ツーリング日和6(第12話)津軽ラーメン

 朝食は七時にしてもうて七時半に出発や。今日も走るで、

「今日はついに八甲田山ね」
「八甲田山と言えば」
「死の彷徨」

 死んでどうするねん。その前のチェックポイントが尻屋埼や。竜飛岬、大間崎と並べて青森三大岬と呼んどったのがおったな。快調、快調、八時過ぎには到着や。

「あれが寒立馬ね」

 ここは南部藩の放牧場やったところで、南部馬の血を引く唯一の生き残りかもしれん。

「だからあんなに大きいんだ」

 南部馬は騎馬武者の憧れやった。騎馬武者と言えば坂東武者やが、坂東の馬でも南部馬には及ばなかったとされとるぐらいや。

「山内一豊の妻の話ね」

 そやけど寒立馬は南部馬の血を引くとは言え大きいのは別の理由があるねん。尻屋埼におったんは田名部馬と呼ばれる比較的小柄な馬やってん。これを軍用馬に改良するためにブルトン種と交配させたんが寒立馬になる。そやから寒立馬は日本の在来種には入らへんねん。

 日本馬の起源についてはDNA調査までされて、蒙古馬が対馬を経て全国に広がったことが確認されとるらしい。この調査を疑う気はあらへんが、そやったら南部馬だけ大きく逞しかったの話の説明に足らん気がする。

 半島経由で馬が伝来したのは地理的に疑う余地はあらへん。そこから来たんは朝鮮馬やけど、朝鮮馬は中国馬の系統で、朝鮮馬も中国馬も蒙古馬の系統でエエはずやねん。そやけど古代中国でも北方遊牧民族の馬より小さかった感じがする。

「コトリが言いたいのは、小型の朝鮮馬と別に北方遊牧民族の蒙古馬の血が南部馬に入った可能性でしょ」

 そういうこっちゃ。そういう機会があるかと言えば十三湊や。あそこやったら北方遊牧民族の馬を輸入するのは可能や。他の日本馬より大型と話に残った理由がこれやったら説明できる。

 そやけど南部馬は残ってへんねん。維新後の日本で重視されたのが軍用馬の育成や。近代戦の騎兵が乗るには小さすぎたんや。外国馬をドカンと輸入したらエエようなもんやが、馬は高いし明治政府は貧乏やった。

 そやから寒立馬みたいに在来種と交配させて大型化しようとしたんや。その時に目を付けられたのが在来種でも比較的大型やった南部馬や。そやけど軍馬は第二次大戦ではいらんようになった。さすがに騎兵は不要になってもたんや。

「バロン西も戦車隊に配属になってるものね」

 さらなる追い打ちが第二次大戦後の農業の機械化や。モータリゼーションの急速な普及もある。

「農耕用にも馬車用にも不要になったものね」

 馬を飼育するのは費用もかかるねん。南部馬も軍用馬への品種改良、馬自体の需要の激減で歴史の中で消えて行ったぐらいになる。その南部馬の系統の最後の生き残りが寒立馬や。

「今は幸せそうだよ」

 かもな。さて、ここはこれぐらいでエエやろ。下北半島から脱出するで。陸奥湾まで出て国道二七九号を南下して野辺地まで一直線や。気持ちのエエ道や一時間ちょっとで着いてくれた。

「買い物や」
「青森のソウルフードの買い込みね」

 こりゃ色々あるわ。しっかり買い込んで宅配も手配して、

「青森も言葉が変わるんだね」

 そうやねん。西の津軽弁と東の南部弁は別系統の方言ぐらい違う。これは歴史的背景があるんよ。南部家は盛岡が本拠地やねんけど、青森県も勢力範囲に置いとってん。津軽の大浦家、これは後の津軽家やねんけど南部家の被官やってんけど独立したんや。

 戦国時代やからようある話やねんけど、江戸時代に青森県の西半分は津軽家、東半分は南部家になってもてん。他も理由はあるんやけど、とにかくこの二つの家は仲が悪かってん。とくに南部家側が津軽家を敵視しまくり、領民までそうなってもたんや。

 津軽家の方が秀吉が小田原に来た時も、徳川家の時代も、さらに戊辰戦争の時も上手く立ち回り、青森県成立の時にも南部家の所領を取り込んだ形で成立してるやんか。

「でも怨恨は延々と残って、青森県の方言は隣り合わせなのに二つ成立してるってことね」

 そういうこっちゃ。今の県民にとっては昔話もエエとこかもしれんが、方言としてかつての津軽家・南部家対立の名残りがあるぐらいちゃうやろか。

「青森通るの」
「津軽ラーメンが食べたなった」

 野辺地から青森まで国道四号で一時間ぐらいやねん。ここでエエやろ、麺道舎ぜくうって色即是空かないな。まあ、なんでもエエわ。いっぱい種類あるな。こういう時には、

「一撃煮干と餃子」
「わたしも」

 へぇ、ごはんがサービスで、この煮干おかかを載せて食べるようや。

「マヨネーズは?」

 お好みやねんやろ。ほぅ、これはこでれでなかなかやん。ラーメンは、

「白く見えるのは煮干の粉末ね」

 ここまで煮干にこだわるスープってことか。津軽ラーメン言うてもざっとしか知らんけど、最大の特徴はスープが煮干なのはわかる。この煮干スープやねんけど一種類やないんよ。

 他の多くのラーメン店はスープは一種類や。味噌と醤油があってもスープは一つや。後はトッピングのバリエーションでメニューが増えるぐらいや。そやそやスープが一つとはスープを作っとる寸胴が一つって意味や。

「あれどうしてるのかな」

 この店のスープやけどコトリらが食べた一撃煮干が一番濃厚のはずやけど、それ以外にもスープの濃さのバリエーションが多彩やねん。それこそ濃厚系からあっさり系までズラリとあるねん。ついでに言うたらスープの濃さで麺まで変わる。

「あれだけのスープを用意してるとは思えないんだけど」

 違う種類のスープを用意するには新たな寸胴が必要になるもんな。そんなんしたら、作る手間はともかく、厨房が寸胴だらけになってまう。業務用の寸胴は巨大やからな。

「濃いのを薄めてるのかな」

 そう考えてまうけど、そんなんで納得できる味のスープなんか出来るんやろか。いやここは逆に考えた方がエエかもしれん。豚骨とかやったら、薄めてもたら味が台無しになってまう気がするけど、薄めても違った味が楽しめるのが煮干スープかもしれん。

「コトリの言う通りかも。濃淡の違うスープを作れるのも津軽ラーメンの特徴かもよ」

 とにかく美味けりゃ文句は無い。津軽ラーメンを堪能したで。あっさり系も試したかったけど、それはまたの機会のお楽しみや。こんだけ濃いの食べた後にあっさりを食べても評価できへんやろし。

「青森市に寄り道した甲斐はあったね」

 青森市に寄り道したんは津軽ラーメンも食べたかったけど、もう一つ目的があるねん。県道四十号で八甲田山に登るこっちゃ。

「それに理由があるの?」
「八甲田山やからや」
「やっぱり死の彷徨」

 なんで死なんとアカンねん。