冗長性

アポロ13号の話を読んだのは映画化されるよりもっと前だと思うのですが、当時は上質のドキュメンタリーぐらいと考えていました。手許に本が無いので記憶に頼りますが、月着陸を目指していたアポロ13号に突然の爆発事故が起こり、酸素も水も電気も大幅に失われた状態で奇跡の生還を果たすお話です。

生還できたポイントはいろいろあるのですが個人的には、

  1. アポロ計画での豊富な冗長性
  2. 地上管制チームの優秀さ
冗長性は当時聞きなれない言葉でしたが、大雑把に言うと重要な系統は複線配置にしておき一つの系統がダウンしても、もう一方の系統がバトンタッチして宇宙船の運用に支障を来たさないようにする仕組みとすれば良いでしょうか。宇宙船は打ち上げ能力の関係で無駄を省くのが大原則ですが、無駄を省く一方で冗長性装備をしっかり整えていたという事です。

アポロ13号の事故では皮肉にも冗長性の設計が不十分なところに発生し、それゆえに致命的に近い損害を受けたのですが、それでもその他の冗長部分をかき集めて地球生還を果たしています。それぐらいの余力がアポロ宇宙船には備えられていたとも言えます。

地上管制チームは次々に持ち上がる難題を限られた時間の中で対処していきます。宇宙飛行士の生命と背中合わせの状況の中で、ギリギリの決断を常に迫られながら的確な判断を行なっていきます。管制チームが優秀だったのは間違いないでしょうが、今から思うと危機的状況の中で常に休息と言う概念を忘れなかったと言うか、絶対に必要なものとして考えられていたのには感心しています。

月着陸のためには何ヶ月どころか何年もかけて用意された詳細なプログラムが用意されているのですが、これが事故によりご破算になり、襲いかかる事態に即興で新たなプログラムを作成していかなければなりません。そのためにはリフレッシュした頭脳が必要であり、リフレッシュした頭脳を確保するには休息は不可欠なものであるという思想です。当時のNASAにそれだけの戦力があったと言えばそれまでなんですが、現在の日本の医療を考えると意味が深そうに思います。


医療がどうなるかの議論はゆっくりですが、崩壊後の再生を考えように動いています。阻止とか防止とかの議論は過去のものになり、崩壊を見据えた上の次を考えるべきだの方向性です。自然と議論や運動の方向も、崩壊後の再生を阻害しそうな動きへの牽制や、スムーズに再生軌道に乗せられるようにするための地ならし的なものに傾きつつあります。もちろんこの動きも各人の意識レベルで多様なので一様とは言えず、そういう動きへの流れが見えつつあるというところです。

再生議論自体はかなり前からあるのですが、かなりバラバラです。目に見える枝葉末節にこだわったものから、諦観的なもの、破滅的なもの、もちろん楽観的なものまで様々です。一つ言えるのは再生論議には現場の医師の声をしっかり反映させるべきだの基調はあると感じています。私もボツボツ考えているのですが、まずは総論的なものから入るのが順序かと思っています。

現在の勤務医の現状の問題点はあまりの余裕の無さです。だから余裕をもたせるべきだの声は最近になって出始めていますが、もう少し具体的に「どんな」になると雲をつかむような話になります。雲をもう少し形あるものにしていきたいのですが、キーワードとして「冗長性」の考えを基本に据えるべきかと考えています。

医療全体にもあてはまり、目に見えるところでは産科や救急医療に著明なのは医師の疲弊です。疲弊した医師が診療を行なうという状態を異常と考えなければなりません。医師でなくとも仕事を行うに当たり必要な休息を取る方が、トータルとしてメリットがあるのは説明は不要かと思います。これは医師へのメリットだけではなく、患者に対してはより大きなメリットになると考えられます。

患者の立場から素直に見れば、徹夜で睡眠不足の医師に診察を受けたり、ヘロヘロの医師の手術を受けるという行為は歓迎すべきものでないと考えます。それこそ本当の意味の誤診や医療ミスの温床になりますし、その被害を身体で受けるのは患者です。誰が考えても必要な休息を取って英気を回復した医師の診療を受ける方がメリットが高いと考えるかと思います。

目指すべき方向性は医師が適切な休息を取れる医療体制という事になります。そうする事が必要だの基本認識からの再生が望ましいという事になります。冗長性は医療に当てはめると十分なバックアップ体制になるかと考えます。夜間の重症患者に対し現在でも休息中の医師を呼び出して対応するは日常的に行なわれています。しかし現在ではそれに対する休息は考慮されていません。

夜間の呼び出しも年に数回の限られたものであるのなら「滅多にないこと」で済ませて構わないのですが、頻繁に起こるとなれば体を蝕んでいきます。慢性的な睡眠不足による疲労は医師の能力を確実に低下させます。解消できない疲労は精神論や根性論では解決できません。夜間に呼び出されて働く事自体は医療と言う性質上、また医師の絶対数の不足から当面避けられませんが、それをリカバリーする休息が可能な冗長性が医療体制に必要と考えています。

現在の医療体制は冗長性が極度に削ぎ落とされています。病院の勤務医全員がそろっていても基本的に不足で、そこからさらに一人でもかけると危機水準に落ち込むところは珍しくありません。1人も欠く事が出来ないので疲弊していようがヘロヘロであろうが体に鞭打って連続勤務を行ないます。それを解消するのが医療再生の出発点だと考えています。

現実的にどんな事なら可能かといえば、夜間や休日勤務を行なった医師が必要な休息が取れるように、日勤の医師数を増やすというのは考えられる対策です。夜間や休日勤務を行なった医師が翌日も働かなければならないのは、翌日の日勤も人手不足である事が大きな点です。休息のために休んでも日勤戦力がこれをカバーできれば休息を取る事が可能となります。

現在の病院の医師の数は日勤勤務でさえ支えるのにギリギリの数です。その戦力で夜間や休日まで引き延ばしてカバーしているから無理が出ています。では夜間や休日勤務の休息のための戦力が日勤にあればOKになります。この日勤の余分な戦力が冗長性になります。夜間や休日に駆り出されなければ無駄とも言えますが、この冗長戦力が無い限り医師は必要な休息を確保できません。

そういう冗長戦力を抱えられる医師数と医療費の確保がまず目指すべき方向のように考えます。冗長戦力としてなら、先日コメント欄で話題になった女性医師も貴重な戦力として活用の余地が十分に出てきます。


与太話に近い代物ですが、再生論議も理想と現実の間の妥協点を考慮しなければなりません。理想を言えば幾らでもありますが、現実して可能な線の案の一つぐらいと笑ってくだされば幸いです。