これも市民感覚かな

4/30付東京新聞より、

 愛知県内の大手病院で昨秋、エイズウイルス(HIV)感染が判明した三十代の看護師が退職に追い込まれていたことが分かった。看護師は「病院幹部から看護師としては働けないと言われ、退職強要と受け止めた」と話している。病院側は「退職を求める意図はなかった」と、退職勧奨を否定している。

 国の「職場におけるエイズ問題に関するガイドライン」では、HIV感染者を差別しないよう求めているが、医療現場は対象外とされている。医療現場向けのガイドラインは策定の必要性が指摘されてから十五年以上たっても整備されておらず、国の不作為が今回のような問題を引き起こす一因となっている。

 看護師と病院側によると、看護師は昨年九月、勤務中に過労で倒れ、院内で治療を受けた。その際、病院側は本人に断らずに採血検査をし、HIV感染の疑いが判明。翌日、看護師は別の医療機関で詳細な検査を受け、感染が確定した。エイズは発症していない。

 看護師は、別の病気を理由に休暇を取った後、同十月中旬に感染確定の診断書を持参。最初は主に副院長と、二回目からは当時の職場だった施設の副施設長と数回、就労について話し合った。

 その際、看護師は治療後の職場復帰に支障がないことを明記した診断書を示したが、副施設長は「うちでは看護職は続けられない。運転や配膳(はいぜん)の仕事はあるが、差し迫って人が必要なわけではない。他の理解ある病院に面倒を見てもらっては」と発言。看護師は同十一月末、副施設長に「退職を強要されたと受け止めている」と伝え、辞表を提出した。

GWで休んでいる間に話題となったようです。既に各所で評論されているのですが、NATROM様の意見をまず御紹介しておきます。

 HIVキャリアというだけで看護師を退職させる病院には私は受診したくありません。病院側がHIVの感染力について知らないのなら、これは医学的に無知なわけですので話になりません。HIVの感染力を知った上で「他の患者様に不安感を与える」といった理由で看護師を退職させようとしたとしましょう。そのような病院は、私が「他の患者様に不安感を与える」病態に陥ったら、私を放り出すでしょう。そのような病院を容認する社会は、ハンセン病元患者の宿泊拒否を容認する社会であり、エロ同人誌の所持だけを理由にした解雇を容認する社会です。

「エロ同人誌」の喩えはNATROM様の元エントリーを御確認下さい。この意見が正論だと私も思います。つうか私もエントリーに仕立てるならそういう路線で書いたと思います。もう少し言えば、そういう反応がわっと巻き起こり、病院批判が大勢を占める流れを予想していましたが、どうも必ずしもそうでないようです。簡単に言えば賛否両論みたいな流れがあるようです。

否定意見はNATROM様の意見で代表できますが、賛成意見は感情論と言うか感覚論が主体のようです。大雑把にまとめると、

    本音としてHIV感染看護師のいる病院は受診したくない
ネットは本音がポロポロ零れるところですから、そういう意見が出る事自体は不思議ないのですが、この意見がごく少数ではなくかなり多い事に少々驚かされました。

HIV感染症についての情報が広まってからもう何年になるでしょうか。初期のものから現在に至るまで変遷はありますし、現在でも難病であることは変わりありませんが、感染症自体についての知識はかなり普及していると感じていました。治療と研究の進歩によりHIV感染者であっても、その多くは通常と変わらない生活を送れる知識はかなり広がっていると考えていたのです。

知識の広がりは当然の様に濃淡はありますが、賛成意見の主張者の中にもそれなりに知識がある人もおり、また意見交換の中で知識を広げても「感覚的に嫌」と言う人が必ずしも少なくないのは驚かないといけないかも知れません。感覚や感情はしばしば理性を超えますが、HIV問題で感覚や感情をいつまでも優先することは良い事だとは思いません。むしろ理性で抑えこむ作業を延々と続ける事が解決への道筋だと考えています。


もう一つですが、賛成意見の中でよくわからなかったのは、

    HIV感染者がいる事を公表すれば病院から患者が逃げるし、公表せずに後で発覚すれば情報隠蔽で叩かれる
これには病院であるなら少々逃げてくれた方がかえって助かるなんてブラックな意見が出てましたが、零細診療所では深刻な問題です。ただなんですが、HIV感染者である事を公表しないといけないのでしょうか。また公表していない事が発覚する事は悪事なんでしょうか。理想的には公表しても誰も差別意識を抱かない事なんでしょうが、今回の件で認知されたのは抱く方がかなり多いと言う事です。

HIV感染は難病ではありますが、医療業務での他者への感染リスクと言う点からすればB型肝炎HBV)とさしての差異はありません。日本ではHBVの予防接種の普及が無に等しいので、そういう意味でも近いと言えます。HBV感染者の存在は公表されませんし、公表しない事で社会的にバッシングを受ける事もありません。なぜHIVが叩かれて、HBVが叩かれないのかの疑問は出てきます。

理想は公表しても感情、感覚的に反応が乏しい状態ですが、現実的に難しいのであれば公表しないと言う選択もあったはずです。私の知る限りHIV感染者である事を伏せても社会的になんら問題はなかったはずです。記事にもあるように無断で検査したことさえ問題視されるのですから、公表なんてトンデモナイと判断する方が適切だと考えます。


「そんなものは綺麗事だ」との反応も出てきそうですが、HIV感染問題を今回の様に感覚や感情だけで対応していてば永遠に問題は先送りになります。これはあくまでも憶測ですが、黙って雇っている病院もあると考えています。こういう問題は広く公表して理解を求めるのが本筋ではありますが、経営リスクとHIV感染者への風当たりを考慮すれば、現実的対処法としてありえる選択枝です。

まあ、今回の件で「病院が許せない」の感情や感覚が世論として沸き立つようなら、あえて公表してHIV感染者への理解を求める路線への道筋も開かれたかもしれませんが、こんな反応が市民感覚なら道はまだまだ遠いかもしれません。医療者としては地道に理性に訴えての啓蒙を続けるぐらいしか対策が思い浮かびません。

今回の問題が5年、10年先には違った市民感覚になる様に努力を重ねる事が一番重要と考えます。