中原先生

不自然なぐらい触れてなかったのですが書きます。まずは小児科医なら誰でも読んでことがある遺書です。

少子化と経営効率のはざまで

 「週刊文春」誌に報じられた通り、都内の病院で小児科の廃止が相次いでいます。 私も佼成病院に奉職して12年が経過しましたが、この間、近隣病院小児科の縮小・廃止の話は聞きますが、中野・杉並を中心とする城西地域では新設、拡充の連絡は寡聞にして知りません。

 もちろん一因として世界に類を見ない早さで進展するわが国の少子高齢化をあげる事ができます。小中学校には空き教室が目立ち、都立高校の統廃合の計画も明らかになりつつあります。

 しかし、小児科消滅の主因は厚生省主導の医療費抑制政策による病院をとりまく経営環境の悪化と考えられます。生き残りをかけた病院は経営効率の悪い小児科を切り捨てます。現行の診療報酬制度(出来高払い)では、基本的には薬は使えば使っただけ、検査を実施すればしただけ診 療報酬が上がり、病院の収入となります。例えば大人の場合は、だいたい注射アンプル1本分が通常の投与量となります。しかし、体重も小さ く代謝機構も未熟な小児では、個々の症例で年齢・体重を勘案しながら薬用量を決定し、その分量をアンプルから注射器につめかえて細かく、慎重な投与量を設定しなければなりません。

 検査にしても協力が得にくい小児の場合には、泣いたりわめいたりする子供をなだめながら実施しなくてはなりません。例えば大人なら2人・3人分のCT撮影がこなせる時間をかけて、やっと小児では、CT写真一枚が撮影できるという事も珍しくなく医師・放射線技師泣かせです。現行の医療保険制度はこのように手間も人手もかかる小児医療に十分な配慮を払っているとは言えないと思います。

 わが病院も昨年までは、常勤医6名で小児科を運営して参りましたが、病院リストラのあおりをうけて、現在は、常勤4名体制で、
ほぼ全日の小児科単科当直、更には月1〜2回東京都の乳幼児特殊救急事業に協力しています。急患患者数では、小児の方が内科患者を上回っており、私のように四十路半ばの身には、月5〜6回の当直勤務はこたえます。また、看護婦・事務職員を含めスタッフには、疲労蓄積の様子がみてとれ、これが“医療ミス“の原因になってはと、ハラハラ毎日の業務を遂行している状態です。本年1月には、朝日新聞に、私の大学時代の同級生の” 過労死“のニュースが報じられました。(これは現場の我々には大変ショックでした。)

 また、小児病棟の採算性の悪さから、今まで24床のベッド数を誇ってきたわが病棟には、最近では高齢の方の入院が相次ぎ「小児・老人混合病棟」の様相を呈して来ました。つい最近、緊急事態宣言が出された 結核の院内感染をおこさないか否か、また、心配のタネが増えています。今、医療の第一線は瀕死の重態におちいっています。

 小児科学会としても、小児科医の1/4以上を占める女性医師が育児と仕事の両立をはかれるよう提言を行ってはいますが、わが病院でも女性医師の結婚・出産の際には、他の医師に過重な負担がかかっているのが現状です。

 更に、病院の経営環境の悪化は、特に地価が高く、敷地に余裕のない都市部では、建物の更新をむずかしくして老朽化した比較的小規模の民間病院が散在しているという状況を生みだしています。わが病院も、人口が密集し、木造建築物の多い中野地区において、
東京都より「災害時 後方支援病院」に指定されています。しかし、先に行われた病院の耐震 検査においては、中規模以上の地震の際には、病院自体にもかなりの被 害が発生する可能性が高いとの指摘がされ、十分な病院機能が発揮できるか極めて疑問です。

 間もなく21世紀を迎えます。経済大国日本の首都で行われているあまりに貧弱な小児医療。不十分な人員と陳腐化した設備のもとで行われている、その名に値しない(その場しのぎの)救急・災害医療。この閉塞感の中で私には医師という職業を続けていく気力も体力もありません。

上記の遺書も同様なんですが小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会から自殺に至った経緯がまとめられているので引用します。

■ 自殺に至る経緯

  1. 故中原は,知人からも「聖人君子だ」と言われるほど,礼儀正しく真面目である一方,時に冗談を言ったり,サッカーを趣味とする明るい人物で,患者からの信頼が厚い小児科医だった。


  2. 佼成病院小児科では,平成8年4月から,小児科単科で24時間365日の当直勤務を開始することとなり,6人の常勤小児科医でこれを担当していた。40歳を越えた故中原にとって,月4,5回の当直を行うことは肉体的精神的に大きな負担となり,疲労が慢性的に蓄積されていった。


  3. さらに平成10年4月ころから,佼成病院では経営改善への取り組みが本格的に行われて,経費削減が意識されるようになっていたところ,平成11年1月から3月末にかけて,小児科部長を含め3名の小児科医が辞めることになったにもかかわらず,小児科医は同年5月に1名補充されたのみであった。


