上小阿仁村

この村のHPによりますと人口世帯数は、

平成22年2月末現在

    人口 2,902人
    男性 1,382人
    女性 1,520人
    世帯数 1,245世帯

ちなみにwikipediaのデータを合わせますと人口の推移は、

1980年時点の人口が4352人ですから、30年で1450人、約3割の人口減少である事が確認できます。ここまで書けばお分かりのように高齢化率(65歳以上人口)も進んでおり、2009年時点で44.3%に達しているようです。人口減、高齢化率の進行は地域の事情ですから仕方がないにしろ、平成の市町村合併の時に何故に取り残されたかは興味が湧くところです。

上小阿仁村も合併を考えていなかった訳ではなく、妙に有名になった北秋田市との合併協議には参加していたようです。この時に参加した町村は北秋田市になった鷹巣町合川町森吉町阿仁町とこの村です。何故に最終的に離脱したかの理由は現村長の市町村合併の功罪 にあり、

 当地域では鷹巣阿仁5カ町村(鷹巣町合川町阿仁町森吉町上小阿仁村)の合併パターンが示された。当局(前政権)は、合併調査検討委員会で合併または単独立村を選択した場合のメリット・デメリットをまとめ、これらの結果をもとに、部落座談会、合併に関する村民意識調査を実施した。(非合併36.8%、合併35.4%、わからない27.7%)

 明治以来、昭和の大合併をパスし、そして平成の大合併に直面し、当村では誰しも合併した場合の村の10年後、20年後、そして独立村として村の将来については明言することは不可能であった。しかし、これまでの合併を振り返るならば、合併して栄え、中心となった地域も、過疎化が進んで周辺部との格差が生じた地域もあり、この事実は過去の歴史が物語っている。

 自主財源が乏しく、歳入の半分以上を地方交付税で占める本村にとって、厳しい財政運営を強いられることは否めない事実ではあるが、財政力が弱い町村同士が合併しても、メリットは、一時的なものであり、合併をしてもしなくても厳しい財政状況に直面することに変わらないとの認識であった。

 村は、先覚者たちが築いてくれた基本財産を活用しながら、これまで下水道、農業集落排水、簡易水道、教育施設などといったハード事業を推進し、生活環境整備についてはほぼ整っている状況下にある。

 これに加え、開発基本構想並びに過疎地域自立促進計画を策定した。

 以上のことから、115年の歴史を断ち切って合併しても地域住民の幸せにはつながらない、合併によるメリットが見えてこないという見地から、平成15年6月に村と議会が「単独村」の道を選択し「まちづくり(自立)計画」を策定し、県の承認を得て現在に至っている。
尚、この計画は、平成20年3月に見直しを行っている。

 地方交付税の見直し、大幅な人件費の削減、特に財源の確保を図るため、約4億円の収益を見込んでいた「村営林10カ年伐採計画」は、木材価格の低迷等により当分の間皆伐を中止し、収入間伐事業に変更している。

この村の先代村長は北林孝市氏ですが、1983年から2007年までの24年間就任されています。北秋田市の誕生が2005年ですから、合併協議から離脱した時の村長も北林氏になります。どうやら6期勤めた北林氏は勇退されたらしく、次期村長選は2007.4.23付あきた北新聞によりますと実に24年ぶりに選挙が行われ結果は、

    小林 宏晨(無新) (69) 880票
    小林 寛 (無新) (68) 841票
    小林 俊悦(無新) (62) 665票

どうでも良いことですが3候補とも「小林」の大激戦の末、小林宏晨氏が当選されています。票数からすると村を三分したような選挙ですから、後はさぞ大変かと思われます。ここでちょっと算数なのですが、三候補の投票総数は2386票です。投票率は92.70%となっていますから、総有権者数は2574人ぐらいになります。選挙があった2007年(平成19年)の人口は2933人となっていますから、

    20歳未満:359人
    20〜65歳:1275人
    65歳以上:1299人
10人程度の誤差は含まれると思いますが、こんな感じの年齢構成になっていると推測されます。そんな事はともかく、新村長の小林氏ですが、これがビックリすような経歴の持ち主で、wikipediaからですが、

