割り箸訴訟へのBPO勧告

原文は権利侵害申立てに関する委員会決定「割り箸事故・医療裁判判決報道」で2009年10月30日付で勧告されています。なにぶん30ページもありますから、ソース元を読んで頂きたいところです。申し立てた(申立人)のは割り箸訴訟の被告家族であり、申し立てられた(被申立人)はTBSです。苦情対象となった番組は、

みのもんたの朝ズバッ!』における「8時またぎ」のコーナー

放送日時

    2008年2月13日(水)午前7時30分過ぎ〜
    VTR部分 8分20秒
    スタジオトーク部分 6分50秒

とくに問題とされたのはスタジオトークの部分とされ、問題のトークBPOの見解を並べながら紹介します。赤字にしている部分が苦情部分で、黄色の背景の発言部分がBPOにて不適切と判断された個所です。かなり長いですが我慢してください。

発言者 トーク BPO見解
みの  今日おいでいただいたのは、まず、おととしの3月に刑事裁判がありました。そのときには、刑事では、「頭の中に異変があったと疑うことは可能だった。診察や検査が十分でなかったと医師の過失は認める。しかし医師の過失はあっても救命の可能性は、極めて低い状態だった。よって医師はこれに関しては無罪」(フリップで表示)こういう2段論法のような形、


 昨日の民事裁判では、「当時の医療水準は確立されている状況になく、医師の裁量が許される領域だった。割り箸が頭に残っている可能性を考慮しない診断でも自然なことで何ら過失はない」(フリップで表示)とちょっと乱暴じゃないかと思う判決、原告の請求を棄却。さあいかがですか。
 この発言に対して申立人らは「乱暴でないことは自明であるとともに、著しく主観に偏し、バイアスがかかった表現である」と指摘している。


 たしかにこの発言は、民事裁判判決の内容を正確に踏まえた上での適切な表現とは思えず、やや挑発的ではあるが、本件番組の性格からしてコメンテーターのコメントを促すイントロ的部分であって、これに対してコメンテーターが反対の意見を表明することも期待できる場面であるから、司会者の冒頭発言としては特段問題とするにはあたらず、これだけで正確性を欠くとか、申立人の評価に何らかの不当な影響を与えたとは言えない。
油井  これを見てですね、非常に不可思議で、わたしはとても不思議に思いましたね。一般的にですね、刑事裁判というのは、立証責任がもっとずっと難しくてですね、民事の方が例えば刑事で無罪になっても、民事のほうではむしろ有罪になる。有罪といいますか要するに請求が認められるケースが多いわけですけれど今回ちょうどそれが逆になったので、一般的に考えてちょっと不思議だなと思う、そういう判決でしたね。
 このコメントは、司会者の「原告の請求を棄却。いかがですか?」という問いに答えたものである。すなわち、「これを見てですね、非常に不可思議で、私はとても不思議に思いましたね。一般的にですね、刑事裁判というのは立証責任がもっとずっと難しくて、民事の方が例えば刑事で無罪になっても、民事の方でむしろ有罪というか、請求が認められることが多いわけですけれど、今回ちょうどそれが逆になったので、一般的に考えてちょっと不思議だなと思う、そういう判決でしたね」というものである。


 申立人らは、このコメントは専門家の発言としてはいかにも軽率であり、視聴者を誤導するものであると指摘しているのに対し、被申立人は、このコメントは刑事、民事の裁判に関する一般論に過ぎず、申立人根本医師を誹謗中傷するものではないと反論している。


