ウェザーリポートの思い出

ホメオパシーの話題に胃もたれを起しそうなので気分転換です。

ウェザーリポートと言っても天気予報の会社の事ではなくある店の名前です。ウェザーリポートと言う名前の店は全国に幾つかあるようですが、今日話題にしたいのは神戸の、それも垂水と言うか舞子にあったウェザーリポートです。これが無くなっていると知って、軽い衝撃を受けました。もっとも最後に訪れたのが16年ぐらい前になるはずですから、どんな店でも栄枯盛衰はあり、無くなっても不思議はないのですが寂しいものです。

どんな店かといえば、そうですね・・・・・カフェレストランみたいと言えばよいのでしょうか。当時を知るものなら、この店が神戸だけではなく関西一円(ちょっと大げさかな)に知られた店であり、ここで「茶をする」と言うのが一つの憧れと言うか、デートコースの定番と言うか、そういう店と思って頂ければと思います。かくいう私も何度も訪れた店です。

いつごろ無くなったかの情報がなかなか見つからなかったのですが、2000年にはどうやらなくなっている事は、あちこちに書いてありました。もう少し正確な情報はないかとググって行くと、M.F DESIGN WORKS Blog様のWEATHER REPORT / ウエザーリポート 神戸に、

    時を戻して、1982年〜1994年ごろにかけてこの場所には、
    WEATHER REPORTという当時の神戸では特別な存在感を
    持っていた伝説的なレストランがあったのです。

2000年どころか1994年に閉店となっています。もっと驚いたのは13年ほどしか店が存在していなかった事です。そうなるとあの店に思い入れのある人間は、ちょうどその頃に青春の時間(とは限りませんが)を共有したものだけになります。それと私が最後に訪れたのは、閉店の年にあたる事になります。そんな事を覚えているのは、1994年の秋に結婚しているのですが、結婚前に一緒に訪れているからです。翌年の1995年には例の阪神大震災があり、さらに子供も生まれ、そういう店とは縁が切れる年月が続いたため、妙に覚えています。

それとウェザーリポートが閉店した理由に明石大橋の建設の関係が随所に書かれています。1994年なら海岸の工事がかなり進んだ時期なので、その時の影響と言われると十分可能性はあります。ただなんですが、16年も前の事なので、明石大橋とウェザーリポートの位置関係と言われてもまるでピンと来ないのですが、MIND CRUISING様の伝説の店−WEATHER REPORTに位置関係のわかる写真が掲載されています。

無断転載になるので抗議があれば陳謝の上で取り下げますが、

う〜ん、とりあえず打ち捨てられた看板が涙が出るほど懐かしいものがあります。確かに見覚えのある看板です。写真を見ると明石大橋を見上げる位置辺りに店があった事になり、あのあたりは海岸の工事がかなり広範囲で行なわれたはずですから、撤去の対象になったと言われるとそうかもしれません。

伝説の店−WEATHER REPORTには本当に懐かしい写真がいくつも掲載されているのですが、ウェザーリポートは前期と後期があります。同じ店には変わりはないのですが、前期の店はコンテナを幾つか集めて作ったような店でした。あの素っ気無い感じが、当時の感覚的にはオシャレと感じていたのは白状しておきます。

店内はもはやうろ覚えですが、当時のガイドブックに日本一長いカウンターテーブルと称されるものがありました。このカウンターテーブルも前期の時からあったのか、後期の時に出来たのか確かめる人間が周囲にいないので自信がありません。まあ長いと言っても、海沿いの窓に沿って、端から端までテーブルが作ってあっただけなんですけどね。

それとウェザーリポートと言えばウッドデッキになるのですが、ここには行った記憶がありません。理由は混んでいて行けなかったと言うより、夏は暑くて、冬は寒いので出る気がしなかったと言うのが本当のところです。オープンスペースは快適そうですが、日本では使える時間が案外短いですからね。

後期のウェザーリポートは、改装したのか改築したのか不明ですが、ガラッと様相が変わっていました。店自体も大きくなり、出入口が1階から、2階(いや天井が高い1階だったかもしれない)の屋上から入るスタイルになっていました。もちろん駐車場から木の階段を登って入る形式です。店内もコンテナ時代よりかなり豪華と言うか、シックに変わり、前期を知る人間は面食らったものです。

潮風にコンテナが傷んだのと、なんと言ってもバブル期に差し掛かってましたから、当時全盛を極めていたカフェバースタイルに近づけたのかもしれません。


今となってはあの店が何故にあれだけの人気を集めていたのかは謎です。場所は海岸に面した素晴らしいところでしたが、難点は行くのが大変なことでした。国道2号線に面する店なので交通の便は良さそうに見えるのですが、2号線の神戸明石間は渋滞の名所です。海沿いの狭いところを2号線、JR、山陽電車がほぼ並行して走るため、道路の拡張が容易でなく、交通量も多いので、当時はできれば避けたい道の一つでした。

それでも当時の若者は惹き付けられる様にウェザーリポートに集まってました。他府県ナンバーのクルマが多かったのは間違い無く、わざわざ渋滞の道を乗り越えて集まっていたのです。

理由の一つとして、他人の事は言えませんが、ガイドブックがこぞって取り上げていたのはあるとは思っています。ネット以前の時代ですから、どこかに出かけるにしても情報誌ぐらいしか情報源の無かった時代です。エルマガとか、ぴあみたいな情報誌を読み漁りながら、そういう店を捜す時代でしたから、かならず掲載されていたウェザーリポートは目標になった部分はあると思っています。

それと今と較べて、若者でも大手を振って入れる店がまだまだ少ない時代であったかもしれません。財布と雰囲気とロケーションがそろう店なんて、そうそうなかったと言っても良いかもしれません。そういう時代に情報誌とクチコミで伝説化した部分はあったんじゃないかと思っています。



たらたらとローカルな話題にお付き合い願いましたが、誰にでも思い出の店はあるはずです。とくに青少年期のものには強い思い入れがあります。そういう店はいつまでも存在していて欲しいと思う反面、歳を重ねる毎に、行くのがためらわれるようになる部分があります。記憶の中のその店は黄金色の記憶に彩られていますが、年数を経て再訪した時に同じ輝きの満足感を得られるかと言えば微妙だからです。

10年単位で再訪して、あの日と同じような満足感、もしくはその歳なりの満足感を得られれば良いのですが、失望感を味わってしまえば黄金色の記憶が色褪せてしまいます。どう考えても店の変化より、人間の変化の方が大きくて早いからです。

ウェザーリポートもいつまでも健在であって欲しかったと思う反面、無くなって、もう二度とあの店を見る事も、訪れる事も出来ないことに妙な安堵感を覚えています。あの店のあの時代の空気は、あの歳の自分でないと味あう事は出来ず、たとえ店が変わらず残っていても、私はその店にとって過去の人になってしまっているだろうと言う事です。

記憶は過去を美化します。限りなく美化できるものは美化します。寂しいですが、歳を取るとはそう言う事であり、時に立ち止まって過去を振り返るときに、記憶の中だけで輝いているのが、心の支えになっているような気がします。



つう事(どういう事だ!のツッコミはご勘弁で)で、しばらくブログも盆休みにさせて頂きます。スペシャル版のお盆歴史閑話を書く気はあるのですが、これもまた書けたら上げさせて頂きます。まだまだ暑い日は続きそうですから、皆様におかれましても体にはお気をつけ下さい。