当ブログでも褒めた記憶が数少ないマスコミですが、マスコミには報道の自由が与えられています。根拠は、
憲法21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
これに由来すると解釈されています。これについての法学的な解釈は多々あるとは思いますが、ある程度周知の事として期待される役割として、
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マスコミによる国家権力の監視
国家権力とは一般に国権の最高機関である行政、立法、司法の三権を司る政府、国会、裁判所がとりあえず該当します。ではこの3つだけかと言えば、これに類する機関も当然対象に入ると考えられます。現在の権力形態は様々な経緯から奇形状態を呈しており、行政の最高権力機関の上にさらに魔王のような権力機関が存在している事も既に周知の事です。
とくに有名なのは経済諮問会議であるとか財政審議会です。これはkoume様の減反先送り、諮問会議が骨太原案からですが、減反制度の見直しについての農業関係者の実感です。
で、減反制度の見直しですが、これを実行することが現在の農政の一つの目玉になっていたはずです。個人的な印象ですが、石破大臣は積極的に押していましたし、御用学者(山下一仁など)達の意見もおおむね賛同していて、新聞等での世論誘導の方向もだいたい減反廃止に動いていたと感じていました。それがいいかどうかは別として、しかしまあ見直しは実行されるんだろうなと覚悟していました。
ところが、財政諮問会議が開催されるやいなや一瞬にして「先送り」ですと。財政諮問会議には首相も入っているので、全てを民間議員の連中の責任にすることはできないのですが、それでも少なくとも諮問会議は大臣の考えなど一顧だにせず叩き潰せるだけの権力を持っていることになってしまっています。総理大臣個人にはそれほどの強権は無いのではないかと思います。
私は申し訳ありませんが農政の現在の流れは詳しくないのですが、農業関係者の観測として、所轄官庁である農林水産省およびその大臣が減反政策の見直し路線に積極的に動いているのなら、その方向に動くと考えていたようです。政策の是非まで論じる知見はありませんが、政策の方向性としては確実にそうであったとしても良いと判断できそうです。
ところが財政審議会の答申が出されると一瞬にして「見送り」に変わった事をkoume様は書かれています。財政審議会の議長は首相ですから首相の判断とも解釈可能ですが、少なくとも立法府である与党の手続きを経たとか、国会審議の末に決まったわけではありません。国会審議はこれから為されるでしょうが、衆議院で2/3の圧倒的多数を握る与党の内閣が決定すれば、個々の議員の意志を超越しての党議拘束が行なわれますから、事実上の決定に極めて近くなります。
こういう例はkoume様が指摘された農政だけではなく、医療にもありますし、他の分野でもあるかと思います。財政審議会は国家権力である行政をも動かす機関であるのは明らかですから、国家の権力機関の一つと見なしてよいかと考えます。それでも財政審議会が公式の位置づけとして国家権力機関かどうかの議論は出てくるとは思います。法律上の位置付け、法律上での影響範囲の定義づけみたいな議論です。
これに関しては様々な見方があるとは思いますが、マスコミに期待される役割として
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実質としてそうであると考えられる
監視するためには必要条件があります。一番大事なのは監視対象の権力機関から一定の距離を置くことです。距離を置いた上で第三者的な立場で論評する事は重要です。第三者であっても監視対象の権力機関の意見に賛成するのは構いません。監視はあくまでも是々非々ですから、是であればこれを支持し、非であればこれを批評するというのが正しい役割かと思います。
それで一定の距離を置くとはどういう事かになりますが、最低限のモラルととしてその権力機関のメンバーに名を連ねるのは論外かと思います。メンバーになり、建議なり、答申に賛成すればメンバーの立場は無条件に「賛成」になります。会議での決定は参加したメンバー全員の責任になるのがルールです。個人的に反対であっても、会議の決定となればこれに従うのがルールでしょう。あくまでも会議の決定に従えないとなれば、メンバーを辞職するぐらいの行動が必要になります。
メンバーに加わり、決議がなされ、そのメンバーに留まるというのなら、これはその決議に賛同し、決議した内容に対し、これを積極的に推進するという立場になることになります。そんな状態で第三者として権力機関の監視など不可能であることは誰が見ても明らかです。ここに平成21年6月3日現在の財政制度等審議会 財政制度分科会 名簿があります。ここからマスコミ関係者をピックアップすれば、
* | 氏名 | 肩書き |
