横浜ベイスターズ身売りからの連想

最近雑談が多くて申し訳ありません。「日曜にしろ」との声も聞こえなくもありませんが、毎日毎日医療ネタばかりは、書く方もウンザリしている部分もありますから、悪しからず御了承下さい。さてベイスターズ栄光の1998年からの戦績です。

年度 試合 勝率 順位 監督
1998 136 79 56 1 .585 優勝 権藤博
1999 135 71 64 0 .526 3 権藤博
2000 136 69 66 1 .511 3 権藤博
2001 140 69 67 4 .507 3 森祇晶
2002 140 49 86 5 .363 6 森祇晶
2003 140 45 94 1 .324 6 山下大輔
2004 138 59 76 3 .427 6 山下大輔
2005 146 69 70 7 .496 3 牛島和彦
2006 146 58 84 4 .408 6 牛島和彦
2007 144 71 72 4 .529 4 大矢明彦
5008 144 48 94 2 .338 6 大矢明彦
2009 144 51 93 0 .354 6 大矢明彦
2010
(10/6時点)
142 47 94 1 .333 6 尾花高夫


私の世代となると横浜ベイスターズと言うよりも大洋ホエールズの方に未だに馴染みがあるのですが、横浜ベイスターズも前期と後期があります。前期は大洋時代と同じ大洋漁業マルハニチロ水産)経営時代と、2002年からのTBS経営時代です。どんな経緯だったかと言えば、wikipediaより、

1月26日に親会社(筆頭株主)がマルハからニッポン放送に変更する予定だったが、当時ニッポン放送の関連会社であったフジテレビがヤクルトスワローズ球団株を20%強保有していたため、一転してTBS(東京放送。現:東京放送ホールディングスTBSHD〕)への移行がプロ野球オーナー会議で承認され、球団オーナーが当時のTBS社長砂原幸雄となった。

あんまり詳しくなかったのですが、当初はTBSではなくフジが買収予定だったようです。これだけの記述ではえらくお手軽な買収先の変更ですが、舞台裏はどうだったのでしょうか。それとベイスターズにとって買収先がTBSとフジのどちらの方が良かったかも今となっては何とも言えません。一つ言えるのは、2002年ですからテレビ会社も翳り無く繁栄を謳歌した時代であったろうぐらいです。



このベイスターズの歴史の中で個人的に注目したい時期があります。1998年に優勝後も、そこそこの成績を残しているのは確認できるかと思います。優勝監督の権藤は2000年まで監督を続けますが、それでもジリ貧の成績のためか後任に森を迎えます。森は言うまでも無く西武黄金時代を率いた大物監督です。森を招聘した意図はおそらく2つで、

  1. 権藤の放任主義によるチームの緩みを引き締める
  2. 西武のような強豪チームに仕立ててもらいたい
西武時代の森は「強すぎて面白くない」とまで評されていましたし、強すぎて観客動員が低下しているのまで解任理由に囁かれたぐらいです。森も成績を残してるのに冷淡だった西武フロントを見返してやりたいの心情もどこかにはあったと思いますし、当然ですが自信もあったと思っています。ベイスターズ就任前の森の監督成績は文句の付けようのないものであったからです。

しかし森はベイスターズでは酷いまでの無残な成績を残し、事実上の解任を余儀なくされます。何故に森は西武であれだけの成功を収めたのに、ベイスターズではあれだけ無残な成績しか残せなかったかです。もちろん当時の西武フロントとベイスターズ・フロントの能力の差もあったでしょうが、根本的には森の能力がベイスターズには合っていなかったからだと考えます。

名将とされる監督の能力には3つのタイプがあると考えています。

  • 魔術師型
  • 育成型
  • 強豪管理型
魔術師型としては古くは三原、さらには仰木も有名です。森の前任の権藤もそうかもしれません。現有戦力を魔術師的な手腕で統率し、選手の持てる以上の能力を一時的に引き出して成績を残すタイプです。非常に印象的なタイプで、前年度最下位チームを突如優勝させるみたいな手腕を発揮します。選手管理も独裁強権と言うより、巧みにおだてて乗せるのに長けている面が強いところがあります。

