なつかしい話題

8/30付け京都新聞より

集団退職、揺れた市の方針 舞鶴市民病院、医師確保を業者に依存

 経営再建中の京都府舞鶴市舞鶴市民病院(同市溝尻)が、有料紹介業者らに医師確保を依存していた実情が、このほど明らかになった。背景には市や病院の度重なる方針転換、近年の深刻な医師不足があった。

 京都新聞社が情報公開請求した資料などによると、同病院は2004年4月以降、7業者、薬局関係者ら3人の「顧問」と順次契約し、医師確保を依頼。この結果、常勤医7人が就任。業者と顧問に計約3600万円を支払った。現在の常勤医6人のうち、3人が業者の紹介だ。

 契約のきっかけは、04年春までの内科医13人の集団退職。研修医が研修先を自由に選べる新臨床研修制度も始まり、産婦人科など3診療科でも常勤医が不在になった。

 同病院は「大学病院が医師を引き揚げたがこちらに医師確保のノウハウはなく、業者に頼るしかなかった」と説明。未確認のまま無資格業者と契約していたことも判明し、今月の市議会議員協議会で同病院は陳謝した。

 国の政策に加えて、市の二転三転する方針も結果的に医師確保を一層難しくした。

 市は06年1月、約30億円の累積赤字を抱える同病院の自立再建を断念し、療養型医療を前提とした民間委託を表明。これに伴い、病院側は複数の内定医師採用を見合わせ、大学病院が派遣していた外科医全員が4月に辞職。翌月、一時は35人いた常勤医が病院長1人となり、病院長も6月に辞職した。

 自立再建断念時の140人の入院患者は2人に激減。夜間当直の名目で防衛庁(当時)から医官8人の派遣を受ける異例の事態に発展。市も民間委託先を変えるなど混乱した。

 07年2月の市長選で病院再建を公約に掲げた斎藤彰氏が当選。新市政は、地域医療再検討のため民間委託を白紙に戻し、同病院は紹介業者3社と新たに契約した。

 現在は、市長の私的諮問機関「地域医療あり方検討委員会」の昨年11月の答申に基づき、公的4病院再編まで機能の一部回復に努め、簡単な診療や健診業務を中心に担う。

 竹原和男事務局長は「業者や顧問との契約はあくまで緊急措置。今後は、新たに就任する病院長を中心に医師確保に取り組むことになる」と説明する。

 病院長就任と、答申が「できるだけ速やかに」と求めた再編への動きは、いずれも近く表面化する見通しだ。

とりあえず「なにもかも、なつかしい!」の感慨が出てきます。2.18前後かその少し前に盛り上がっていた話題で、泉崎、瀬棚、舞鶴と言えば当時三大聖地と呼ばれたものです。その後、聖地はどんどん拡大し、聖地でないところは「どこだ?」と言われるぐらいになりましたが、それでも舞鶴とは懐かしい名前です。

ちゃんと調べれば良いのですが、舞鶴事件の経緯を記憶に頼って書きます。

  1. 事件当時、舞鶴は優秀な研修システムが存在し、医局人事がまだ力を持っていた頃でさえ、全国から研修医が集まるほどであった。
  2. しかしその研修システムは病院会計上「赤字分野」とされ市から問題視された。
  3. 他にも事情はあったようだが、スッタモンダの末に研修システムの推進医師が退職させられた。
  4. その経緯と一連のドタバタに愛想を尽かせた医師が続々退職。
  5. 最後は医師一人、入院患者2人まで減少。(その後「医師ゼロ」まで進行)
  6. その後も民間売却や自主再建などでひたすら迷走。
舞鶴については詳しいウォッチャーがたくさんおられたと思いますから、大きな間違いがあれば訂正補足ください。私が知る最後の情報は療養型に転換して再建だったと記憶していますが、
    現在は、市長の私的諮問機関「地域医療あり方検討委員会」の昨年11月の答申に基づき、公的4病院再編まで機能の一部回復に努め、簡単な診療や健診業務を中心に担う。
これだけでは何をしているかよくわからないのですが、久しぶりに舞鶴市民病院のHPを見ると、とってもチャーミングです。まず沿革を見てみます。全部出すと長いので、病院規模がピークを迎えたと考えられる平成8年以降を見てください。


