奈良事件第2回裁判考察

僻地の産科医様が傍聴され「収穫に乏しい」感想を漏らされた第2回裁判ですが、落ち着いて読み直せば興味がある点が出てきます。経過についてはもはや常識ですが8/31付の産科医療のこれからを参照にしてもらえればと思いますが、同日エントリーの被告側から原告側への釈明事項として求めているところを取り上げます。

  1. (当病院の救急で勤務経験があるという) 患者の夫の身内は、子癇の症状を見た経験があるのか?
  2. 患者の症状を見て、具体的にどのような点をもって、子癇ではなく除脳硬直と判断したのか?
  3. 原告は脳出血を直接の死因としているが、国循の記録によれば搬送時は、脳血管撮影の時間も無いまま緊急手術を行っており、また、亡くなった後、遺族が病理解剖を望まなかったので、脳出血の原因は不明のままである。
原告は、この記録以外に脳出血の原因に関する情報をどのように入手したのか?。また、この記録だけから判断しているのであれば、原因が不明であるにもかかわらず、どうして判断できるのか?

地味な質問ですが、なかなか鋭い質問かと思います。子癇発作と脳出血による除脳硬直の鑑別はそう簡単ではないとされます。また脳出血による除脳硬直は医師ならある程度見る機会はありますが、子癇は産科医ないし産科病棟経験者以外はまず無いと言ってよいものです。小児科医は分娩を介して産科医の比較的近いところで仕事をしますが、それでも私は見た事がありません。せいぜい子癇を起して緊急帝王切開になった出産の立会いぐらいです。立会い時には子癇発作は見た目上おさまっています。

微妙に違うとは産科医の指摘でありますが、あくまでも感覚の問題で、一目で明らかに区別できる状態とは言えないとの意見もあります。子癇を見た事がある産科医でもその程度であるのに、患者の夫の身内(元総婦長説あり)が子癇発作を熟知する経験があるかないかの質問がまずなされています。

原告側の主張の組み立ては、0時00分の1時37分の意識消失ないしは1時37分の痙攣発作で脳出血が起こっており、被告医師が誤診したため母親の治療が手遅れになったをまず根本に据える戦略かと考えます。とくに1時37分については強硬に主張する可能性があります。裁判で判断の材料にされる資料はカルテ(看護記録を含む)と医師、看護師、助産師、家族の証言となります。これらの判断材料から原告は、1時37分の痙攣発作が、被告医師が診断した子癇ではなく、脳出血であると判断できる立証を行なう必要があります。

脳出血が起こっていた事実は争う必要もありませんから、原告の理想の展開としては、1時37分の痙攣発作が脳出血によるものであったの事実認定を獲得する事が第一目標と考えます。しかし被告側弁護人の釈明要求を読むと、原告側は未だ「いつ」脳出血が起こったとの主張はなされていないようです。「いつ」を主張していない理由は推測になりますが、考えられる事は、

  1. 被告側の1時37分の子癇の立証に対する出方を窺っている
  2. 「いつ」については直接争わず、結果として脳出血であった事で子癇を事実認定させない戦術
もちろん両方の戦術を含みながらでしょうが、裁判の序盤では原告側は「いつ」を出していないのは明らかで、この点を被告側弁護人は指摘したものと考えます。もちろん原告側鑑定医の「1時37分の痙攣発作は脳出血と考えられる」みたいな鑑定書を隠し持っている可能性はあります。そんな鑑定書が出て来たら、子癇と脳出血の鑑別論争になりますが、現時点ではまだ何とも言えません。ただ僻地の産科医様も分析されているように症状、経過から子癇を補強する材料は多いように思います。

続いて被告側弁護人の釈明要求を引用します。

  1. 原告は“8月8日 2時00分 およびそれ以降、夫の身内が何度も除脳硬直を疑いCT等の検査を要求した”としている。これ自体は「不知」とするが、いつCTをとればよかったと考えるか?
  2. 原告は“CT等”と包括的に書いているが、CTの他にどのような検査が必要であったと考えたか?
  3. 4.5.のとおりCT等の検査を行った場合(脳出血が判明した場合)、当病院で開頭手術ができない前提で、その後の対応は具体的にどのように変わり得たと考えるか?
  4. 脳出血が早期に分かっていた場合、母体搬送先の病院がより早く見つかったと考えるか?その場合、具体的にいつ、どこの病院が搬送可能であったと考えるか?
  5. 原告は、8月8日 1時37分の痙攣発作以降も“陣痛発作に合わせて同様の痙攣症状があった”としているが、陣痛発作が起きていることをどのように判断できたのか?

この辺の主張も重要な点です。被告側の主張は言うまでもなく、子癇から脳出血が発生し、なおかつ脳出血が起こった時点は特定できないです。国循到着時にCTを撮影し脳出血があった事は事実ですが、患者の死命を制した脳出血の発生時点はわからないという主張です。脳出血が起こっていた事実は間違いないが、起こっていたと考える時点を原告側は具体的に指摘せよとの主張かと解釈します。

さらにですが、「いつ」を特定した上で、大淀病院の事件当夜の体制で開頭手術が出来ないのであるから、患者が特定した時点でCT撮影を行い、脳出血が確認された場合、治療がどう具体的に変わったかの説明を求めています。質問はもう一歩踏み込んで、脳出血があれば他の病院にもっと早く搬送され、患者の治療が変わる可能性が有るか無いかを具体的に示せと求めています。