    そのため,平成11年3月以降は大変な激務となり,故中原は,同年3月には8回,同年4月には6回(一般の小児科医平均の約1・7倍)の当直を受け持たざるを得なかった。当直の日は,通常勤務から連続して24時間以上勤務することになる場合がほとんどで,そのまま翌日の通常勤務まで担当して32時間以上の連続勤務となる場合も多かった。しかも,3月は,小児科の総患者数が前年の1735人に比して2324人に膨れ上がるなど患者数が多かったため,通常勤務も忙しかった。


  4. さらに,平成11年2月から,退職した小児科部長の後任として中原氏が部長代行を勤めることとなり,小児科の責任者として、売り上げ向上・経費削減の圧力を意識するようになった。


  5. この時期に量的・質的に過酷な仕事が継続したことによって,故中原は、遅くとも平成11年4月には睡眠薬なしでは眠れない状態になり,「このままでは自分は病院に殺される」「俺は命を削りながら当直しているんだ」と家族に何度も訴えるようになった。大好きであったサッカーに対する関心も失い,8月にはストレスにより血圧が上昇し,倒れるなどした。8月には1週間ほどの夏期休暇を取ったが,翌日から平常勤務が開始する時であった平成11年8月16日午前6時40分ころ,佼成病院の屋上から飛び降りて自殺した。

    その際,故中原が佼成病院内の自らの執務机上に置いた遺書とも言うべきものが,「少子化と経営効率のはざまで」という書面であった。同書には,小児科医不足と現在の小児科医に対する過重な負担が綿々とつづられている。そして,「この閉塞感の中で私には医師という職業を続けていく気力も体力もありません」という言葉で結ばれている。


  6. このように故中原の死は、小児科医としての質的・量的に過重な業務により、疲労困憊し精神病(鬱病)を発症させた結果によるものである。

労災認定を求めての行政訴訟と病院の安全配慮義務違反を問うための民事訴訟が行なわれたのは周知の通りです。まず行政訴訟の判断が下っています。2007年03月14日付Asahi.comより

 東京都内の民間病院の小児科に勤めていた中原利郎医師(当時44)がうつ病にかかり99年に自殺したのは、過労やストレスが原因だとして、妻が労災を認めるよう訴えた訴訟の判決が14日、東京地裁であった。佐村浩之裁判長は、小児科医が全国的に不足していた中、中原さんが当直医の確保に悩み、自らも多いときは月8回にも及ぶ宿直で睡眠不足に陥ったと認定。自殺は過労が原因の労災と認め、遺族に補償給付金を支給しないとした新宿労働基準監督署長の決定を取り消した。

 過労死弁護団全国連絡会議によると、小児科医の過労死はこれまで2件が労基署段階で認められたが、自殺した医師の認定例はなかった。医師の自殺を労災と認めた判決としても、全国で2例目という。原告側代理人川人博弁護士は「判決は小児科医の深刻な労働条件に警告を発した。政府や病院関係者は事態を改善すべきだ」と話している。

 佐村裁判長は、小児科の当直では睡眠が深くなる深夜に子どもを診察することが多く、十分な睡眠は困難だと指摘。「社会通念に照らし、心身に対する負荷となる危険性のある業務と評価せざるを得ない」と述べた。

 判決によると、中原医師が勤めていた立正佼成会付属佼成病院(東京都中野区)の小児科では、医師の転職や育児による退職が相次いだ。中原医師が部長代行に就いた99年2月以降は少ない時で常勤医3人、非常勤1人にまで落ち込んだ。同年3月の勤務状況は、当直8回、休日出勤6回、24時間以上の連続勤務が7回。休みは2日だけだった。

 新宿労基署は、うつ病を発症した同年6月までの半年間の時間外労働は月平均約50時間で、「当直中は仮眠や休養も可能」であり、実際に働いた時間はさらに下回るとして、発症の原因は中原さん個人の「脆弱(ぜいじゃく)性」だと主張していた。

記事の通りですが簡単に事実に関係をまとめると、

    3月の勤務状況は、当直8回、休日出勤6回、24時間以上の連続勤務が7回。休みは2日だけだった。
これに対し司法判断は、
    小児科の当直では睡眠が深くなる深夜に子どもを診察することが多く、十分な睡眠は困難だと指摘。「社会通念に照らし、心身に対する負荷となる危険性のある業務と評価せざるを得ない」
この判決に対し被告の厚生労働省控訴を断念し確定となっています。医師の間ではまだ司法に正義が残っていたと喜びの声が満ちたものです。ところが過労死に追いやった病院側の責任を問う民事訴訟の結果が昨日でました。2007年03月30日付Asahi.comより、

 立正佼成会付属佼成病院(東京都中野区)の小児科医だった中原利郎医師(当時44)が自殺したのは当直勤務などによる過労でうつ病になったからだとして、遺族が病院側に損害賠償を求めた訴訟の判決が29日、東京地裁であった。湯川浩昭裁判長は、中原さんの業務は「うつ病を発症させるほど重いものではなかった」と指摘。自殺との因果関係を否定し、原告側の請求を棄却した。

