ツーリング日和2(第30話)岩国

「コトリはん、岩国の名物料理って何があるねん」

 朝の追跡振り切ったからマイも余裕が出て来たな。そやな岩国言うたら岩国寿司やな。コトリも楽しみにしとるけど、説明読む限りちらし寿司を押し寿司にしたような感じやな。岩国では冠婚葬祭とかで必ず出るらしい。

「押し寿司と言っても、すっごいスケールなのよね」

 みたいや。とにかく五升ぐらいの飯を押し寿司にするらしいわ。それをドンと枠から取り出して、食卓の上でデッカイ包丁で切り出して食べるのが正式らしい。元は野戦用の兵糧やないとも言われてるけど、殿様寿司とも言われとって、何層も積みあがるのもあるらしいで。

「写真で見たのは寿司というより四角の巨大ケーキみたいだったよ」

 この岩国寿司は巨大な押し寿司が共通しとるだけで、具材はバラエティに富んどって店でも競い合ってるらしいわ。

「蓮根も有名よね」

 これは知らんかってんけど、岩国蓮根は穴が九つあるそうやねん。とにかく名産で岩国寿司にも定番のように入っとるらしい。単独では蓮の三杯いうて三杯酢に漬けたんが有名やそうや。

「大平もあるよね」

 鶏肉をだしに里芋、長芋、椎茸、高野豆腐、牛蒡とか入れた汁が多めの煮物みたいなもんやけど、丼みたいなお椀に入れて回し飲みしとってんて。岩国寿司、大平、蓮の三杯は岩国の御馳走の三点セットみたいにいつも並ぶ感じになるそうや。


 岩国市内に入って来たな。ちゃんと道路案内があるやんか。当たり前か。へぇ、あれが錦帯橋か。

「錦川って言うんだね」

 ほんまや。そやから錦帯橋なんや。駐車場はこの先にあるはずやねんけど。バイクはどうなんやろ、

「バイクも止められまっか」

 えっ、このプレハブの横を通れってか。駐車場と堤防の間の道みたいな狭いとこやけど、タダみたいやから文句言わんとこ。歩いて戻って橋の近くのはずやから、

「ここは橋に近いね」
「ローケーションはエエやんか」

 そりゃ、コトリのプランやからな。ちょうど窓際に座らせてくれたわ。ほう、セットにしたら岩国寿司と大平と蓮の三杯が付くんか。

「じゃあ、花籠御膳三つ」
「なんか鰻も美味しそうじゃない」
「そやな、うな重の特上三つ」

 マイにはきついか、残すんやったら食べたるで。よっしゃ、食った食った。味はそれなりや。

「コトリ、あの店」

 なになにソフトクリームが百種類だって! サーティワンでもアイスクリームが三十一種類やぞ。しっかしすっごいメニューの量やな。素直にバニラとかストロベリーの線もあるけど、やっぱりここしか食べられへんもんがエエやろ。マイがメニューを見ながら、

「変わり種って強烈やな」

 たしかに。しょうゆ、納豆、七味にニンニク、ハバネロ、カレーにラーメン、お茶漬け。

「梅にワサビに紫蘇ってふりかけみたい」
「伯方の塩にビフィズス菌っておもろいな」
「あのなぁ天然地鮎にスッポン、スッポンまむしってホンマにソフトクリームか」

 マイは気色悪がってロイヤルミルクココアにしよったけど、

「わたしはスッポン」
「コトリはスッポンまむしや」

 それしか選ぶもんないやろ。ホンマは男に食わせたいんやけど。味は面白かったにしとくわ。錦帯橋を渡って進んで行ったら香川家長屋門か。家老のお屋敷跡やな。その先にあるのが吉香公園で旧藩邸でええやろ。正式には陣屋やけど。

 二階建てのゴッツイのが錦雲閣やけどこれが絵馬堂ってなんなんよ。ほいでもって吉川家の守り神の吉香神社があって、吉香茶室に旧目加田家住宅か。

「綺麗に保存できてるね」
「そやな」

 シロヘビの館はマイが嫌がったからパスしてロープーウェーや。上がると岩国の街が一望やな。

「吉川家は微妙な家ね」

 関が原に絡んでくるんやけど、関が原の帰趨も微妙な綾が山ほどあってんけど、毛利軍が動かんかったんもその一つになるねん。動かさんようにしたのが広家で、家康からはご褒美をもろとるけど、

「関ヶ原の綾はたくさんるけど、戦術的な勝利を得ても戦略的に西軍に勝ち目はなかったよ」

 そこはある。戦国時代の最後みたいな決戦やけど、天下を取れるほどの英雄がおらんかったでエエと思う。輝元は浮かれとったみたいやけど、輝元が毛利幕府を作れる器とは思えん。三成も無理やし、景勝と兼続のコンビでも重すぎるで。政宗も気だけや。