 当委員会としては、このコメントは当然今回の民事裁判判決を念頭に置いた発言とみられるが、刑事裁判と民事裁判の証明責任についての一般論を説明したうえで、コメンテーター個人の感想として述べたもので、発言中「一般的に考えて」という留保をつけていることから見ても、民事裁判判決についての具体的論評という次元で行われた発言ではないので、直ちに申立人根本医師の評価にかかわるものとは言えないと判断する。
みの いちばん肝心なのはどの辺なのですか
油井  あの、まずですね。刑事で非常に厳密に医療的ないろんな問題を検察がきっちり詰めていって、医師の過失をある程度認めさせたわけです。ところが民事ではそれがほとんど考慮されなかったということで、もちろん、民事と刑事は違うんですけれども、裁判としては。そこのところが何かもう最初に判決ありきなのかなという印象が非常に私はしましたね。  このコメントの詳細は、「刑事で非常に厳密に医療的ないろんな問題を検察がきっちり詰めていって、医師の過失をある程度認めさせたわけです。ところが、民事ではほとんど考慮されなかったということで、もちろん民事と刑事は違うのですが、裁判としては。そこのところが何かもう最初に判決ありきなのかという印象が非常に私はしましたね」というものである。


 申立人らは、このコメントは4.のコメントとあわせ、視聴者をしてより一層誤った確信に至らせるものであると主張し、被申立人は、そのようなコメントではないと反論する。


 しかし、このコメントは4.よりも踏み込んだコメントであって、次の?のコメントにつなげる発言である。とくに過失の有無について「検察はきっちり詰めたが、民事ではほとんど考慮されなかった」、そして「初めに判決ありき」という表現は、明らかに6.の発言の前提として本件民事裁判判決に対する印象的評価を述べたものである。この発言は判決内容との関係において具体性を欠いているのでこれのみによって直ちに申立人根本医師の評価にかかわるとまでは言えないが、のちに詳しく述べるように、専門家コメンテーター(ちなみに油井氏の紹介テロップには「医療・健康を中心に取材、執筆するジャーナリスト、著作に『医療事故』など」とある)としての発言と見ればやや軽率との感を免れない。
みの  ですから昨日の民事裁判を文章に起こしますと「当時、医療水準が確立されている状況になく」と昨日の民事では言ってるんです。しかしおととしの3月には、刑事のほうでは「診察や検査が十分でなかった」とおととしすでにこういう診察、こういう検査をやっておけばといってる訳ですね。
油井  そうです。そうです。
みの  しかし、今回は医療水準が確立されている状況になかったよと、これはずいぶん相反することですよね。
油井  そうですね。逆にですね、この程度の医療水準でも、まあいいのかと。非常に高度な救命救急センターの中でまあこの程度の医療水準でもいいのかということになってしまうとですね、逆に今非常に厳しい救急医療の現場で頑張っているドクターたちのプライドを傷つけるんじゃないかと。多くのドクターたちはもっと真剣にきちんと診断とか診察をしていると思うんですけど、どんなところに行ってもこの程度で許されてしまったら、頑張っているドクターたちは、逆にですね、何かちょっと気がそがれちゃうっていう気がしないでもないですね。  この発言について申立人らは、申立人根本医師の社会的評価を低下させるものであると主張するのに対し、被申立人は、刑事裁判判決で認められた「過失」の存在を民事裁判判決では認めなかった点をとらえて、「医師には最善の注意義務を払っていただきたいし、緊急医療の現場では多くの医師が頑張っている」という指摘を行ったものであると反論している。


