10/4付大分合同新聞より、
地域医療へ貢献 豊後大野市民病院の開院式
旧公立おがた総合病院(豊後大野市緒方町)と旧県立三重病院(同市三重町)との統合により誕生した「豊後大野市民病院」の開院式が3日、同市緒方町の同病院で開かれた。
広瀬勝貞県知事、橋本祐輔市長らによるテープカットに続き式典。橋本市長が「統合協議が始まってから2年9カ月、多くの難問があったが、無事に開院できた。良質な医療を提供し、地域医療へ貢献したい」と式辞。
来賓の広瀬県知事、安部省祐県議会議長、生野照雄市議会議長、児玉一成市医師会長が祝辞。野田健治病院事業管理者、坪山明寛院長が「市民のために設立されたという病院理念の実現を目指したい」と述べた。
両病院の統廃合問題は、全国的な医師不足が背景。すでに1日から新病院の運営は始まっており、旧公立おがたを核とし、旧県立三重は市民病院三重診療所へ変わった。
新病院は診療科を21科へ細分化し専門性を高めた。2階建ての新病棟を建設し、2次救急医療の充実を図り、病床数は148から199床へ増やしている。常勤医は23人で、来年度からは26人の見込み。
また、心臓疾患などへ対応するための連続血管撮影装置、高性能のコンピューター断層撮影装置、高気圧酸素治療装置などを新規に導入した。
このほか、大分大学との連携により、地域医療を学ぶ学生や研修医の受け入れを進める。
実はと言うほどの事は無いのですが、合併する2病院の中に知り合いの医師がおられて(今はどうなっているか存じません)、合併話がある事だけは小耳に挟んでいたので気になったニュースです。最近音沙汰ありませんので、今日のエントリーには知人医師の裏情報はまったく入っていませんので悪しからずです。
旧病院のHPは消滅してしまっているので、情報はwikipediaから取ります。旧病院と新病院の規模と内容です。
項目 | 公立おがた総合病院 | 県立三重病院 | 豊後大野市民病院 |
設立母体 | 国保 | 大分県 | 豊後大野市 |
病床数 | 一般病床:104床 療養病床:40床 感染病床:4床 |
一般病床:165床 | 199床 (詳細不明) |
診療科 | 内科 外科 整形外科 小児科 産婦人科 泌尿器科 眼科 脳神経外科 耳鼻咽喉科 皮膚科 放射線科 麻酔科 リハビリテーション科 |
総合内科 神経内科 呼吸器内科 消化器内科 循環器内科 小児科 整形外科 外科 眼科 皮膚科 泌尿器科 |
総合内科 循環器内科 呼吸器内科 消化器内科 神経内科 内分泌代謝科 腎臓内科 小児科 放射線科 外科 整形外科 脳神経外科 泌尿器科 産婦人科 眼科 麻酔科 耳鼻咽喉科 皮膚科 リハビリテーション科 その他2診療科 |
医師数 | 15 | 13 | 23 |
豊後大野市民病院のデータは記事及び統合病院の姿について(その1)、統合病院の姿について(その2)を参照にしています。新病院の病床数は詳細不明としましたが、新病院は公立おがた総合病院をベースにしていますから、おそらく、
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一般病床:155床
療養病床:40床
感染病床:4床
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内分泌代謝科、腎臓内科及びさらに2診療科を新設
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公立おがた 15 + 県立三重 13 → 新病院 23
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常勤医は23人で、来年度からは26人の見込み。
4人が新任であれば旧病院からの移行組は19人になります。仮に診療所の常勤医が内科・外科1名づつと仮定すれば、旧病院からの移行組は21人になります。内幕はどうなっているのかチト興味深いところです。実際はもっと激しく入れ替わった可能性も十分あります。たいした理由ではありませんが、2つの旧病院に共通の診療科には、それぞれ診療科部長がいたはずであり、合併すれば部長の椅子は一つと言う事です。
年齢が上るほど肩書きにこだわるのが人間のサガで、医師もまた例外とは言えません。新病院に就職しなければ「食べていけない」「他に就職口がない」ぐらいの事情があればともかくですが、そうでなければ「あいつの下で働けるか」ぐらいの状態にすぐに陥ります。この病院の内部事情は知りませんが、すべて同じ大学病院の人事ラインなら単なる入れ替えで済みますが、どうだったんでしょうね。
ここもなんですが「だからこそ」23人の医師で21の診療科に「細分化しなければならなかった」と解釈することもできますから、実際のところはわかりません。
それでもですが、旧病院に較べて病床数に対する医師の数は改善されたと見る事ぐらいは出来そうです。今でも勤務されていればですが、知人医師の労働環境がこれで改善される事を願うばかりです。それとですが外野から一番心配するのは豊後大野市の財政です。これまでも補助ぐらいは出していたかもしれませんが、果たして耐え切れるかです。どんな経営形態と言うと公立おがた総合病院と大分県立三重病院の統合に関する基本協定についてに、
第6条
甲は、統合病院及び診療所の経営形態については、経営の独立性を確保するため、地方公営企業法(昭和27年法律第292号)の全部を適用するものとする。
病院も診療所も基本的に市の直営ぐらいに解釈しても良さそうです。そんな豊後大野市ですが、wikipediaより、