委員 | 榧野 信治 | (株)読売新聞東京本社論説副委員長 |
* | 玉置 和宏 | (株)毎日新聞社特別顧問 |
臨時委員 | 板垣 信幸 | 日本放送協会解説委員 |
* | 岩崎 慶市 | (株)産業経済新聞社論説委員 |
* | 川崎 隆生 | (株)西日本新聞社代表取締役社長 |
専門委員 | 五十畑 隆 | (株)産業経済新聞社客員論説委員 |
* | 田中 豊蔵 | 元(株)朝日新聞社論説主幹 |
* | 渡辺 恒雄 | (株)読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆 |
これだけの方々が参加されているのがわかります。問題なのはこれらの方々が新聞社を代表して参加されているのか、それとも一私人の資格として参加されているかになります。たとえば田中豊蔵氏は「元」の肩書きであり、朝日新聞を代表していない可能性もありますが、残りのマスコミ関係者は現役の肩書きを名乗られており公私の区別が名簿だけでは判別が付きません。今日のエントリーで公人とは新聞社の代表としての意味と解釈お願いします。
公私の境と言うのは微妙で、時に気の持ちようだけみたいな時もあります。彼らがどういう経緯、どういう社内的立場を反映して財政審議会に参加しているかなど調べようがありませんが、これを客観的に判断する方法はあります。前半部に書いたマスコミによる権力監視の条件です。まとめておくと、
- マスコミの主要な役割に権力機関の監視がある
- 財政審議会は実質として国家権力に匹敵する権力機関である
- マスコミが監視する時には権力機関から距離を置き、第三者的立場を取らねばならない
一方で新聞には論説記事と言うのがあります。代表的なのは社説ですが、これらの論説は新聞社の意志を表しているものです。質については今日は置いておきますが、署名入りで論説記事を書くのは公人としてのお仕事です。論説記事の主張はイコール新聞社の主張となります。これについても実質について異議もあるかもしれませんが、公式にはそうなっています。
財政審議会の所掌事務は、総務省のHPにこうあります。
所掌事務
また財政審議会には5つの分科会があり名簿を引用した財政制度分科会の所掌事務は、
(所掌事務)国の予算、決算及び会計の制度に関する重要事項を調査審議すること
かなり広範囲の所掌事務ですが、財政審議会にマスコミ関係者がメンバーとして出席し、この所掌事務に関連する事柄を記事にすれば、まず提灯記事になります。その上でそれが論説記事であれば、提灯記事が新聞社の意見となり、財政審議会の提灯記事を新聞社の責務として掲載している事になります。たまたま知っている例を挙げておきますが、
【日曜経済講座】論説委員・岩崎慶市 開業医と勤務医の診療報酬配分
これはどう読んでも財政審議会財政制度分科会の所掌事務である
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国の予算、決算及び会計の制度に関する重要事項を調査審議すること
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瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず
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瓜田に軽トラを深夜に横付けし、柵を乗りこて李下に籠を抱えてうろつく
これはどこにも記された規則ではありませんが、もっと職業人には崇高な倫理規則であるはずです。それこそ国民的合意として期待されている新聞社の背信行為に他ならないと考えられます。私人として提灯記事を書く自由はありますが、公人として論説記事にすると言う意味合いはこれほど違うかと存じます。
この倫理を十分把握せずに産経新聞社が岩崎慶一氏に財政審議会の所掌事務についての論説を許可しているのなら、至急にこれを差し止める義務があります。これは吉田松陰の言葉ですが「士は過を貴しとせず、過を改むるを貴しと為す」の通り改善される事を希望します。 もし放置するのであれば、産経新聞社は財政審議会の所掌事務に付き、一切の監視義務を放置した、マスコミの風上にも置けないスカタン新聞社の汚名を覚悟する必要があります。
もちろん本社代表取締役会長・主筆が参加している読売新聞社や他の新聞社も同様です。
・・・と一生懸命力んでみましたが、蛙の面にションベンでしょうね。「マスコミの風上に置けない」なんて言葉も、マスコミ全体がそろって一番風上に並んでいる状態じゃ、実感しようがないかもしれません。「マスコミの風上ってな〜に?、みんなココにいるよ♪」てな感じです。もっとも購買部数がジリ貧だと言っても、まだまだ購買者は多いですし、そんなマスコミ倫理なんて気にもしない人も多数います。
精一杯期待しても、蛙の面にションベンから馬の耳の念仏ぐらいに改善されるのが関の山と言う事です。ああしんど。