 この点について当委員会は、この発言中の「この程度の医療水準」という表現は、申立人根本医師の診療行為に具体的に関連させた発言であり、これに「非常に高度な緊急医療」及び「非常に厳しい救急医療の現場で頑張っているドクターたち」という表現を対置させることによって、申立人根本医師の本件診療行為が「低レベル」であると思わせるものと考える。また、その「ドクターたちのプライドを傷つけるんじゃないか」、「多くのドクターたちはもっと真剣にきちんと診断とか診察をしていると思う」という発言部分と本件診療行為を比較させることにより、申立人根本医師の本件診療行為が「真剣にきちんと」なされたものではないと思わせる評価を伴う発言であって、のちに述べるように、論評の前提たる事実(民事裁判判決の内容)の把握において正確性を欠き、その結果、申立人根本医師の社会的評価を低下させるものであると判断する。
みの  道さんね、なぜ文章におこしたかというと、おととしの刑事の3月のこの文章と、昨日のじゃずいぶん違うんですよ。そこに僕は違和感を感じるんですよ。
 おそらく民事裁判の場合、私ども予見可能性というんですけれども判決文全部読んでいないので軽々にはいえないんですが、こういう頭に割り箸が残っている事態、あるいはそれで死に至るという事態を見通すことを予見することは出来なかったという立場に立ったんじゃないかと思うんですよね。で油井さんおっしゃったように刑事と民事お互いを拘束しあうわけではないので、ただ同じ証拠の積み上げでどうしてそこが分かれたのかというのは、もうちょっと理由を知りたいところですね。
与良  刑事のときには、カルテの改ざんというのも裁判所で認定されましたよね。この話は、民事はどうなったんですか。
油井  そこにはあまり触れていないですね。それからやはりここは、本当に日本でも有数の高度な救命救急センターですから、その医療水準っていうことももっと考慮に入れてほしかったいうのはあるんですね。私たちが安心してそういうところに行っても、やはり見逃されちゃうのかなっていう気がするんですよ。  このコメントについて申立人らは、民事裁判判決では、「あまりではなく、まったく触れていない」にもかかわらず、申立人根本医師がカルテの改ざんをしたことについて、同判決が少し触れているという誤った認識を視聴者に生じさせて、申立人根本医師の社会的評価を低下させたと主張している。

 これに対し被申立人は、このコメントは、レギュラーである他のコメンテーターの「刑事のときには、カルテの改ざんというものも裁判所で認定されましたよね。この話は民事ではどうなったのですか」という質問に対する回答であり、民事裁判と刑事裁判の違いに焦点を当てた放送であることから、「カルテの改ざん」についての認定についても議論が及んだものにすぎないと反論している。

 この点については刑事裁判の第1審の判決要旨において、「カルテのうち、検察官指摘の上記の記載を含めた、『意識レベルの低下、出血の増強した時には再度来院を指示』、『髄膜炎の可能性…(中略)…』の各記載については、すべて被告人が隼三の死亡後に書き加えたものと認めた。そして書き加えた理由については、(中略)落ち度があったことを自覚し、これを取り繕おうとしたことによるものと認めた」と記載されている(刑事裁判判決要旨7頁7行目〜)。

 しかし、コメンテーターの発言は、「刑事裁判では問題にされた改ざんについて民事裁判の判決についてはどうか」と問われている以上、「そこにはあまり触れていないですね」というのは「少しは触れている」というのと同じ意味であって、判決内容との関係においては事実に反する発言である。これは民事裁判判決の読み方が十分でないことを示しており、このことによって申立人根本医師または病院に対する評価に何らかの影響を及ぼしているものと考える。

みの  今回の場合は、杏林大学杏林大学の医学部の付属病院です。今回の件に関してこういうコメントが出ました「杏林大学としては、私共の主張が認められほっとしています。しかし杉野隼三さんに対しては、あらためて心からご冥福をお祈りいたします。今後も引続き地域の人々から信頼を得られるよう全力をあげて努力して参ります」こういうことなんですね。ですから私これ見て杏林大学の立場もあるんでしょうけれども、診察や検査が十分でなかったって刑事で指摘されてることに関して杏林大学側は十分だったって立場に立ってるんですよね。でも私みたいな、ど素人が考えても「刺さっちゃったんです。怪我してる。ああ、この角度で、そういう状態で、脳に損傷ないのかな」、素人でも考えますよね。そしたら例えば脳神経外科とか、レントゲン撮ってみようとか、あるいはCTスキャンに入ってみるとか、何か、万全の体制…。  この発言について申立人らは、申立人根本医師が「ど素人が考えてもわかる」ことを処置できなかった医師であると視聴者に認識させることにより、同申立人の社会的評価を低下させたと主張している。これに対し被申立人は、この発言は、「大学の付属病院であれば設備も整っているので、万全の態勢をとってもらいたかった」という素人としての願望を述べたものであると反論している。