育成型の典型は近鉄元監督の西本でしょう。オンボロチームを任され、さしてチーム強化にも金をかけてもらえない状態で、現有戦力の中で才能のあるものを発掘し、これに磨きをかけて戦力強化を地道に行うタイプです。選手に対し非常に厳しい態度を取るのと裏腹に、選手起用については非常に我慢強いものが要求されます。弱体チームはぬるま湯体質ですから、これを常に引き締めながら、なおかつ数少ない有望選手を可能な限り漏れなく育て上げる事が必要とされます。

魔術師型に較べると成績を残すまでに時間がかかる一方で、もし出来上がると安定した強豪チームが誕生します。西本が育て上げたかつての阪急を思い出せば良くわかります。野村なんかも育成型になるかもしれません。

最後の強豪管理型ですが、最大の成功者は川上だと考えています。このタイプも選手には基本的に冷厳な姿勢を取ります。選手に対して厳しいのは育成型と似ていますが、強豪チームでは育成の必要性が乏しいので、スターのレギュラー選手でも容赦なく交替させる厳しさと言えば良いのでしょうか。選手の実績に全く顧慮せずに、その時に調子の良いもの、能力に優れたものを適材適所で使い切る手腕とでも言えば良いかもしれません。

強豪チームはレギュラーも優秀で控え選手層も分厚いのですが、それだけでは勝てないのが野球の一面です。毎年途轍もない補強を行い、二軍のレギュラーまで1億円プレイヤーが並んだと言われる長嶋巨人を思い出していただければ判ると思います。強豪チームを強豪として優勝させるためにも特別の手腕が必要と言う事です。


おおまかに3つに分類しましたが、本当の名将は3つの要素をある程度兼ね備えています。それでも得手不得手があるのが人間です。森の師匠(そう本人が思っているかどうかは不明です)とされるのは広岡です。広岡野球といえば、これも一世を風靡した管理野球です。森もまた管理野球の権化とまで言われましたが、広岡と森の管理野球は微妙に違うと思っています。

広岡は最後の西武の印象が強いので強豪管理型に思いがちですが、その前のヤクルトも、監督就任当時の西武も発展途上のチームだったと思います。それを育成して強豪チームに仕立てたと考えています。また戦術も手堅いものを思い浮かべがちですが、今でも論議のある短期決戦の「捨てゲーム」戦術が有名になったのは広岡からです。

広岡は3要素を兼ね備えていましたが、実は一番得意だったのは育成型だったような気がしないでもありません。育成型の一つの要点は選手の強力な統制です。弱小チームはぬるま湯体質が染み付いていますから渇を入れるところから始める必要があります。西本は熱血ゲンコツ野球でしたが、広岡は冷血管理野球であったと表現するのが良いと思います。

広岡の育成型があまり目立たなかったのは、西武は発展途上とは言え、かなり戦力が整っていたチームであり、短期で強豪チームに仕立てる事が出来たからだと考えています。広岡管理野球は強豪管理にも適している面があり、非常にスムーズに管理を移行できたのも大きかったと考えています。


さて森なんですが、広岡から受け継いだ西武は初めから強豪です。広岡が管理野球で完成させていますし、森の野球も管理野球です。森はひたすら強豪管理型のみを追及すれば成功したのだと思います。簡単そうに書きましたが、優勝、さらに連続優勝を重ねるチームにはスター選手が輩出し、スター選手は誰しもお山の大将です。

お山の大将を管理統制し続ける手腕は並大抵の事ではありません。森が西武で成功を収めたのは成績から文句の付けようはありませんが、発揮した能力は強豪管理型のみであったと考えます。他の育成型とか魔術師型の能力は必要とさえされない環境に森は最初からあったと思います。