患者の脳出血の所見が国循情報にありますが、

来院時

JCS300 両側瞳孔 5mm 対光反射(−) 自発呼吸残存(挿管中) 角膜反射なし
CT:右前頭葉 径7cmの巨大血腫 著名なmidline shift 脳幹部にも出血あり 脳室穿破を伴う

このクラスの脳出血は極めて救命困難であり、理想的な経過を辿っても植物状態は免れないは脳外科医の一致するところの見解です。国循到着が6時ですから、1時37分に脳出血が起こっていたとしても、5時間足らずでここまで進行する脳出血を救命できると言い切れる脳外科医は、数少ないとの見解が多数派です。

でも裁判ですからさまざまな事を予想しなけばなりませんから、原告の1時37分脳出血説が法廷で優位となったとします。もちろん0時00分説が浮上するかもしれませんが、そこも含めてです。情報として確認しておかなければならないのは、大淀病院のCTが深夜にどれほどの時間でスタンバイOKになるかどうかです。

またCTは医師なら誰でも動かせる機械ではありません。むしろ動かせない医師のほうが多いかと思います。私も動かす事は出来ません。動かす事が出来ないのは操作が煩雑な上に、機種特性があり、あるCTの操作を覚えたからといってすべてのCTが動かせる訳ではないからです。動かせる可能性がある医師としては、脳外科医、放射線科医があげられますが、その他の診療科の医師で動かす事が出来るのは非常に少ないと考えます。産科医で動かせる医師も同様に少ないと考えます。

本人に聞いてみないとわかりませんが、当夜の当直である被告産婦人科医及び内科当直医も動かせる可能性が極めて低いと考えます。そうなれば事件当夜に大淀病院でCTを動かそうと思えば、脳外科医ないし放射線技師を呼び出す必要があります。さらにこれは去年の事件報道のときにあった情報ですが、大淀病院のCTはかなりの旧式機であり、電源を入れてから撮影開始まで1時間程度は必要というものがあります。旧式機でなくとも、ウォーミングアップ時間を考えれば、脳外科医もしくは放射線技師が到着して撮影し、読影して脳出血と判断するまで、1時間程度は必要と考えられます。深夜ですからね。

そうなるとたとえ脳出血が0時00分説に法廷で傾いても、搬送先探しが始まるのは1時以降になります。ましてや1時37分説であれば既に搬送先探しが既に始まっています。問題の焦点は、分娩が進行している産婦に脳出血があるという情報が加われば、搬送先探しが早くなったかどうかです。もっと端的に言えば、国循までのステップが早くなって、産婦の脳出血治療が早くなり、患者の予後に影響(因果関係)があったかどうかです。

ここで問題の19病院がどこかになります。皆様御承知の通り、19病院はすべて被告医師が打診したわけでなく、家族打診分も含まれます。また19病院自体が私の調べた範囲では全部特定されていないのです。警察捜査があったはずなので公式には判明しているのでしょうが、なんとか13病院は判明していますから列挙しておきます。

  1. 奈良医大
  2. 国立大阪医療センター
  3. 大阪市総合医療センター
  4. 阪大
  5. 関西医科大学付属 滝井病院
  6. 関西医科大学付属 枚方病院
  7. 府立母子保健総合医療センター
  8. 八尾市立病院
  9. ベルランド総合病院
  10. 済生会吹田病院
  11. 千船病院
  12. 近畿大医学部付属病院
  13. 高槻病院
どういう順番であったかもわかりませんが、ある程度近い順であったろうだとは考えられます。これで13ヶ所なんですが、その他に考えられそうな有力病院としては天理よろず病院とか、近畿大学奈良病院、県立奈良病院市立奈良病院あたりがありますが、真相はわかっていません。

すべての病院の内情はわかりませんが、挙げられた病院であれば、国循同様に脳出血が搬送後に判明しても対応は可能かと考えます。つまり脳出血が先に判明していても搬送先さがしの手間はさほど変わらなかった可能性が大きいという事です。スキップできる病院がもしあったとしてもせいぜい30分から1時間早くなるかならないかです。

もう一つ被告側弁護人は重要な釈明を求めています。

  1. 今回の過程で、胎児のことを具体的にどうにか考えていたか? (例えば「患者のお腹の中で元気にしているであろう」とか)

これは非常に重要な点です。死亡した患者の脳出血がいかに重篤なものであったかの立証は容易です。解剖こそ家族希望で行なわれていませんが、国循情報として漏れ出ている内容から、救命すら非常に困難な状態です。たとえ国循に入院していて、理想的な状況で発見されても難しいというのが一致した意見です。

妊娠状態というのは非妊娠時状態に較べて、どんな治療を行なうにも高いリスクを伴います。脳出血が判明したとしても、その時点で取りうる一般的な治療である脳圧降下剤の投与すら禁忌になります。禁忌の理由は言うまでも無く胎児への影響です。胎児はこの夜の騒動にも関わらず、立派に生き延び、元気に成長しているのは周知のことです。また分娩までの間も胎児心音にさほどの影響は無く経過しています。

脳出血が判明し、出来る限りの手段を尽くそうとすれば、すべて胎児への悪影響になるのが治療の難しいところです。ましてや胎児は元気に心音を響かせています。原告側はこの胎児の事を考えた事があるのかと釈明を求めています。原告側の主張通りに治療が行なわれれば、確実に胎児に影響を及ぼします。最悪死産も十分ありえますし、生涯残る後遺症が発生することも、高い確率で起こります。原告側は「胎児を犠牲にしても母親の救命に全力を挙げろ」との主張かどうかの確認と解釈します。

第3回以降の裁判の行方を見守りたいかと思います。