 当委員会は、司会者のこの発言が、その意図が被申立人の反論と同様のものであったとしても、判決内容を全くと言っていいほど正確に認識しておらず、上記6.及び7.のコメンテーターの発言に触発された勇み足的な発言であって、申立人根本医師が「素人が考えてもわかる」ことを処置できなかった医師であると、視聴者に認識させるものであると考える。判決内容についての正確な認識を欠き、同申立人に対しては侮辱的であるとも言え、その社会的評価を低下させているものと判断する。
荒俣  ちょっとそういう意味ではね、足りなかった。特に、ぐったりしていたってお母さんが言ってますよね。ぐったりしていたっていう状態だと医者がもうちょっとその問題を重くとりあげても良かったような感じがしますよね。  申立人らは、この発言2.の発言とあわせ、事実を誤認もしくは捏造し、視聴者を誤導すると主張するのに対し、被申立人は、刑事裁判の判決の認定に基づくものであって、そのような指摘はあたらないと反論している。



 当委員会は、この発言は、コメンテーターがVTR部分を見て、その中の母親の発言をふまえての感想、すなわち、男児がぐったりしていたのだから、病院側でその診療にあたり万全の体制がとられるべきであったのに、「足りなかった」という感想を述べたに過ぎないものと考える。



 そして、その感想の前提となる母親の発言については、民事裁判の判決では、「ぐったりした状態」とは明確には認定されていないものの、刑事裁判の判決で、「隼三は意識レベルが低下してぐったりした状態であり」と認定されている(刑事裁判判決要旨6頁9行目)。



 したがって、「そのような認定は、民事・刑事裁判の判決において、いずれもなされていない」との申立人の指摘はあたらないし、視聴者に誤解を生じさせるものとは言えない。
油井  刑事だと裁判長が判決文の中にいろいろと書いていますよね。
みの  そこで、「医療ミスを争う裁判、大半は医師の行った診察治療行為で起きたミスの責任を争う。投薬ミスとか患者の取り違えなど。今回は医師が診察治療行為を行わなかったことがミスかの責任を争う」証明するのは難しい。
油井  行うことは行ったんですが、それが不十分だったということですね。  このコメントは、「医療ミスを争う裁判、大半は医師が行った診察、治療行為で起きたミスの責任を争う。(中略)今回は、医師が診察、治療行為を行わなかったことがミスかの責任を争う。証明するのが難しい」という司会者の問いかけに対する回答である。


 申立人らは、このコメントは、視聴者をして、何ゆえに過失がないのか、遺族が敗訴するのか「不思議」であるという思いを確信に至らせ、視聴者を誤導すると主張する。これに対し、被申立人は、この発言も、刑事裁判の判決の認定に基づくものであって、そのような指摘はあたらないと反論している。


 当委員会は、刑事裁判の判決では申立人根本医師の過失が認定されており(刑事裁判判決要旨6頁12行目〜)、当該発言はそれをもとに本件診療行為が「不十分」としたものであると考える。民事裁判の判決では同申立人の過失が認められなかったのであるが、刑事裁判の判決を念頭に置いたコメンテーターの発言には一応の根拠がある。


 しかし、本件放送の趣旨からすれば、専門家コメンテーターとしては、民亊事件においては申立人根本医師の過失がなにゆえ否定されたのかということを正確に踏まえ、同申立人の医療行為が不十分であったというのであれば、正確にその根拠を示すべきではなかったか。刑事裁判判決の認定から受けた先入観でコメントしたものと見られるこの論評は、民事裁判の判決要旨を正確に読み込んだ上での発言とは思えず、不適切であると考える。
みの いずれにしても尊い幼い命が失われてしまったということですね。
どうもありがとうございました。


