個人への非難記事は慎重にお願いします

どういう風に扱おうか考えているうちに賞味期限が切れてしまった話題ですが、2/6付タブロイド紙・埼玉版より、

記者日記:医師の説明 /埼玉

 「もう一度、一から説明しましょうか!」。医師は突然、声を荒らげた。昨年末、兄が大病をした。治療法の説明の場に私も同席し、質問しまくった。もちろん面白半分にではない。学会のガイドライン本(書店でも買える)を読み、病状の微妙な差によって治療法も違うことを知っていたからだ。

 だが、医師は「そんな細かいところまで聞いてきたのはあなたが初めてですよ」などと繰り返し、明らかにいらだっていた。揚げ句に、私が「念のため確認しますが……」と治療法のある細部についてたずねた途端、冒頭のようにキレてしまったのである。

 私はひるまず質問し続けたが、こうした場面に慣れていない人なら黙ってしまっただろう。医師と患者・家族を隔てる「壁」はまだまだ高いと痛感した。申し添えておくと、医師はその後も献身的に兄を診てくれた。【平野幸治】

もうしゃぶり尽くされるように医療ブログで論評されていますが、とくに問題とされた点は、

学会のガイドライン本(書店でも買える)を読み

もう論評する必要もないと思いますが、ガイドラインだけを読んで治療を語るというのは、そうですね、民法や刑法の条文だけを読んで法曹家に解釈論争を挑むぐらい無謀な事です。もっと砕いて言えば料理書だけを読んでプロのコックに技術指導しているとしても良いでしょう。医療のガイドラインせよ、民法や刑法の条文にせよ、料理書にしろ、書かれている事がすべてではなく、その道の専門家なら書かなくても常識である事とか、後はガイドラインなりに書けないから現場の判断にお任せすると言う事柄は書かれていません。

さらにガイドラインは完成形ではありません。一つの目安ではありますが、ガイドラインより有効な治療法の開発は日夜試みられています。そういう成果がガイドラインの改訂として反映されるのもまた常識です。これは診療科や疾患により異なりますが、ガイドラインがあっても必ずしもすべての医師が完全にそれに従っているわけでは無いという事です。

それでもそうやってガイドラインでも読み、疾患の基礎知識を蓄えてから医師の説明に臨むと言う姿勢自体は評価しても良いとは思います。医療の説明は疾患によってはかなり複雑な物になり、一定の基礎知識があった方が嬉しい場合があるからです。患者側にしても解説つきでも次々と専門用語が飛び出てきては一度に受け止めるのに大変な部分があると考えられるからです。とくに病気の概念自体の説明が難しい時にはそう感じます。

さらに今回は記事に患者が記者の「兄」とされているところから、肉親の情として心配の余りの行為と許容しなければならない点もあるかとは考えます。好意的過ぎるとの批判も出るかもしれませんが、「兄」を心配する余り、予備知識を仕入れ、担当医師を質問責めにした事を記事にしたと受け取っておきます。


患者への説明が時に長時間に及ぶのは、疾患の重症度とか患者及び家族の理解や決断能力によっては時に避け難いことはあります。私が問題としたいのは記者の説明時の担当医師への姿勢ではなく、それを記事にした事です。記事にして何が悪いと言われそうですが、基本的なところから言えば、「兄」の了承をきちんと得ているかと言うことです。担当医師への説明は患者である「兄」に対して行なわれたもので、「兄」の許可なく記事にするのは如何なものかと言う事です。

ここは「兄」の了承を得ているとして、記事全体は担当医師への批判が多く含まれているかと感じます。

  • 「もう一度、一から説明しましょうか!」。医師は突然、声を荒らげた
  • 冒頭のようにキレてしまったのである

これらの表現は誰がどう読もうと担当医師個人への批判と言うより非難に読めるかと感じます。実際にどうであったかは確認する術はありませんが、記事はあきらかに担当医師を非難していると感じさせます。それも多くの読者の目に曝される新聞記事において行なわれています。記事だけ読めば一方的に医師が悪いようにも感じさせる構成になっていますが、記事はすべて記者の主観に基づいて書かれており、当事者の片方の言い分のみです。

ここまで公然と非難された時、もし担当医師に言い分があればそれは許容されるべきかと思います。ところが医師は患者及び患者側との会話について基本的に守秘義務を負っています。どのあたりまでが守秘義務で、どこからは話してよいのかの境界線の解釈は微妙で複雑ですが、医師の一般的な理解として秘密とします。実際のところは阿吽の呼吸の部分も多いのですが、原則は秘密として守ります。

とくにこの記事のようなケースの場合、どうして医師が苛立った(本当に苛立ったとして)理由を説明するには、例えば

質問しまくった

どの様な執拗な質問であったかの説明が必要になり、その説明を少しでも詳細に行なえば医師の守秘義務に抵触する怖れが生じます。結局のところ言い分があっても何も話せない状態に陥る事になります。医師の守秘義務についてはそれなりに有名ですから、もしこれを知ってこの記事を書いたのなら、あまり感心すべき行為と思えません。記者の主観で好き放題記事にし、なおかつそれに対する反論が一切出来ない状態であるからです。


新聞に限らずマス・メディアは巨大な影響力を持っています。「ペンは剣よりも強し」はジャーナリストの誇りとされますが、「ペンの力」は時に個人を破滅的な状況に陥らせます。つまり強大な「ペンの力」を行使する時には細心の注意が必要であるという事です。少なくとも個人を非難するときには十分な根拠により冷静に行なう必要があると考えます。冷静とは、

キレてしまったのである

こういう表現は好ましい用法とは思えません。「キレる」も日本語としてかなり普及しているかと思いますが、今でもさほど表現として適切な用語とは思えません。「しまくった」も相当なものですが、個人を非難するときには十分に配慮が必要なところではないかと考えます。言葉の重箱だけではなく、非難に対して正当性を欠くと感じられる個所への反論も提供されて然るべしかと考えます。マス・メディアによる非難報道は社会的制裁として、司法の場に於て減刑の対象になるほど強大なものであり、マス・メディアの「言いっぱなし」は非常に不適切な状態かと考えます。

とくに今回のように主観のみしか根拠の無い非難報道には、もう一方の当事者の反論の場がないと、場合によっては謂われ無き非難のみが降り注ぐ状態に陥ります。とくに今回のケースはもう一方の当事者が守秘義務の壁に阻まれて有効な反論を公に行い難い状態ですから、こういう時の報道には十分な取材による裏付けと冷静な報道姿勢が必要じゃないかと考えます。

建前上は担当医師の個人名も病院名も公表していませんから、名誉毀損なんて大袈裟なものに該当するとは思えませんが、署名記事であり、署名記者の「兄」であると明記していますから、担当医師や該当病院はこの記事が特定の「誰に」対して書かれたものである事は判明する可能性があります。マス・メディアでなく個人ブログであっても、私人である個人への公然たる非難は慎重を要します。マス・メディアであればなおさらの慎重さが望まれると考えます。


ここで注意しておいて欲しいのは、上記したようなことは、自負「だけ」であってもクオリティ・ペーパーとしているところに対して望むことであって、タブロイド紙に期待している事では決してありませんから、その点は誤解無いようにお願いします。たまたま例としてタブロイド紙に適当なゴシップ記事があったので用いただけで、タブロイド紙がゴシップ記事を垂れ流すことについては問題が異次元ですからよろしくお願いします。