和田仮説

中間管理職様のところで見つけた5/2付J-CASTニュースです。タイトルは、

    日本人の精神構造の変化が モノ売れない時代つくった
    インタビュー「消費崩壊 若者はなぜモノを買わないのか」第2回/精神科医和田秀樹氏に聞く
この記事で和田氏は人間を二つに類型化しています。シゾフレ人間とは統合失調症(schizophrenia)から由来し和田氏の説明では、

シゾフレ人間は、とにかく周りのことが気になります。主体性がなく、ブームに流されやすい。みんなと同じでいたいので、今日のように周囲の人が買い物を手控えると、自分も同じように買わなくなる、というわけです。

もう一方のメランコ人間とは鬱病(melancholy)の古い表現法で、これも和田氏の説明によると、

メランコ人間は、生真面目で頑張りすぎるほど働く一方、自分の価値観にこだわって他人と一緒を嫌がります。周りを気にせず、ブームにも影響されにくいのです。

どうもなんですが印象的にはメランコ人間の方が良さそうな気がするのですが、それは置いといてこの二つの人間の比率の転換点は、

私が観察したところ、日本は、1955年より前の世代はメランコ人間が多いのですが、徐々に両方が混じっていき、1965年生まれ以降はシゾフレ人間が多くなってきました。

そうなんかなぁ、と言うところです。和田氏の二つの類型化はこの記事ではさらに単純化されているようで、

    シゾフレ人間・・・ブームに流されやすい
    メランコ人間・・・ブームに流されにくい
これを裏付ける例として、

60年代後半以降に生まれた「シゾフレ」が20〜30代に成長した90年代は、音楽で売り上げ100万枚以上の「ミリオンセラー」が続出しました。ヒット曲がさらに売れる「メガヒット」が顕著になります。それ以前は、100万枚を売り上げるのは珍しいことでしたし、山口百恵ですらミリオンセラーはありませんでした。

これはデータとして間違いでないようで、歴代ミリオンセラーシングル一覧を見れば確認できます。1990年代のミリオンセラーの数は他の年代を圧倒しています。データとしては間違いないのですが、いくらインタビュー記事でも裏付けがそれだけとは寂しいところです。

記事には無いので補足しておくと、若者がモノを買わなければ貯蓄が増えなければなりません。モノも買わずに貯蓄も増えていなければ、モノを買うほどの収入がなくなったとの結論も導き出せるからです。ところが29歳以下の若者の貯蓄率は増えているそうです。ソース元はどうやら1月31日の日経ヴェリタスみたいのようですが、バブル期より7%上っているそうです。

ただなんですが貯蓄率とは貯蓄額を可処分所得で割った比率になりますから、分子である貯蓄額が変わらなくとも、分母である可処分所得が小さくなれば見かけ上大きくなりますから、貯蓄額が増えたに必ずしも直結しません。では貯蓄額と可処分所得の関係がどうなっているかですが、時間切れで調査できていません。申し訳ありません。


この辺は編集の都合もあるでしょうが、和田氏はとにかく「若者はなぜモノを買わないのか」の原因をシゾフレ人間の増加だけに求めておられます。シゾフレ人間はブームに流されやすく、現在のブームが「モノを買わない」であり、これに若者は強く影響されているために買わないだけだの結論です。さらにこの結論の上に打開策を2つ提示しています。

  • お金を使った方が得と思わせるような税制に変えること
  • 消費が美徳の教育を行なう事
仮説からの打開策の提示ですから、論理としては無理が無いとは言えます。言えますが違和感はバリバリにあります。


和田仮説には素直な疑問点があります。和田仮説のメランコ人間はブームに左右され難いとなっています。これはあくまでも個人的な感覚ですが、和田仮説に言うメランコ人間優勢時代の方が大ブームが起こったような気がしています。大ブームとは老いも若きも、猫も杓子も型の大ブームです。シゾフレ人間が優勢になってからのほうがブームの規模、拡がりが小さくなっている様に思えるのです。

2000年以降で考えているのですが、ブームに付和雷同しやすいシゾフレ人間が顕著に優勢のはずですが、猫も杓子も型の大ブームがなかなか思い浮かびません。猫も杓子も型ですから私なり、家族なり、職員なりも巻き込まれているはずなのですが、どうしても思いつかないのです。もっともこれも私の周囲が特殊なのかもしれませんから、個人的な経験だけではなんとも言えません。