ベイスターズは1998年に優勝していますが、魔術師型の権藤はチームの底上げと言うか、長期覇権を争えるような選手層の強化まで至ってなかったと考えています。そのため優勝後の成績はジリ貧になっています。理由は他にもあるでしょうが、戦力的には優勝した1998年がピークで、年とともに磨り減っていたと私は見ます。

森に課せられた役割は低落傾向にあるチームの建て直しですが、求められた仕事は強豪チームのチーム強化ではなく、育成型のチーム強化であったと考えています。どこが違うかと言えば、強豪のチーム強化は名前だけで能力の衰えたレギュラー選手を容赦なく引っ込める事です。一方で育成型はレギュラー選手になれそうな選手の指導育成です。

良く似てそうなのですが、強豪チームでは候補選手を何人か使って「ものになるのを選ぶ」事が仕事ですが、弱小チームでは選手の才能を見極めて、当初は成績不振でも執念深く使い続ける度量が必要となります。

弱小チームでありがちな現象は、往年の実力を失ったレギュラーでも、控え選手の能力を凌駕してしまう事です。チーム強化の視点から言うと、レギュラーに1.0の能力が欲しいのに衰えにより0.7ぐらいまでに低下しており、それではチェンジと考えても控えは0.5ぐらいしか能力が無い状態です。純戦力的には0.5の控えより0.7の衰えたレギュラーの方が上なんですが、チーム全体からすると1.0でなければならないのが0.7しか無い状態に陥る事になります。

強豪が強豪である所以は、レギュラーが0.8ぐらいに力が落ちた時点で、これに取って代わる控え層が充実しているところになります。ですから指揮官としては冷徹にチェンジするのが一番重要な仕事になります。弱小チームでは、現時点で0.5やそれ以下でも、育て上げる事により1.0に持っていく手腕が要求されるわけです。


森にとって初めて育成型の手腕がどれほどかを問われたのがベイスターズだったと思われます。こうやって考えると森への課題は、

  1. 権藤放任野球のチームに森流管理野球を速やかに浸透させる
  2. 育成型の選手管理でのチームの強化
この二つは森にとって初体験であった事になります。広岡の管理野球にも賛否両論はありますが、とにもかくにもヤクルトと西武の2つの球団で導入に成功しています。森は西武で広岡が導入した管理野球を維持発展させただけで、自ら導入するのは未知の世界になります。選手の育成もそうで、西武黄金時代には我慢して有望選手を育成のために使うと言う経験は殆んど無かったと考えられます。

結果として言えるのは、この2つの課題を森は克服できなかったと言う事です。就任1年目は辛うじて勝ち越して面子を保ってはいますが、おそらく森流管理野球の導入は不十分であったと考えるのが妥当です。2年目はシーズン当初から散々な成績になっています。

管理野球の浸透は森野球にとって、選手管理、選手統制の根本です。管理野球の一つの本質は監督の独裁権の確立にあり、有無を言わせぬ独裁権で選手を強制管理下に置くことです。そういう体制での求心力はチームが勝つ事です。チームが勝つと言うのは、選手の昇給にも直結するわかりやすい指標であり、独裁であろうがなんであろうが、勝ち続ければ自然に求心力が生じます。

この辺は魔術師型が勝つ事をテコに求心力を高めていく手法と若干ニュアンスが違います。手順論なんですが、管理野球では管理された結果で勝つ事で求心力を高めるのに対し、魔術師型は勝つ事で監督手腕への求心力を高めると言えばわかって頂けるでしょうか。

どうもなんですが、森ベイスターズの内幕として、選手は森の管理野球の結果として勝ったとの実感が持てず、監督への求心力にならなかったと考えます。求心力が生じなかったため、2年目は完全にチームが空中分解になり、成績の極度の低迷はそれだけで監督への求心力を低下させますから、2年目になると手の施し様のない状態になったとするのが妥当でしょう。