秋田県上小阿仁村出身。秋田県立秋田高等学校卒業。上智大学を中退し、ヴュルツブルク大学、ジュネーヴ大学、パリ大学法学部博士課程でドイツ語、政治学、法学を学び、ヴュルツブルク大学から法学博士号取得。専攻はドイツ基本法憲法)及び国際法であるが、その他、安全保障関係法、比較憲法EU法の研究も進めている。上智大学国語学部教授を経て、日本大学法学部教授に就任。古稀記念論文集に『日本法学 小林宏晨教授古稀記念号−法と秩序をめぐる現代的課題−』(日本大学法学会)がある。

法学畑は良く知らないのですが、上智や日大の教授までなるのですからかなりの人物かと思われます。wikipediaに役職歴も掲載されていますが、

ゴメンナサイ、これらがどの程度の価値があるのか全然推測がつかないのですが、とにかく凄そうです。それとこれも価値がよくわからないのですが、

オーストリア一等学術栄誉賞

調べた範囲ではオーストラリアオーストリアでは「学術・芸術最高勲位栄誉賞」がこの手の授賞の最高位らしいですから、その次ぐらいのものなのでしょうか。よくわかりませんが、これも凄そうな賞です。言ったら悪いですが、人口減少、高齢化に苦しむこの村には、やや不似合いなぐらいの人物のようにも思えます。


この凄そうな新村長がまずやろうとしたのが、wikipediaから、

2007年7月22日、医療機関などから出る低レベル放射性廃棄物以外に、原子力発電所の使用済み核燃料再処理から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場についても村内誘致の可能性を検討する方針をうちだした。しかし翌24日、秋田県知事の寺田典城がきびしい批判を加え、村議会も同日、全議員による緊急会議で最終処分場誘致に反対することを全会一致で決議したため、28日に村議会全員協議会で誘致断念を表明した。

村長選挙が4月ですから、就任3ヶ月で高レベル放射性廃棄物の最終処分場誘致の方針を打ち出したようです。気持ちはわかります。村長選挙で打ち出した公約は、あきた北新聞からですが、

職場の創設・所得アップ、人口問題の解決、村内外の人と情報の交流、村の財政再建・役場のパワーアップ

どれもこの村にとって切羽詰った課題なんでしょうが、何をするにもカネが必要です。新村長にすれば出来れば原発でも誘致したいぐらいだったかもしれませんが、それが無理なら高レベル放射性廃棄物の最終処分場でもそりなりのカネが村に転がり込み、そのカネで村政改革を行ないたかったのだと思われます。それぐらい思い切った事をしないと手の施しようが無いとの判断です。

しかし残念ながら根回しが不足していたようで、wikipediaに書いてあるように、予想通りの大反発が起こり挫折した事は確認できます。それでも頑張られているようで、今やどこの市町村でもテンコモリある負債は、広報かみこあに3月号には、

公償(借金)残高は、平成19年度約54億円、平成20年度約49億円、平21年度約45億円、平成22年度約41億円弱(見込み)、平成23年度約36億円(見込み)、平成24年度約32億円(見込み)となる予定です。これに対し、基金は、平成18年度15億7千2百万円に対し、平成22年度16億6千5百万円(見込み)でわずかに増えております。

そんな村に椿事が発生します。この村の医療機関は村立上小阿仁国保診療所だけのようです。ここもかつては有床診療所であったようですが、ここも医師不足のために入院病床は閉鎖されています。入院病床閉鎖だけではなく医師自体も存続の危険に至ったようですが、なんとか新任医師を1人見つけて維持できている状態のようです。

この医師が赴任したのは2009年1月でちょうど1年前のようです。この医師の着任時にも医師が村にいなくなる危機はあったようですが、着任により回避されています。この医師の働きぶりを広報かみこあに3月号から引用すると、

平成21年1月から12月までの診療状況は、1日平均患者数は医科が56名で前年度比14名の増

診療所(内科)で1日平均56名は立派な数です。これだけ診察すれば普通は黒字のはずなんですが、

診療所の実質赤字額は、平成17年度約4千2百万円、平成18年度約3千8百万円、平成喝19年度約4千万円、平成20年度約3千万円、平成21年度約2千7百万円(見込み)、平成22年度約2千4百万円(見込み)というように着実に縮小しております。