他にも和田仮説の疑問点として、何故にブームの循環が起こらないかがあります。和田仮説ではバブルもシゾフレ人間が消費ブームに影響されたものとしています。現在は倹約ブームですが、この倹約ブームはなぜに自然に消費ブームに変わる余地はないかと言う事です。もう少し言えば、なぜにバブル期に消費ブームが起こり、現在は倹約ブームに染まっているかの説明が少々不足しているんじゃないでしょうか。

和田仮説のシゾフレ人間の増加が仮に正しいとしても、どこかでブームが起こらないと相互に影響しません。バブル期も今もシゾフレ人間が若者に主流であるのは変わらないわけであり、バブルの時の消費ブームが何故起こり、何故これが終焉を迎えたのか、また現在の倹約ムードが何故に起こり、今も続いているかの説明がありません。

ここでバブル期より現在の方がシゾフレ人間の比率が高くなっているとの説明は可能ですが、そうなればシゾフレ人間とメランコ人間の比率が消費ブームの盛衰の根幹になってしまいますし、シゾフレ人間の比率の増加は若者の倹約志向と連動している事になります。


和田仮説は話としておもしろいですが、これを消費動向に結びつけるのはかなり無理がある様に思います。説明としては単純明快で大衆受けはしそうですし、うまく行けばそれこそブームになって本でも売れるかもしれません。ただしこれを消費と結びつけるのは力技ではないでしょうか。

バブルになったのも倹約ムードが広がったのも、その背景にある景気の循環を無視してはならないと考えます。個人的にバブル期までの好景気と、バブル後の好景気は質が違うと感じています。バブル期までの好景気は、その及ぼす範囲が、バブル後の好景気より遥かに広かったんじゃないかと考えています。大袈裟に言えばバブル期までは日本中が浮き立つような好景気になったと考えています。

バブル後の好景気は、その恩恵に預かる人間が非常に狭くなったと考えています。統計上は好景気であっても、ウハウハ言っているのはほんの一握りであって、残りは「どこが好景気」だと言う感じです。そういう状態ではシゾフレ人間でなくとも消費意欲は湧いてきません。とくにバブル後の好景気は若者への恩恵が小さくなっているんじゃないかと感じています。

消費意欲が向上するためには、手持ちの資産があることと、この資産を消費に向けても、将来的に取り戻せる見通しがあるときに向上すると考えます。好景気とはそういう状態です。ところが資産の回復の見通しが暗いときには、消費するより蓄えておこうに心理は振れます。アリとキリギリスの話になりますが、消費心理が冬を心配しないキリギリス状態にならないと向上せず、冬を常に心配するアリ状態では冷え込むばかりになるとも言えます。

和田仮説のメランコ人間であっても、消費心理がキリギリス状態の景気なれば消費は向上すると思いますし、アリ状態のままでは、シゾフレ人間であっても税制や教育で煽っても笛吹けど踊らずになると考えます。

和田氏はアリ状態の若者を税制と教育でキリギリスにする事が解決法としていますが、個人的にはそうでなく、若者にも好景気の恩恵が及びキリギリス状態にする事が本筋の様に思えてなりません。無理やり税制や教育でキリギリスに仕立てて、若者の消費意欲をあげようとするのは本末転倒の理論展開に感じてなりません。



誤解無い様にお願いしたいのですが、和田仮説を全面否定している訳ではありません。現在の社会風潮を説明する仮説としてはおもしろいと思っています。ある部分を説明するのなら、なかなか穿ったところがあると思うからです。そういう使い方をするのなら、従来の性格診断の延長線上みたいなもので無邪気に楽しめそうに感じます。

ただこれですべての社会事象を説明しようとするのは無理があると考えています。シゾフレ人間の増加が仮に正しくとも、あくまでもブームの助長効果の増強因子に過ぎないと私は考えます。若者の消費動向に結びつけるのなら、好況時に支出の増大効果がより強くなり、不況時に倹約傾向がより強くなるの説明ぐらいです。つまり根幹でなく枝葉の解説レベルに留まるんじゃないかと言う事です。

枝葉でもって根幹を説明しようとするから無理があると私は思っています。