ここでわからないのは、大物監督の森を招聘しながら、その翌年にはチームを売り払ってしまった事です。チーム売却は親会社の経営状態も深く関与しますから単純ではありませんが、売り飛ばすつもりであれば何故に森を招聘したのだろうです。チーム売却交渉はオーナー会議の了承まで必要ですから、相当入念な準備期間が必要です。1年以上前から水面下で準備が進められていたとしても良いかと思います。

あくまでも野球ファンとしてですが、2001年に森を招聘した時点ではマルハニチレイ水産はまだまだやる気であったと思っているのですが、ところが2002年にはTBSに売却されています。この間に何があったんだろうです。

ここを憶測する時に当時のプロ野球を取り巻く環境を考える必要が在ります。公式に表面化したのは2004年なんですが、伏線が2002年もしくはそれ以前からあったんじゃないかと考えています。2004年はプロ野球にとっても激動の年で、近鉄オリックス合併問題から1リーグ制移行に揺れ動いた大騒動が起こっています。同時にダイエー売却問題、秋にはNPBストライキ、さらには楽天加入まで起こる年です。

この1リーグ制移行の黒幕とされるのが、渡辺オーナー(当時、巨人)、堤オーナー(当時、西武)、宮内オーナー(オリックス)です。1リーグ制へのシナリオは2リーグ12球団を10球団に再編し、これを1リーグにしてしまおうです。堤・宮内氏にとっては巨人と同一リーグに加入する事により球団経営もラクになり、企業の宣伝価値も格段に上がりますから美味しい提案です。

巨人は、巨人主導による新リーグ設立によりプロ野球の主導権を我が手に収めてしまうの思惑があったと考えるのが妥当です。どうやらなんですが、読売も渡辺氏も未だにプロ野球は読売新聞が作ったものであり、読売新聞の所有物の意識が濃厚にあったと考えています。

近鉄の身売り問題も現実化したのは2004年ですが、当然ですがもっと前から売却問題はあったと考えています。それこそ2001年時点からそういう話が水面下で展開してもおかしいとは思いません。近鉄問題で現在でも不可解なのは、球団売却にならずに合併になった事です。当然ですが黒幕3人の意図が強烈に働いていたと考えるのが妥当です。

ただ近鉄だけではまだ11球団あります。偶数にしないとリーグはやりにくいですから、最低もう一つ削減する必要があります。そのための布石として、球団経営が重荷になっていたベイスターズに目を付けたと考えます。黒幕3人、とくに渡辺氏は自分の意向が反映しやすいTBSにベイスターズを売却させる様に積極的に動いたと見ます。これはwikipediaからですが、

2001年11月16日、経営が悪化していた当時の親会社・マルハが球団株の第2位の株主だったニッポン放送への球団株譲渡(身売り)を発表、NPBも一旦はこれを認めた。ところが10日以上も経ったところで読売ジャイアンツ渡邉恒雄オーナーが「ニッポン放送の持分法適用関連会社であるフジテレビがヤクルトスワローズの球団株を所有しており、横浜球団のニッポン放送への売却は野球協約に抵触する」と異議を申し立て、これをきっかけにニッポン放送への球団株売却は頓挫。最終的に第3位株主のTBS(東京放送。現:東京放送ホールディングスTBSHD〕)に譲渡された。この際、TBSがもともとベイスターズの株主企業のひとつだったことから「筆頭株主の交代」という判断が下された。この判断により野球協約に規定されている新規加盟料30億円の支払いは不要とされた。

2001年11月にフジへの売却を一度発表しています。それが渡辺氏の問題提起(これは野球協約からして正当です)によりまず頓挫しています。そこからわずか2ヵ月後にTBS売却に変更されています。このドタバタのためか、マルハからの出向社長が2002年オフまでベイスターズの経営を見ています。TBSがオーナー企業として球団を支配したのは2002年のオフからで、シーズンとしては2003年からになります。

