医師招聘「丹波モデル」

昨日の続きと言うか、考え直し編です。

簡単に昨日のお話をおさらいしておくと、のぢぎく県の中東部にある丹波市でも御多聞に漏れず医師不足が深刻化し、とくに小児科医が丹波市だけではなく周辺の篠山市西脇市三田市まで含めて払底している事を住民は目の当たりにする事になります。そこで起こったのが小児科医招聘運動、ここまでは全国各地で行なわれています。署名を集め首長に陳情するパターンです。

従来の運動は町内会組織を動員して署名をかき集め、医者を要求し、もし要求通り医師が来れば、「医者がそろったので365日24時間の時間外診療を直ちに再開せよ、我々は不便である」と要求が直ちにエスカレートし、赴任した医師を擂り潰す展開になります。このパターンは既に全国各地で繰り返され、ネット医師の間では医者よこせの署名運動と聞いただけで揶揄嘲笑の代物と唾棄しています。

ところが丹波市で行なわれた医師招聘の署名運動は一味も二味も違う展開になっているようです。署名集め自体は町内会システムも活用されたと思いますが、集めるだけの運動になっていないようだからです。署名を集める事自体は住民の意思を表明するために行なわれていますが、集めると同時に住民の啓蒙運動も展開されているのです。この点は従来の医者よこせ運動と一線を引いて良いぐらい画期的なことで、私も丹波市の署名運動を医者よこせ運動ではなく、医師招聘運動としています。

運動の細かい点は情報不足の面もあるのですが、6/16に丹波市に講演のために赴かれた伊関友伸氏が、その運動の実態を見聞されてレポートされています。

    受診する側が「お医者さんを守ろう」とメッセージを出している運動は全国的に例がなく「画期的」と評価する。
第3者の評価として信用を置いても良いと思います。伊関氏がこの運動にどれほど感銘を受けたかは、いつもは医療情報を淡々と収載する氏のブログで、感情を爆発させている事でもわかります。伊関氏が丹波市の関係者の本気度を痛感した証と考えます。

この運動は県への陳情運動となるのですが、陳情は不首尾に終わっています。のぢぎく県でなくとも陳情一つで医師、とくに小児科医がホイホイと右から左に出来るわけではありません。昨日はその「No」とする返事の対応に焦点を絞ってのエントリーでした。

私はいくら頼まれても医師は湧いて来ないから県の「No」の返事自体は仕方が無いと考えていましたが、rijin様より考え方の浅さを指摘されました。

この地域には、小児科医を派遣して損はありません。

 小児科を中核的な存在に育て上げられるだけの良識のある地域であると思います。無い袖はふれないではなく、使い潰されること必至の地域から引き揚げてでも派遣すべきであり、またその姿勢こそが、小児医療の最前線を守り育てるための関係者に対する最強のメッセージになることが期待できます。

 悪手であったと考えます。

rijin様の見解は私の一歩先を見据えており、住民が真に医療危機を肌身に感じ、本当に医師が来て欲しいと願い、来てもらった後も地域医療のために大事に守り育てようとする意識が高揚しているところにこそ医師を派遣すべきだの意見です。派遣するためには、医師をコンビニのように見下し使い潰すところから引き抜けば問題は無いとの考えとも解釈します。

かなり過激な意見ですが、私としては正論と感じます。国、厚生労働省がどう強弁し、言い繕おうが医師は不足しています。満遍なく行き渡らないのであれば、必要とするだけでなく、招聘に応じた医師を守り、地域医療の核として育てようとする意識の高いところにこそ重点配備するべきです。そうする事で医師のモチベーションは高まりますし、住民の満足度も高まり、良質な医療が築けます。

では引き抜かれた地域はどうなるかですが、当然困ります。コンビニ程度に思っていた医師がいなくなるので非常に不便となります。不便であるだけではなく、時に生死に関わることになります。そこまで困らないと医師の存在は貴重なものであり、失うと大変な事になる意識は生まれてきません。トコトン困って丹波モデルの啓蒙運動まで発展すれば、そこにも再び医師が訪れるかと考えます。

かなりどころか、命を懸けるような啓蒙運動ですが、医師側の意識としてはそこまで必要かと言われれば、そうかも知れないと思わざるを得ません。それぐらい状況は厳しいと言う事です。

医師招聘運動と医者よこせ運動の見分けはどうするかになります。これは昨日素直に私が感じた疑問です。これについてrijin様は、

> 見極めは簡単ではありませんし、審査基準もそう簡単には出来ません。

 できない理由はヤマほど考えつきますが、ここは踏ん張りどころですよ。

痛烈な指摘で、私もギャフンとなりました。どうしても後ろ向きの姿勢になっている私に渇を入れてくれたようなコメントです。rijin様のコメントだけでは言葉足らずですが、私は二つの運動の違いを行政サイドが審査するようなものを漠然と想定していました。そう考えるのがそもそもの大間違いです。行政サイドが審査基準を作れば、

  • 署名数、署名率
  • 住民勉強会の実施回数、出席率
  • スローガンの内容
みたいなものが考えられますが、基準と言うのは恐ろしいもので一度出来上がれば、それに合わせた形だけの運動が行なわれる事になります。基準さえ満たせば良い事になり、もっとも重要な意識の変化は置き去りにされてしまいます。

だからこれは医師が実際に赴任して審査判断すべしかと考えます。医師も変わり者が多いのは否定できませんが、現状では実際に赴任し、患者と現実に接している医師の意見がもっとも信用できるかと思います。医師がここなら「心の僻地」ではなく、働き甲斐があるところだの情報発信をするのが一番確実ではないでしょうか。

つまり住民運動の対象は行政ではなく医師に向けられると言うわけです。医師が住民運動の成果を肌身に感じ、ここは住民とともに良質の医療築ける土地であると判断すれば、これを情報発信すると言うわけです。

かなり理想論が入っていますが、医療再生の一つの雛型として良いと考えます。丹波市の運動自体も実際のところは内情はいろいろあるようですが、住民の意識の方向性としては建設的なものであるとは聞いています。私は丹波モデルに注目しています。