徴用ボランティア制度の空恐ろしさ

ソースの確認

2/5付日経ビジネスオンラインより、

徴介護制の内容について今日は「あえて」直接触れません。触れるのは徴介護制の言葉の意味に重点を置きます。日経ビジネスオンラインの記事にはさらにソースがあると記載されています。

私が「徴介護制度」というタイトルの著作物があることを知ったのはこの1月のことだ。

本のタイトルであることが判ります。これを手がかりにソースを探すと落選医師候補の提言に、

徴介護制度という本を書きました。

こうあるのが確認できます。つまり徴介護制の用語は記者の造語ではなく本の筆者(著者)の造語である事が確認できます。


「徴」の意味

記事では著者は「徴兵制には反対」であるの立場となっています。しかしながら徴介護制の「徴」の文字には徴兵制類似の強制力を含ませています。徴兵に似た言葉に徴用がありますがデジタル大辞泉には、

戦時などの非常時に、国家が国民を強制的に動員して、一定の仕事に就かせること。また、物品を強制的に取り立てること。「兵器工場に―される」「車両を―する」

著者は「兵」だけは徴する事は反対のようですが、兵以外を徴する事には抵抗が薄いようです。筆者の提案は介護に必要なマンパワーを国家が強制して供給すべきであるとしているぐらいでも誤解はないかと存じます。


ボランティアの意味

ボランティアの意味もデジタル大辞泉より、

《志願者の意》自主的に社会事業などに参加し、無償の奉仕活動をする人。「―で日本語を教える」「―精神」

必ずしも無償であるのが絶対条件ではないと考えていますが、商業ベースに較べてかなり安価であるのは間違いないでしょう。それより肝心なのはあくまでも自発的に参加することがボランティアの条件としては重要かと思っています。誰か、ましてや国家に強制(徴用)されて行う活動とは対照的と言うか、逆の立場であると解釈しても問題はないと存じます。ボランティアの概念は最近では広くなっている気がしますが、最低限の前提として当人が「これをやりたい」の自発性がないものをボランティアとは呼ばないと考えています。


徴介護制の徴用者の位置づけ

徴介護制度で徴用される人々の位置づけについて記事はこう書かれています。

例外を除くほぼすべての国民に、一定期間の介護ボランティアへの参加を課す。

ボランティアと明記されています。つまり自発的が大前提であるはずのボランティアを国家権力によって徴用するとしているわけです。言い換えれば、

    徴用ボランティア制度
こういう代物を著者は提案し、日経記者は好意的に取り上げられているわけです。どう捻くって考えても用語の使い方に大無理があります。どうやったら自発を強要できるんだと言うところです。もっとも強制に近いボランティアは日本の歴史の中には類似のものが存在はします。第二次大戦の悲劇の一つである特別攻撃隊員の募集法です。例の
    志願する者、一歩前に
実はあれでさえ、末期はともかく当初は当時の軍部でも無理があると考え、あくまでも自発的であることを尊重しようとしていましたし、末期ですら形骸化しきってはいましたが、あくまでも自発的に志願した形態を取っていました。ところが徴介護制では提案時点からボランティアを徴用する制度として提案されています。私はどう読んでも違和感が強すぎる表現と感じてなりません。


政治用語としてのボランティア

著者も参議院選挙に出馬された経歴をお持ちです。落選はしましたが意識として政治家的なものがあると見ても良いかと考えます。政治家にとってのボランティアの用語の使い方は私と違うと常々思っています。政治用語のボランティアとは現首相も、どこかの元首相も、また他の少なからぬ政治家も

    タダ働きの意味
こうされていると強く感じます。徴用の言葉の意味は上で解釈しました。徴用は国家権力による強制ではありますが、それなりに徴用に対し正当な代価が支払われます。徴兵だってそうです。兵士を無給で徴集しているわけではありません。これに対しボランティアの用語を使うとタダ働きに近くなります。日経ビジネスオンラインの見出しにも、
    カネを使わない福祉の可能性
徴用したボランティアに対しまっとうな報酬を支払う気は殆どない事を示されています。国家権力によって徴用した上にタダ働きを強制されるのが徴用ボランティア制度ってわけです。私は空恐ろしい発想だと感じてなりませんが、政治用語としてはボランティアの自発性などは見向きもされず、タダ働きしてくれる便利な存在であり、便利だから徴用すれば幾らでも使えるぐらいに考えておられるようです。