しかし、医師不足による患者の減少や競合する病院の開設・増床などで2003年度以降は赤字に転落
競合する病院って・・・天理よろづ相談所病院でしょ。確認してみると天理よろづ以外にも4つばかりあるようなので、そっちが応えたのかなぁ?。それはともかく2003年まで黒字であったほうが正直なところ驚きました。
ただ、市内で同病院など2病院にしかない産婦人科もなくなるため、市民からは地域医療の弱体化を心配する声が上がる。
この天理市立病院の産婦人科ですが、平成25年3月1日付「産科より分娩予約についてのお知らせ」に、
当院でも平成18年から常勤の産婦人科医が一人になりましたが
7年前から1人体制で分娩までやっておられたようです。正直なところ辞めたほうが良いと思います。
外野から見ればせっかく天理よろづがあるわけですから、それこそ無理して市立病院なんて維持しなくても良いと思うのですが、両病院の沿革を比較して見ます。
年 | 天理市立病院 | 年 | 天理よろづ相談所病院 |
1950 | 二階堂村国民健康保険直営二階堂診療所として開設 | * | * |
1953 | 二階堂村国民健康保険直営二階堂病院(23床) | * | * |
1954 | 天理市国民健康保険直営二階堂病院(28床) | * | * |
1963 | 30床 | * | * |
1964 | 53床 | * | * |
* | * | 1966 | 天理よろづ相談所病院開設(当初許可病床600床) |
* | * | 1969 | 別所別院開設(当初許可病床85床) |
1975 | 153床 | * | * |
1976 | 天理市立病院 | 1976 | 本院の南別館新築により許可病床数1001床となる |
1990 | 173床 | * | * |
* | * | 2003 | 白川分院開設これに伴い、本院の病床が815床となる |
* | * | 2005 | 別所分院閉院 |
これで見ると天理市立病院の方が歴史が古いことがわかります。天理よろづは1966年開設ですが、この時点で天理市立病院は53床。一方の天理よろづが600床です。それでも当時の医療需要は大きかったようで1975年に天理市立は153床に拡張しています。一方の天理よろづは1001床に拡張です。読売記事からすると天理市立に致命傷を与えたのは2003年の白川分院の開設だったようでこれが186床(その代わりに本院が815床に)です。まあwikipediaによると、
もともと緊急医療は行わない病院運営で、緊急病院で手に負えない重傷患者を緊急病院からの転院で対処していた
天理よろづが三次対応で、天理市立が二次対応で棲み分けしたしていたぐらいでしょうか。これも、
近年方針転換し、救急医療を受け持つことになった
良いか悪いかの是非はともかく、天理よろづが救急も担当し始めると存在意義が急激に薄くなったとしても不思議ありません。
年月 | 経緯 |
2003年 | 経営が赤字となる |
2009年3月 | 天理市立病院改革プラン策定 |
2010年7月 | 第1回天理市立病院改革検討委員会開催 |
2011年8月 | 第2回天理市立病院改革検討委員会開催 |
2013年2月 | 閉院、診療所に機能縮小方針決定 |
2014年4月 | 閉院、診療所転換予定 |
スムーズやなってところです。天理市立はピーク時には173床まで拡大されていますが、おそらく2003年以降に定番の医師不足が起こり、読売記事によると最終的に129床に減っているようです。こういう負のサイクルに陥った地方公立病院はたくさんあるのですが、さほどもめずに診療所転換が行われているのに感心しました。
理由は天理よろづの存在でかなりの部分は説明できると思いますが、なんとなくそれだけでない気がします。類似の例として舞鶴は挙げられると思います。経緯は違えど舞鶴も病院がお荷物状態に陥ります。当時も今も舞鶴市内には天理よろづには及ばないとしても、舞鶴市民の受け皿ぐらいは病院はあります。ですから舞鶴市民が機能不全に陥っても実質的に困った患者はさほど多くなかったと推測しています。
そこから舞鶴市民に行われた事は延々たる再建への努力です。大量辞職事件が2004年で、ようやく行政が白旗を揚げたのは去年ぐらいだったと記憶しています。これに較べると天理市立の対応の早さが際立ちます。殆んど情報がないので沿革から考えますが、徐々に戦力衰退が進み、「もうどうしようもない」と判断されたのが2010年の第1回天理市立病院改革検討委員会じゃなかろうかです。ここで観測気球を揚げて異論が少ないと見れば、後は手順を踏んで粛々と閉院に進んでいったぐらいです。
これは天理よろづがタダの私立病院でなくやはり天理よろづであったからと思います。考えるまでもなく天理市民にとって天理よろづはタダの私立病院ではないと言う事です。もちろんすべての天理市民ではないとは思いますが、多くの天理市民にとってです。規模や内容の優秀さはもちろんでしょうが、別格の存在である気がしています。
別格意識は天理市民だけでなく行政・議会の関係者に取っても同様で、天理よろづが救急部門の受け皿を果たしてくれれば、そうは異論が出るような状況にならなかった気がします。その気で粘れば5年や10年は小田原評定で存続していたと思いますが、その路線を歩まずにアッサリ撤収できたぐらいのところです。他に当てはめるのはチト難しいかもしれません。
だからどうしたぐらいのお話ですが、妙に感心したもので・・・。