あの日はまだ成人の日が1/15で、それが日曜日だったので1/16が代休になって連休となった火曜日だったのは未だに良く覚えています。まだ日の出には早すぎる時刻を襲われた地震です。幸い住居の被害も軽微で、家族にも怪我人は出ず、仕事場も健在でした。
そういう意味では被災者と言うには恵まれすぎた状況でしたが、それでも余裕で悪夢のような日々が続きました。あの光景を見せられてショックを受けなかった人はいないのじゃないかと思います。
あまりにも現実感に乏し過ぎて、なにかパニック映画のシーンを見ているようにも思えましたが、映画と違って来る日も来る日も見なければならず、大変な状況の被災者にも日常的に接します。未だにどこかにトラウマとして残ってるのは間違いありません。その証拠じゃないですが、東日本大震災の時の映像を見て気分が悪くなりました。
それでも30年です。うちの診療所のスタッフぐらいなら誰もが被災者ですが、もう長い間、口にするものもいません。まあ、今さらあの時の不幸自慢なんてしたくないのは確実にあると思います。そんな事をしたって、上には上が居すぎるのを良く知っているからだと思います。
今の時点で健在であることが、震災で生き残った恵まれた者の自覚があるとすれば言い過ぎでしょうか。この時期になると地元紙の「語り継げ」「忘れるな」の声が大きくなりますが、神戸市民の中でさえ被災経験者が半分も残っているのでしょうか。
桁が違うと言えばそれまでなのですが、戦争経験者、戦災経験者の少なからぬ人が語らなかった気持ちが少しだけわかる気がします。あんなもの、実際に経験しないと最後のところがわかるはずがないの思いもどこかにある気がしています。
忘れ去られるのもどうかの部分もありますが、わざわざ口に出してあの頃のトラウマを蘇らせたくない人もまたいる気がします。今年はそんな事を思ってしまいました。本音で言えば、あんなもの一度経験すれば十分で、二度とあってたまるかぐらいに思っています。