大分県南部に位置する。大分市の南側に隣接しており、市中心部(旧・三重町区域)は大分市の中心部から南へ約35kmの場所にある。市域南側は宮崎県と県境を成している。旧・三重町の中心部を除き、市域の大半は丘陵と山林であり、宮崎県との県境には九州山地を形成し祖母山や傾山がある。
近年、市内中心部(旧・三重町区域)では、大分市のベッドタウンとして人口増加が著しく、県内屈指の人口増加率を誇るほどである。その影響で、同地区には新興住宅地が造成され、国道326号沿いにはロードサイド店舗が立ち並んでおり、大型の商業施設やショッピングセンターなどが建設されている。
ここだけ読むと発展中の活気溢れる市にも読めますが、平成22年8月31日現在で人口40736人に対し65歳以上の高齢者人口が14830人(36.4%)で、平均年齢が58.2歳ともあります。人口の推移も
年 | 人口 |
1980年(昭和55年) | 51,975人 |
1985年(昭和60年) | 50,011人 |
1990年(平成2年) | 47,034人 |
1995年(平成7年) | 45,191人 |
2000年(平成12年) | 43,371人 |
2005年(平成17年) | 41,548人 |
2010年(平成22年) | 40,736人 |
財政がどうなっているかですが、ちょっと古いですが2006年時点の豊後大野市の財政分析と言うのがあります。
5. 財政指標の状況
自治体の財政状況を判断するために様々な指標がありますが、2006年度における本市の指標をいくつか見てみます。
(1) 財政力指数 0.27
地方公共団体の財政基盤の強弱を示す指数で、標準的な行政活動に必要な財源をどれくらい自力で調達できるかを表しており、普通交付税の算定基礎となる基準財政収入額を基準財政需要額で除して得た数値で、1に近いほど財政に余裕があることを示します。
本市においては基幹産業である農業が不振であり、大きな企業の数が少ないことなどから、税収が伸び悩んでおり、県内市町村平均0.42と比較しても、自主財源が乏しく財政基盤が弱いことがうかがえます。
(2) 経常収支比率 97.0%
税などの一般財源を、人件費や扶助費、公債費など経常的に支出する経費にどれくらい充当しているかをみることで、財政の健全性を判断します。この比率が高くなる程、公共施設の整備など投資的な経費に充当する財源の余裕が少なくなり、財政運営が厳しくなります。
都市にあっては75%前後であるのが望ましく、80%を超えると財政構造の弾力性が失われつつあるといわれています。
本市においては、2004年度101.6%、2005年度97.3%と、毎年度、改善は見られますが、県内市町村平均92.5%と比較しても依然高い率であり、特に公債費については27.8%で、財政状況を圧迫する基準となる20%を大きく超えており、公債費削減に特に力を入れなければなりません。当然、その他の経費についても削減に取り組まなければなりません。
(3) 実質収支比率 9.0%
標準財政規模に対する実質収支(歳入から歳出及び翌年度へ繰り越す財源を引いた額)の割合をいいます。一般的には、3〜5%程度が望ましいとされ、マイナスとなった場合は赤字団体ということになります。
本市は新規の事業等の実施を控えているため、若干、高めの数値となっています。
あくまでもこれは2006年当時のもので現在は改善しているかもしれません。それでも豊後大野市のHPにある公的資金補償金免除繰上償還に係る財政健全化計画についてには、
類似団体(?−0)との比較では、収入では類団に比して交付税は2倍近く大きい一方で税収はかなり少ない。歳出では類団に比して人件費、物件費、公債費の額が大きい。特に公債費は2倍となっている。
そのほか職員の状況では類団に比して2倍多く、地方債残高も大きい。
以上のように、旧7町村が持ち寄った職員数、地方債残高は、類似団体に比してかなり大きく市の負担となっている。また、市の基幹産業である農業の不振は自主財源である税収の伸び悩みの一因となり市の財政基盤は不安定な状況となっている。収入の大半を交付税に頼っており、合併特例期間の終了する平成26年度までに総合計画に基づく大型事業を計画的に実施すると共に、行革を積極的に推し進めなければならない。
どうも弱者連合の合併であったと考えても良さそうです。それでも病院事業開始(豊後大野市にとって)は、
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合併特例期間の終了する平成26年度までに総合計画に基づく大型事業を計画的に実施
ここは情報が見当らなかったというか、そんなに調べていないのですが、一番の背景に旧病院の設立母体が撤退の意向を強く示していたんじゃないかと考えています。放置すれば病院が無くなってしまうの危機感から市が病院事業に手を染めざるを得なくなる構図です。そうでもなければ、わざわざ手を出す理由が思いつかないからです。
もっとも合併市町村はなぜか(特例債のためでしょうか)大型事業と言うかハコモノ事業に異様に積極的になるので、シブシブであったのか、大喜びであったのかは外野からは不明です。
いずれにしても全国の病院合併の模範経営例になるように祈っておきます。赤字が垂れ流されたら一遍に市の財政が傾くどころか、危機的になりそうだからです。また旧来良くあった余剰職員の処分場みたいになったら目も当てられない事になりかねません。くれぐれもそうなりませんように。