 中原さんの自殺をめぐっては、労働訴訟を担当する同地裁の別の裁判部が14日、「過労でうつ病となり、自殺した」と認定。労災を認めなかった新宿労基署長の決定を取り消していた。勤務実態をめぐり、二つの判決で正反対の評価となった。

 当直勤務について、労働訴訟の判決は「疲労を回復できるほどの深い睡眠を確保することは困難だった」として心身への危険性を認めた。ところが今回の損害賠償訴訟の判決は「急患はそれほど多くなく、仮眠する時間はあった」として、心理的負荷は強くなかったと判断した。

 中原さんは99年8月に自殺。直前半年間の当直は多い時で月8回、平均で月6回程度だった。

 遺族側は約2億5000万円の賠償を求めていた。

このニュースを聞いて落胆したどころでない医師は数知れずあったかと思います。判決文が無いので裁判長が判決理由にあげた急患の数がどれだけであったかはわかりませんが、記事で使われた用語をもう一度よく読んでください。ピックアップしてみます。

    当直勤務である。
医師の当直勤務はどうあらねばならないものかについては平成14年3月19日付け基発第0319007号「医療機関における 休日及び夜間勤務の適正化について」として厳重な通達が出されています。通達違反がどんなに重いものかは堀病院事件で天下に知れ渡っています。

  1. 宿日直勤務の趣旨


      宿日直勤務とは、仕事の終了から翌日の仕事の開始までの時間や休日について、原則として通常の労働は行わず、労働者を事業場で待機させ、電話の対応、火災等の予防のための巡視、非常事態発生時の連絡等に当たらせるものです。したがって、所定時間外や休日の勤務であっても、本来の業務の延長と考えられるような業務を処理することは、宿日直勤務と呼んでいても労働基準法(以下「法」という)上の宿日直勤務として取り扱うことはできません。

  2. 宿日直勤務の許可基準として定められている事項の概要


      上記1.のような宿日直勤務の趣旨に沿って、労働基準法上宿日直勤務の許可を行うに当たって、許可基準を定めていますが、医療機関に係る許可基準として定められている事項の概要は次の通りです。


    1. 勤務の態様


        常態としてほとんど労働する必要がない勤務のみを認めるものであり、病室の定時巡回、少数の要注意患者の検脈、検温等の特殊な措置を要しない軽度の、又は短時間の業務を行うことを目的とするものに限ること。したがって、原則として、通常の労働の継続は認められないが、救急医療等を行うことが稀にあっても、一般的にみて睡眠が充分とりうるものであれば差し支えないこと。 なお、救急医療等の通常の労働を行った場合、下記3.のとおり、法第37条に基づく割増賃金を支払う必要があること。


    2. 睡眠時間の確保等


        宿直勤務については、相当の睡眠設備を設置しなければならないこと。また、夜間に充分な睡眠時間が確保されなければならないこと。


    3. 宿日直の回数


        宿直勤務は、週1回、日直勤務は月1回を限度とすること。


    4. 宿日直勤務手当


      • 宿日直勤務手当は、職種毎に、宿日直勤務に就く労働者の賃金の1人1日平均額の3分の1を下らないこと。
      • 宿日直勤務中に通常の労働が頻繁に行われる場合労働実態が労働法に抵触することから、宿日直勤務で対応することはできません。
        宿日直勤務の許可を取り消されることになりますので、交代制を導入するなど業務執行体制を見直す必要があります。

この通達の「勤務の態様」に

    通常の労働の継続は認められないが、救急医療等を行うことが稀にあっても、一般的にみて睡眠が充分とりうるものであれば差し支えないこと。
「稀」とはどういう回数を指すのでしょうか、言葉の印象から年に数回と私は受け取ります。もっと言えば年にあるかないかの状態を指すと考えた方がより妥当と解釈します。一晩に5人も6人も受診するだけでも論外で、当直ごとに必ず一人でも受診があるようなら稀とはとても言えないと考えるのが「稀」ではないでしょうか。

ところが裁判所の判断は

    「急患はそれほど多くなく、仮眠する時間はあった」
「それほど」とは一般的概念として「比較的少ない」と解釈するのが妥当かと考えます。数や量として多くはないが、複数以上は数えられる程度以上は確実にあると言えばよいのでしょうか。どう考えても「それほど」は「稀」よりはるかに多い数を指し示していると考えるのが自然です。しかしこの訴訟では「それほど」は「稀」と同義語であると司法的判断を下しています。この通達でも「稀」でなければ交代勤務制にすることを求め、それを行わない者は宿日直許可を取り消すとしています。

もっとも中原先生が亡くなったのは平成11年8月16日、この通達が出されたのは平成14年3月19日であるため、司法判断はこの通達に縛られないと考えたのかもしれません。しかしこれはあくまでも個人的な見解ですが、それ以前は無法状態であったのでしょうか。この通達は労働基準法をまったく無視した当直実態に、具体的な基準を書き示したものと考えるのが相応しく、むしろ遡って積極的に適用する方が法の精神に照らし正しいかと思います。

中原先生の御冥福を祈るとともに、この無念を晴らすために、控訴審に法の正義があることを祈り続けるばかりです。