付なども難儀しそうなものですが、ここは津軽地域出身者が大半を占めるので問題にはなっていないとも考えられます。

そうなると津軽の言語に関する医療事情はかなり特異な可能性が出てきます。医師は異動が多いので、異動先の方言に最初は少なからず戸惑います。戸惑った時には地元出身の看護師が強い味方になるのですが、津軽地域ではそれさえ出来ない状態が存在している事になります。方言と言っても同じ県内のものなのですが、それでも「通訳」が必要なぐらい意思疎通が困難である事だけはわかります。

津軽地域は上述した様に狭い地域、限定された人口の地帯ではありません。のじぎく県で喩えれば、神戸を含む阪神地域の人間の方言を医療現場では「通訳」が必要なぐらい困惑していると同じぐらいの意味合いになります。

そんなに困っているのならごく素直に津軽地域出身の看護師を医療機関に多く採用するわけにはいかないのでしょうか。看護師が地元の医療機関に就職してもさして不思議な現象ではありませんし、地元のnativeな津軽弁スピーカーである方が、付け焼刃のにわかスピーカーより意思疎通に有用なはずです。付け焼刃スピーカーであるからこそ、

    腹ばいになるという意味を持つ「ノタバリへ」を、他地域出身の医師が使い誤って「クタバリへ」と話すなど現場ではあってはならない例もあった。
「クタバリヘ」がどんな意味になるのか記事からは不明ですが、付け焼刃スピーカーでは「あってはならない例」が発生しやすいわけであり、なおかつ共通語として「腹ばい」が通じない地域であるならなおさらだと考えます。なにか津軽地域の人々が看護師になってはならないの不文律でもあるのでしゅうか。




これぐらいで楽しんで頂けたでしょうか。地元紙ですから表現に暗黙の前提事項があるのは理解しますが、Web記事にして公開すれば、これぐらいの誤解を生む可能性が生じるわけです。もう少し丁寧な補足を加えておいた方が良いんじゃないかと思っています。記事に象徴的に取り上げられている、

    ボンノゴガラ ヘナガ イデ
これにしても「クタバリヘ」同様に津軽弁を知らないものには意味不明です。さらにになりますが、記事構成も若干不思議で、方言理解の重要性を力説する一方で、
    経済連携協定(EPA)でインドネシアから日本(むつ市)に来た介護士への聞き取りでは、現場で聞いて分からない言葉が共通語か方言かも分からないという実態も浮かび上がった。外国人が地方で働く場合、共通語や専門用語のほかに方言を習得することも必要となり、日本語習得のためのハードルが高くなる。
ここは素直に読むと難解な方言の存在が日本語習得のハードルになっており、むしろ方言を矯正しようの方向性に読めてしまいます。つまり記事全体の中でこの段落が浮いている感じになります。もうちょっと書き方に工夫が必要と考えています。