みの氏、油井氏、荒俣氏の3人の発言が指摘を受けていますが、荒俣氏は不適切と認定された発言は無く、みの氏は司会者としての意図など知る由もありませんが、「調子に乗った発言」程度で不適切とされているようです。ここで目立つのは油井氏です。顔も名前もまったく存じ上げない方ですが、BPO勧告には、
    専門家コメンテーター(ちなみに油井氏の紹介テロップには「医療・健康を中心に取材、執筆するジャーナリスト 著作に『医療事故』など」とある)
どうやら「医療ジャーナリスト」みたいな商売をされている人物のようで、どうやらこの割り箸訴訟のトークのために呼ばれたようです。油井氏についてBPO勧告の中に興味深い事が書かれています。

以前にその著書をめぐって申立人らから提訴されたことのある油井氏をコメンテーターに選んだことについても、被申立人がその事実を承知していたとは認められなかったので、その点においては放送倫理上の問題は指摘できない。

油井氏の著書に対し申立人は訴訟(名誉毀損かな?)を起す経緯があったようですが、そのことはTBSは全く知らずにコメンテーターとしてお呼びされたようです。なるほど、なるほどの御経歴です。TBSがコメンテーターを呼ぶ時の事前調査はその程度である事が確認できます。本当に知らなかったかどうかなんての下司の勘ぐりは控えておきます。

トークの展開は上記した通りですが、みの氏の誘いに「的確」に反応されているのが良くわかりますし、トークの全体でもほぼ2人の掛け合いになっているのが確認できます。ほぼ2人の掛け合いは言いすぎだとしても、トークの油井氏の位置付けは医療関係の「専門家」として見解を発言される役回りであると判断されます。

その油井氏ですが、民事判決についてどれほど知っていたかです。割り箸の民事訴訟は私も解説を試みた事がありますが、全部で88ページの大作です。2008年2月12日に判決が言い渡されて、放送は翌日の13日です。この間に油井氏が判決文を読んで理解する時間がどれほど与えられたかになります。これもBPO勧告の中にあり、

なお油井氏は6時頃入局したとのことだが、スタッフから油井氏に手渡された判決要旨は本文27頁、事実認定を要約した別紙は20頁に及ぶものである。油井氏の場合、スタッフとの個別の打ち合わせが行われたというがその内容は定かではないし、同氏が判決要旨をどの程度読みこなしていたかも定かではない。

放送は7時30分過ぎに行なわれていますから、90分ほどの間にこれを読んで理解し、さらに放送で手短にコメントするように求められる事になります。結構煩雑な事実認定が行なわれていましたから、十分に内容を咀嚼していたかどうかの疑問は当然出てきますし、BPO

本件放送で被申立人が意図したことは大いに意義があるが、問題が医療と法律という極めて専門性の高い分野に属する問題であることを謙虚に受け止めるべきだったということである。メディアは専門分野のことはわかりにくいとして敬遠することは間違いであり、むしろ、これと取り組むことはメディアの使命でもある。しかしそれを試みる以上、それなりの覚悟と十分な準備が必要である。また、速報性もテレビメディアが持つ特性である以上、二つの要請をどう調和させるかについて常に問題意識を持つべきである。このことについては、ニュース素材を得てから放送までにスタッフにおいてその内容についての十分な検討を行うこと、そして問題点を正しく掌握したうえで、社内外の専門家との協議、専門家コメンテーターの選択、出演者、司会者との十分な事前打合せによって情報を共有するシステムが必要である。

この点を重視して勧告しています。つまり不十分であるとの見解です。どうやらTBSは油井氏が十分に民事訴訟について把握しているとの主張が出来なかったようです。正直なところ油井氏だけではなく番組制作スタッフの中でも民事訴訟の内容を把握していた者がいたかどうかは疑わしく、