平成 8年



  3月15日

病院南棟の新築工事完了
 
療養型病棟 23床、新救命救急部を開設
 
高度医療機器を整備
      MRI (磁気共鳴断層撮影装置)
      DSA (デジタルサブトラクション血管撮影装置)
 

  4月  1日

許可病床数 236床
 
  (一般 236床うち療養型病床群 23床)

平成 9年



  1月  1日

京都府より「へき地中核病院」の指定
 

  1月14日

脳ドックを開始
 

  3月  1日

リウマチ科を開設
 

11月  1日

開設50周年

平成10年



  6月  1日

新看護 2.5:1承認
 

  7月  1日

歯科口腔外科を開設

平成11年



  3月10日

本館棟他の改修、機械・電気設備取替等の工事完了
 

  7月23日

西4階病棟他の工事完了

平成12年



  4月  1日

介護療養型医療施設の指定 (12床)
 

12月  1日

脳卒中センター」開設

平成13年


  2月22日

子育て相談室を開設
 

  4月  1日

「総合リハビリテーションセンター」開所
 

  4月  2日

病院ホームページ開設
 

12月  1日

肺がん検診を開始

平成14年


  3月  1日

許可病床数236床(一般 213床、療養型病床群 23床)
 

10月  1日

インシデント報告体制整備
 

12月  2日

不妊治療センター」開設

平成15年


  1月  1日

新「病院理念」制定
 

  3月  3日

女性外来開設

平成17年


  4月  1日

事業管理者設置
    許可病床数198床(一般 175床、療養型病床群 23床)

ここには平成18年以降の出来事が書かれていないのが本当に清々しく、病院ホームページ開設は沿革に掲載されていますが、その後の二転三転の大騒ぎはまだ準備状態のようです。ついで言うと平成9年に病院開設50周年ですから、平成19年には60周年のはずですが、これもまだ記載されていません。これだけ読むと、

この体制で現在でも健在のように見えます。そう思って入院案内を見てみると、

療養病棟への入院について】

 平日の午前8時30分〜午後5時に申し込みを受け付けます。受け入れについては医療の必要度の高い人などを優先させていただくため、申込多数の場合は、ご希望に添えない場合がありますのでご了承ください。

◆お問い合わせ先 市民病院地域医療連携室
                 (0773)62−9005

  注)療養病棟・・・比較的症状の安定した患者様が、病気の再発防止や安定した状態を維持するため、療養を行う病床

どうも稼動しているのは療養病床だけのようです。ではではと言う事で、施設概要はどうかと見れば、

病床数

198床   一般病床 150床 療養型病床 48床 (うち介護療養型病床 12床)

おそらくですが介護療養型病床のみが稼動しているような気がしています。では一時「ゼロ」まで減った医師数ですが、外来担当表には16人の名前が確認できます。しかしこれでは常勤か非常勤かの識別は無理です。そこで「各科案内」で確認しようと考えました。通常では病院HPの「各科案内」は診療科の紹介と運が良ければ所属医師の紹介があるからです。ところが「各科案内」にあるのは、

    看護部、訪問看護、訪問リハ、薬剤科、臨床検査科、放射線科、リハビリ科、栄養管理科
残念ながら診療科の紹介が皆無で不明でした。施設概要に院長代行の名前があったので常勤1人は確実ですが、後は不明です。それと舞鶴市の実にラブリーな基本方針なのですが、
    07年2月の市長選で病院再建を公約に掲げた斎藤彰氏が当選。
やはり「閉院して集約」は地方政治では許されないんですね。先日閉院決議を行なった銚子よりよほど潰す条件は整っていると感じるのですが、あくまでも再建の方針のようです。そういう選択が市民の選択とも言えますが、そもそも市長選で「閉院」と訴えた候補がおられたんでしょうか。おられたら選択と言えますが、おられなかったら選択の余地無しになります。

それにしてもですが、この記事の本来のテーマは業者依存による医師集めについての是非の問題ですが、集める方法と言うか、解決策がとっても、とってもファンタスティックです。

    原和男事務局長は「業者や顧問との契約はあくまで緊急措置。今後は、新たに就任する病院長を中心に医師確保に取り組むことになる」と説明する。
院長が医師集めに奔走させられるようです。それもあの舞鶴に・・・・・・誰が院長を御引き受けになるか分かりませんが、前途に広がる茨の道を考えると思わず「御愁傷様」と呟いてしまいました。