平均56名も診察して改善したとは言え年間2400万円も赤字が出るのがよくわからないのですが、全国国民健康保険診療施設協議会によるとこの診療所のスタッフは、

職員が多すぎるのか歯科部門の赤字が大きいのか、なんとも言えませんがとりあえず赤字のようです。それでも受診患者を増やし、赤字縮小に貢献したのですから立派な功績です。もっとも外来診察が14名増えて300万しか改善していませんから、黒字化しようとすれば100人外来でも難しそうに思えるのが何ともな経営状態です。

黒字化しないのはこの医師の責任とは思えませんし、別にその事を責め立てられたわけではありませんが、この医師が2/19に突然の辞意を表明します。これについての経過は3/11付読売新聞・秋田が報じています。この記事についての論評はssd様中間管理職様うろうろドクター様がされておりますから御参照下さい。

私は村側の公式見解を追ってみたいのですが、広報かみこあに3月号にはこうあります。

 赤字の縮小は、確かに重要ではありますが、もっと重要な事項があります。それは、有能で、献身的なお医者さんを安定的に確保することです。

 その意味で我々は、有澤先生のこれまでの献身的な診療行為に対し、心から感謝しております。

 しかし、有耀先生は、先日様々な理由からしてこれ以上本村で診療を続けることができないとされ、辞表を提出されました。私は、有澤先生とお会いして、いろいろとお話を聞き慰留に努めました結果、今一度考えてみるとの回答を得ましたが、結局は辞任の意思は不変の様であります。

 上小阿仁村ではこれ以上診療を続けられないとのお話の原因について、ここで詳細に論ずることは控えますが、私が個人的に考えている対案らしきことを提示いたしますと、人口3千人にも満たない村民の多くに対し、上Hに休むこともなく、そして夜中も含めて診療を続けることは不可能であるということです。このためには、村民一人ひとりの自覚が必要です。休みの日の緊急事態には、可能な限り救急車を利用して大病院に行って頂きたいことです。

 また、独居老人の病人の場合は仕方ないとしても、往診・診療後に、家族が先生に手を洗ってもらう配慮が必要です。

 医師住宅に最近屋外のセンサー照明装置がつけられましたが、ある住民から村の税金を無駄に使っていると話されたそうです。事実、この装置は先生自身がつけたもので、しかも、電気料金は先生自身が支払っています。事実確認もせずに、心無い攻撃をする人間はとても文明人とは申せず、野蛮人に類するものと断ぜざるを得ません。

 その他、まったく「いじめ」と思われるような電話もあるそうですが、このような不心得者は、見つけ出して、再教育の必要があるようです。

 村の圧倒的多数の人々は、先生に心から感謝しておる事実はありますが、まったく少数の村民の心無い態度が、先生の意欲を無くさせる事実には心が病みます。このような不心得者は、わずか5〜6人に過ぎないことを確認しておりますが、それでも、ご本人に与える影響が憂慮されます。

 苦言を述べたい人は、先ず総務課に連絡してください。直接電話で文句を言ったりしないよう皆さまに求めます。このルールが破られる場合、村長自身がその当事者と話しをしなければなりません。

 このような状態が続く限り、当局が如何に努力しても、わが村は医師に敬遠され、しまいには無医村になることも大いに考えられます。

この事件については様々な見方が出てはいます。僻地の通弊と切って捨てるのも可能ですし、そういうところが日本には残念ながら数多く存在するのも現実ではあります。そういう見方で片付けるのも一つですが、今日はわざとやや違う見方を立てたいと思います。痛いニュースで拾った情報ですが、

河北新報 「無医村」回避で住民ひと安心 秋田・上小阿仁

 「無医村」となる危機に陥っていた秋田県上小阿仁村に、京都府の医師有沢幸子さん(63) 村国保診療所の常勤医として赴任することが6日までに内定した。村は昨年5月、いったん無医村状態となり、公募に応じた栃木県の男性医師が同11月から診療所長として勤務。その医師も退職を申し出たため、村は再度、全国から医師を募集していた。

 村によると、有沢さんは兵庫県出身。内科と小児科が専門で、北海道利尻島の病院勤務や、タイでの医療支援に従事した経歴を持つ。秋田にゆかりはないが、へき地医療に深い関心があり、夫とともに村内に引っ越して来年1月から診察を始める予定という。

