あたり前田のクラッカー

職業に貴賎なしとは言いますが、それでも憧れる職業、できれば忌避したい職業はあります。また同じ職業であっても、望ましい職場もあれば、可能な限り避けたい望ましくない職場はあります。もちろん人の嫌がる職業、職場をあえて希望する者もいますが、全体でみれば、

    望む人数 << 望まない人数
当然の様にこうなります。今日は職業ではなく職場の話にしますが、望ましくない職場を避けるためにはどうするかです。これも当たり前ですが、そういう職場を避けれる様に努力を重ねる事になります。誰だってそうします。そのため望ましくない職場に集まるのは、
  1. あえて望んだ者
  2. 他に行き場が無かった者
この比率も、
    あえて望んだ者 < 他に行き場が無かった者
当然の様にそうなり、なおかつ人数的には不足気味になります。それでも場合によっては、望ましくない職場にも人員が必要ですから、なんとか集めなければなりません。その時に考えられる方策は、
  1. 望ましくない職場を望ましい職場に変換する
  2. 望ましくない職場と望ましい職場の人事異動をスムーズにし、バーター関係にする
  3. 本人の意志に関係なく強制的に割り当てる
1.は王道です。ただ現実的には地理的要因などの是正の難しいハンデが「望ましくない職場」にはあります。ですから方策としてはデメリットを補う条件付けが主体となります。そうする事により、「あえて望む者」だけではなく「条件に魅かれて来る者」も期待できる様になり、「他に行き場が無かった者」も第一志望、第二志望、第三志望、第四志望、第五志望・・・・・・の末ではなく、第一でなくとも上位志望で来る者の増加も期待できます。うまく条件付けが行なえれば、人員の増加の期待だけではなく、人員のモチベーションの質の改善も期待できます。


2.はよく用いられる手法です。望ましくない職場の改善は実際問題として容易ではなく、改善のための費用は経営を確実に圧迫します。1.と基本的には発想は同じなんですが、直接の勤務条件での代償ではなく、部署異動のバーターで補おうとするものです。単純には「ここで○年頑張ってくれれば、次の異動は優遇する」とか「ここの勤務はキャリアのための関門」みたいな代償です。

ここの発想の基本は全員で「望ましくない職場」の負担を分かち合おうです。あからさまに言えば「回り持ちでみんなで我慢しよう」です。この方式はシステムの信頼度が問題にはなりますが、赴任したものは、そこでの働きぶりが次の人事にも反映するモチベーションも生まれますから、質の確保にもつながりますし、人事異動は強制力が伴いますから数の確保にも有用です。


3.は大変です。バーターの保証も無く、最悪「望ましくない職場」への片道切符になりかねませんから、非常に嫌がられると思われます。他に逃げ場が無い、たとえば国家による徴兵制度みたいなものならあきらめもするでしょうが、徴兵制度ですら本来はバーターの部分があるはずです。バーター無しの強制制度であれば、今度はそういう「望ましくない職場」を強制される職業自体を忌避する事になりかねません。

ここで強制コースしか存在しなければ職業の忌避しか逃げ場がありませんが、強制コースと、非強制コースがあるとすればどうなるかの問題があります。そうなれば「望ましい職場」と「望ましくない職場」と同じ関係が、強制コースと非強制コースに生まれる事になります。つまり強制コースを可能な限り忌避しようの考え方です。

もし強制コースと非強制コースの選択が大学入試により決められるのであれば何に努力するかです。誰が考えても、成績を上げて非強制コースに合格しようと努力を傾ける事になります。それこそ浪人してでもの選択は生まれますし、難易度の違う大学が複数以上存在していれば、ランクを下げて非強制コースを狙う事になります。

さらにですが、強制コースを選択しても、金銭的な代償さえ払えば、これから免除されるのであれば、その選択を考えるのもあります。例えば位置付けがかなり特殊である防衛大学であっても、任官拒否は可能です。所定の手続きさえ終えれば、問題なく行なえます。そういう状態で強制コースに進む者は、

  1. あえて望む者
  2. 他に行き場が無いもの
  3. 卒業後に免除を考えている者
この3種類の人間になります。その他も一部混じるかもしれませんが、大方そんなところです。その上になります。大学入試時の選択ですから「あえて望む者」の意志もそれほど強固な者ばかりとは言えません。おそらくですが、強制コースであっても、非強制コースであっても、在学中は机を並べて勉強しているはずです。勉強だけではなく友人との交際もすべて分け隔てなく行なわれていると考えます。

非強制コースの人間との交流で、指向が変わる者が出てきても不思議とは思えません。指向が変わってもコースの変更は在学中には難しいでしょうから、選択としては「卒業後に免除を考えている者」への転向となります。


こういう現象は特殊な状況の説明ではなく、ごく一般的な状況の説明です。おそらくどんな職業をあてはめても、ある程度は通用する原則と言っても良いと考えています。ですから通常は強制的に割り当てる方策は取らず、勤務条件の改善と人事の組み合わせで対応し、落としどころを探ります。

ところが強制策を強行したところがあります。それも大学入試での強制コースの設定です。どうなったかが8/17付読売新聞にあります。その職業は基本的に人気の高いものであるにも関らず、定員さえ満たせない結果を残します。そんな状態への対応は、

    合格基準を引き下げて確保に努める考えだ
この発想の面白さは、強制コースの存在価値を無条件で容認している点です。強制コースの存在は「正しい事」であるので、発想の方向性を強制コースの存続発展のみに限定している事です。きっと強制コースが何故に不人気であるのかを考えてはならない制約が課せられているかと推察します。ここまでなれば「手段が目的化する」の言葉が相応しそうに感じます。