「わたしも家康は陰気な感じがするから好きじゃないけど、他はいないものね」

 もし徳川家が潰れとったら、誰かが天下を取って幕府を開くと言うより、第二次戦国時代に突入したかもしれんわ。

「関が原後の生き残り戦略も差が出たね」

 こんなもんは後から考えてのもんに過ぎんけど、関が原で勝った家康に一番必要なもんは時間やねん。言い換えたら合戦をやりたなかったぐらいや。まだ天下はグラグラしとるから基礎固めをやりたいんよ。

 そりゃ、家康にタイマン張っても勝てるとこはあらへんけど、タイマンやられると合戦になるし、これもすぐに粉砕出来たらエエけど、長引いたりしたら何が起こるかわからんのがこの時代や。

「家康も五十七歳だから、いつ死んでもおかしくないものね」

 秀吉も六十二歳で死んでるし、この頃の寿命はそんな感覚や。これは関ヶ原の処分にも出とる。だってやで上杉も毛利も小そうなったけど、それなりの規模で生き残ってるやん。あれは完全に潰すとなったら合戦になるのを避けたからでエエはずやねん。

「島津は読んでたね」

 長曾我部は読み損ねて潰れとるわ。毛利の場合は吉川広家が動いて生き残ったとなっとるけどコトリの評価は微妙やな。関が原は負けたけど大坂城カードを手放すべきやなかったと思うわ。

「それを一番恐れてたのが家康ね」

 それこそ毛利の全軍を挙げて大坂城に入るぐらいの姿勢を見せたら、関が原後も変わったかもしれん。まあ、それが出来んぐらい毛利の内情はグラグラやってんけど、

「せめて全面対決の姿勢を貫いてたら、八十万石ぐらいで手を打てたかもしれないね」

 そこまでの器量が輝元にあらへんかったのと、そう出来るだけの家臣もおらんかってんけどな。瀬戸際外交みたいなもんやけど、それが出来んかったから防長に押し込められて、

「まあイイじゃない、明治維新でリベンジやってるし」

 歴史はそう流れるからおもろい。さてやけど関ヶ原のお手柄で幕府に贔屓された吉川家と、関ヶ原の恨みを持ち続けた毛利本家の確執が延々と続くわけや。その一つの象徴みたいなものが岩国城や。

 毛利本家は岩国藩を藩として認めてへんねん。そう家臣として扱うとってん。そやけど幕府は独立した外様大名として認めて参勤交代までしとってん。一国一城令が出た時に毛利は萩城だけ残して潰したんやけど、岩国城も家臣の城やから言うて真っ先に潰してもてん。

「幕府の先回りをしたとも言われてるね」

 幕府は岩国藩は独立した藩やから潰す必要は無いと報告を聞いて渋い顔になったそうやけど後の祭りや。毛利にしたら家臣の城の上に幕府の犬みたいな吉川家の城やからザマあ見ろぐらいやってんやろ。ちなみにやけど、再建天守は位置も違うんよ。まあ、こんな城が短期間でもあったぐらいに思とこ。

 ロープーウェーを下りてきて吉香公園の北側を歩いたんやけど白塀が綺麗になってるわ。反対側は外堀やってんやろな。途中で岩国徴古館、吉川史料館と見て、

「これも写真で有名な佐々木小次郎の像よね」

 佐々木小次郎の話もあれこれあるけどパスや。

「コトリ、あれからどうなってる」

 マイを追ってる連中は松江から鳥取の方まで足を延ばしとるみたいやし、匹見には行っとらへんと結論してるみたいや。ああなったらわからんやろ。時間が経てば経つほどマイの行動半径は広なるからな。

「見事に引っかかってくれたね」
「マイを想定したらそうなるやろ」

 相手の動きを読むには、誰を想定するかで変わるねん。マイを追っかけてる連中もプロやけど、マイが考えそうな動きを予想すると外れるんよね。

「そろそろ気づいても良いのにね」
「今日は頭に血が昇っとるから無理なんかもしれん」

 ヒントはあるねん。津和野の真ん中に堂々と泊ってたことや。それにマイに連れがいるのはわかったやろ。

「それでも東に目が向くね」
「マイの友人関係を徹底的にマークしとるやろ」

 東に戻ると考えた時にマイが転がり込みそうなのは友人宅や。

「ほな行こか」
「どこ行くか聞いてへんけど」
「そんなもんツーリングに決まってるやないか」

 あれだけ東に目を向けさせたんは西に行くためや。

「今夜は船旅や」
「ふ、ふね?」

 国道二号なんて延々と走るんはホンマは避けたいんやけど、

「でも岩国行けたから良いじゃない」
「そやな楽あれば苦ありや」