マルハが親会社の経営事情により早期の売却を望んだのは前提です。しかしTBSは元もとの株主(第3位)であったにしても唐突過ぎる印象が無くもありません。当時のベイスターズの経営はトントンぐらいだったとされますが、それでも球団経営は非常にリスキーなものであるぐらいはTBSも知っていたはずです。疑い出せばキリが無い程度のお話ですが、後への伏線があったように感じないでもありません。

ここまで考えると2004年にもう一つの合併の話が進んでいると黒幕3人が力説していた組み合わせは、ずばりベイスターズと西武でなかったかと考えます。セ・パをまたがった球団合併が起きれば、1リーグ制への移行の流れは決定的になったはずです。そうなるとですが、森が監督として招聘されたのは、吸収合併されるベイスターズに西武流の管理野球のイズムを植えつけておくのが狙いだったかもしれません。


2004年の騒動は御存知の通り、黒幕3人の1リーグ移行構想は世論の袋叩きにあいます。近鉄オリックス合併まではシナリオを進行させる事は出来ましたが、今度は新規加入に名乗りをあげる企業が出てくる展開になってしまいます。NPBストライキも戦略的には黒幕3人に不利な結果になります。おそらくですが、水面下で発表寸前にまで漕ぎ着けていた第二の合併話も、世論の猛反発から闇に消え去ったと思います。

早期に吸収合併で売り払う予定であったTBSは、成り行きから球団経営を続けただけの様な気がします。それでも巨人戦中継の利権ぐらいは手に残るはずだったのですが、これも商品価値が急落したのは周知の通りです。さらにの悪条件がTBSに重なります。TBSは在京キー局間の視聴率競争で徐々に劣勢を強いられる様になります。テレビCMの収益全体が縮小する中での視聴率競争のジリ貧です。これはTBS本体の経営をゆるがせていきます。

球団を所有する目的は、オーナーの野球好きもありますが、球団所有による親会社の宣伝も今でも重視されます。しかし良く考えれば、TBSは別に球団を所有してまで宣伝を必要とする企業ではありません。テレビ会社的に「儲からないコンテンツ」と判断すれば切り捨てられるのも時間の問題であったと考えられるでしょう。

買収したのは2002年ですが、焦点の2004年を越えて、6年も経てば1リーグ制移行の騒動のほとぼりも醒めたでしょうから、手放すのに躊躇はないと言うところでしょうか。どうもなんですが、TBSの球団売却も2004年の騒動の後始末の一環に見えて仕方ありません。

まあ、いつの時代でも球団売却は一つのドラマになるのですが、今回のベイスターズはどうなるんでしょうねぇ。神戸から見ているせいもあるんでしょうが、妙に静かです。別に静かに売却されても構わないのですが、あまりにも静か過ぎてかえって気色悪い気もしますが、それだけプロ野球界も成熟したのでしょうか。



全然余談なんですが、たまたま調べたついでの事です。フジのベイスターズ買収が出来なかったのはヤクルトとの関係ですが、なぜにヤクルトとフジが関係を持っていたかです。これは国鉄スワローズ時代に遡ります。球団経営に苦しんでいた国鉄は1962年に現在のフジ・サンケイグループと業務提携します。1964年オフに国鉄は全面撤退し、1965年にサンケイ・スワローズ(後にサンケイ・アトムズ)に変わります。

球団を引き継いだフジサンケイ・グループもまた経営に苦しみ、1969年オフに経営から撤退、資本関係は残したものの親会社はヤクルトに移ります。この時に残された資本関係がベイスターズ買収の時にネックになったわけです。ここも考えれば不思議な話で、一度失敗した球団経営にフジはもう一度手を出そうとしていた事が確認できます。

在京キー局のうち、日本テレビ、フジ、TBSの三者が巨人、ヤクルト、ベイスターズの3つの球団に濃淡様々の影を落としていた構図は、なかなか玄妙なところがあります。