本件放送が、「同じ医療事故で刑事と民事が過失について正反対の結論を出しました。これは不思議なことですね」といった井戸端会議的なレべルで構成されるものなら、裁判所の判決をわかりやすく表現したと言えば、それもありうることとして、当委員会としてとやかくいうことではないかもしれない。しかし、被申立人が言うように、本件放送は「刑事裁判と民事裁判のそれぞれの第1審判決の要旨にしたがった綿密な構成をとって、両判決を比較しながら、医療機関には『最善の注意』をしてもらいたいとの国民の願望を訴えたもの」(答弁書、再答弁書ヒアリング等)というのであれば、このような要約(実は用語からいっても裁判所の判断の要約にはなっておらず、被告医療側の主張の要約でしかなかった)でその企画意図が満たせるわけはない。

BPOはTBSが主張した、

    刑事裁判と民事裁判のそれぞれの第1審判決の要旨にしたがった綿密な構成
とくに民事訴訟についての把握が極めて杜撰であると指摘し、

本件放送は、刑事裁判判決で認められた「過失」の存在を民事裁判判決では認めなかったという「不思議さ」だけを強調し、事実報道として要旨の示し方を誤ったばかりか、ついに判断の根拠を具体的に示すこともなかった。そしてその結果、番組が目的としたという救急医療現場が抱える問題点については一切触れることさえできずに、ただ「不思議さ」に首をかしげ、こんな判決では遺族がかわいそうという基調に立ってVTR部分とスタジオトーク部分とを展開したものであって、その意図との対比においては企画倒れのずさんな番組作りというほかなく、同時にその不正確さのゆえに関係者に迷惑をかけかねないものになったと評価せざるを得ない。

まあ言葉は厳しいですが、次のところでため息が出ます。ここも長い引用ですが

 番組制作にあたって周到な準備をする必要があることについては、2007年8月6日BPO放送倫理検証委員会決定第1号「TBS『みのもんたの朝ズバッ!』不二家関連の2番組に関する見解」において既に指摘されているところである。

 同委員会は、不二家の「賞味期限が過ぎていたチョコレートを再利用していた」とする内部告発を契機に制作した本件番組での放送について、「『朝ズバッ!』には台本がなく、司会者を含めた出演者が何を、どう発言するかは番組の流れと各人の裁量に任されている。それだけに番組制作スタッフが出演者に対して、扱うテーマについて過不足のない情報を事前に伝えておくことが大切になる」と指摘したうえで、「番組制作者間、また制作関係者と出演者との間の情報共有の仕組みの不備が、断定・断罪の番組主調を作り出し」たと批判し、放送前における制作過程において十分な準備をする体制を整えるべきだとの提言を行っている。

 これを受けて被申立人は、同年6月に被申立人の危機対応会議からの委嘱を受けて設置された同案件についてのTBS検証委員会から、同年11月16日、詳細な検証報告(被申立人ホームページにおいて公開されている)を受け、同日、BPO放送倫理検証委員会に対して報告書が提出されている。

この報告書で被申立人は、「番組制作体制の見直し」という項目において「当社
は、番組制作体制の見直しと改革を進めるに当たって、以下の3点を主眼とする
方策をすでに導入し、実践しています」として

  1. 不十分な打合わせの解消
  2. 情報共有システムの構築
  3. 番組の制作・放送過程におけるチェック機能の強化を挙げている。
 当委員会は、同案件と本件放送とを同一に論じるつもりはないが、報道にあたっての教訓、特に事前の準備、出演者との情報共有の必要などには相通じるものがある。なにゆえ、同様の批判を免れないような番組作りが行われるのか、理解に苦しむとともに遺憾の意を表明せざるを得ない。

要はTBSどころかこの番組には類似の前科があり、この時に改善報告を行なったにも関らず、再び同様の過ちを犯したと言う事です。一般的に初犯には寛容である事があっても良いと思いますが、再犯に対しては「常習犯」として厳しく対応するものです。しかし番組は今も何事も無かったように続いています。実に素晴らしいBPO勧告の威力です。

今後のICT分野における国民の権利保障等の在り方を考えるフォーラムの検討課題に、

  1. 放送分野における報道・表現の自由を守る取組について

これが入る訳がよく理解できます。もっとも検討されてどう変わるかなんて藪の中ですけどね。