 村は、男性医師が本年度内の退職を申し出た3月、村ホームページ(HP)のほか、医療雑誌に広告を出して医師の募集を開始。9月にHPを見た有沢さんから連絡があり、村幹部との面接を経て診療所の常勤医に内定した。

 退職を申し出た男性医師も村HPの医師募集ページを見て赴任してきた経緯がある。男性医師の早期退職という「誤算」はあったが、村のインターネットを使った作戦が再び奏功した格好だ。

 上小阿仁村の人口は県内最少の約3000で、村内には開業医もなく、診療所の医師確保は深刻な課題となっている。昨年5月に1人しかいなかった常勤医が退職し、無医村状態となった同10月までは、村の要請を受けた周辺市町の医師3人が非常勤で診察していた。

 小林宏晨村長は「無医村になる危険性が大いにあった。全国的な医師不足の中、本当に幸運なこと、できるだけ長く勤務してもらいたい」と、有沢さんの赴任を待ち望んでいる。

ちょっと経過を拾ってみると

  1. 2007年5月に当時の診療所医師が退職していなくなる
  2. 2007年11月に前任の医師が就職
  3. 2008年3月に前任の医師が辞意を表明
  4. 2008年5月に前任の医師が退職
  5. 2008年9月に現在の医師が応募
  6. 2009年1月に現在の医師が就職
  7. 2010年2月に現在の医師が辞意を表明
でもって現村長が当選したのが2007年4月です。現村長が就任してから辞職する診療所医師が3年足らずで3人と言うのもチト異常です。経歴とお人柄が比例するとは必ずしも言えませんが、少なくとも鹿児島のどこかの市長のようにエキセントリックとは思えません。新村長就任と診療所医師の辞職騒動は連動しているんじゃないかとの見方は可能です。

村長選は上記した通り、三つ巴の大激戦です。地方選挙においてここまでの激戦をやれば確実に「しこり」が残ります。その「しこり」が怨念のように炸裂している可能性もあるんじゃないかと考えます。村長が広報誌に掲載している言葉も考えようによっては異様です。

  • 心無い攻撃をする人間はとても文明人とは申せず、野蛮人に類するものと断ぜざるを得ません。
  • このような不心得者は、見つけ出して、再教育の必要があるようです。
  • このような不心得者は、わずか5〜6人に過ぎないことを確認しております

折角応募してくれた医師がいなくなる無念さがあるにしても、正直なところ「ここまで言うか」の感は禁じ得ません。そこまで言うぐらい反村長派の活動は執拗との見方は出来そうです。それともう一つ気になるのが、村の負債の問題です。これも上記したように確実に改善傾向を示しております。改善すると言う事は、新たな財源が増えたわけでは無いので、超がつく緊縮財政をやるしかありません。

緊縮財政の影響は公共投資の減少につながります。これだけ高齢化が進んだ村でも公共投資による恩恵を預かる人間はそれなりにいるでしょうから、経済的な意味も含めての反村長派の結束が強固であってもさほど不思議とは思えません。現在の村長が続く限り公共投資は絞られますから、村長失脚を目指す動きがあったとしても何もおかしくありません。

それのターゲットになったのが医師であったとは考えられます。医師は形として村長が呼び寄せたになっていますから、これをとりあえずいびり出そうとするのはあり得る話です。余所者ですから情けも容赦も不要ですし、反村長派以外の人間にも反感を買い難いところがあります。それに医師を追い出せば村長の失政にダイレクトにつながりますから、来年の村長選に向かって「好材料」になります。


あくまでも憶測ですが、そんな村内政治が今回の騒動の源ではないでしょうか。何とか赴任してくれた医師を次々と追い出すのは村内政治戦術として「有効」と判断しているかもしれません。当事者はいろいろ計算しているでしょうが、外野の人間として心配するのは、反村長派が政権を奪還しても診療所に医師が右から左に赴任してくれるかどうかです。

ネット時代の悪評は伝達が早いだけではなく、いつまでも残される記録によって刻み込まれます。人口3000人足らずとは言え無医村はきついと思いますが、そんな事まで考えていないんでしょうねぇ。