今日は閑話休題

WikiJBM計画は試用を重ねて近日公開予定です。公開予定といっても公開時にすべてのJBMを網羅できるはずも無く、せいぜい私が扱った範囲のものを掲載できる程度ですから、後はWiki形式での皆様のご協力をお願いしたいと思います。もう少しお待ちください。

数日前に見るともなしに(家族が見ていたので)FNS歌謡祭を視ていました。思いのほかに上質の仕上がりで楽しませてもらいました。全部は見ていないのですが、70年代ぐらいからの過去のヒット曲と現在の曲を構成として巧みにマッチさせ、会場も華やかなパーティ形式で日本でもこんな音楽番組を作れるんだと感心していました。

思い返せば何より良かったのは「真面目」に作られていた事です。司会者もアシスタントも一歩引いた姿勢ででしゃばらず、主演者もプロの歌手のプライドを尊重させる扱いと態度で終始していました。上質という言葉が頭によぎったものです。フジもその気になればこれぐらいの番組を作れるんだと改めて驚きました。

私も歳を取ったので「今時の・・・」が口から出そうなおっさん世代になっています。だからこれから書くことも「今時の・・・」感覚に乗っかったものと思ってください。世代間の感覚の相違は有史以来記録されている事ですから、今日の話も故老の愚痴の類と思って頂ければ良いかと思います。

現在のテレビ番組を視て思う事です。テレビ局が視聴率至上主義と呼ばれてもう何年になるのでしょうか。もちろんテレビ局にとって視聴率がどれほどの影響力があるかは仄聞ながら少しは理解しているつもりです。テレビ局の収入減は言うまでもなくCM料です。CM料の価値は視聴率によって決められるそうです。テレビ局の商売の本質は広告媒体です。視る方は番組を見ますが、テレビ局の本当の狙いは合い間のCMが幾らで売れるかになります。番組は人を寄せる手段に過ぎ無いと言う事です。

そのためテレビ局は人が視てもらえそうな番組作りに精を出します。人気映画の放映権の獲得にしのぎを削り、スポーツのビッグイベントの中継権の確保に血道を上げます。話題になりそうなドラマを作るのもそうですし、話題に上るように有名スターを綺羅星の如くに並べたりもします。そういう努力の結果が視聴率です。お蔭で視聴者は五輪やスポーツ中継を楽しめるわけですし、ドラマに一喜一憂が出来るわけです。そのことには何の文句もありません。そういう番組の一つにバラエティがあります。

バラエティはテレビの前の時代のラジオ時代からあります。古くは浪曲や落語の演芸放送から始まったと聞いています。歌謡番組もその中に含まれますし、クイズ番組も流行り廃りがあるものの根強く続いています。私も決して嫌いではありません。バラエティ自体を否定する気はありません。これもテレビ番組の立派なジャンルの一つです。

ところがバラエティはテレビ局の認識として視聴率アップの手段として使われすぎているような気がしています。バラエティの本質は笑わしてナンボ、受けてナンボの世界です。そのためバラエティ番組ではしばしば暴走が行われ、世間の大顰蹙を買うことがあります。よく言われる俗悪番組です。あんまり極端なのは論外として、俗悪もまたバラエティの一つのジャンルだと考えています。単純に不快を感じるなら視なければ良いぐらいに思っていますし、現実に視ません。

バラエティの俗悪さもバラエティ番組の枠内に留まっているのならそれもテレビのうちと思いますが、バラエティの毒は他の普通の番組を冒しつつあると感じています。なんでもかんでもバラエティ仕立てにしないとならないの脅迫概念が、テレビ局を覆い尽くしていると感じます。かつてはバラエティと普通の番組には厳然たる一線がありました。たとえばニュースはニュースであって決してバエティでは無いと言う事です。報道番組もそうです。ワイドショーでさえ、ニュース関連になると出演者は衿を正したものです。

ところがバラエティと普通の番組の一線は現在ではもう不明の状態になっています。バラエティ仕立てが蔓延した結果、なにが冗談で何が真面目なのかの境界が視る方でも混乱しつつある状態と考えています。お笑い芸人も才も知識もある人間はいます。芸も達者ですから、俗悪に近い番組の司会から報道番組の司会までこなせます。ただその本職は「お笑い」ですし、そういう人間である事はテレビを見るものの常識となっています。ふざけた事をテレビでする人間であるとのレッテルはどんな番組に出演してもついて回ります。

お笑い芸人がそういうレッテルを貼られることは恥ではなく名誉です。そういうキャラ、イメージを植えつける事に精魂かけて努力してきた成果だと考えます。そういうレッテルを貼ってもらえて初めてブランド価値が成立するからです。ブランド価値が成立した芸人が画面に出てきただけで、視る方が「何かおもろいことをするぞ」とワクワク期待させるのが彼らの本当の値打ちです。

ところがそういうレッテルは一面で「信用できない」の裏返しでもあります。お笑い芸人が個人的にどうのではなく、彼らのレッテルには「信用できない」も含まれているのです。これはたとえ国会議員になろうが都道府県知事なろうがついて回ります。信用は彼らのレッテルとは並立しないのです。

グダグダと繰り言を並べましたが、お笑いのレッテルを金看板として住むジャンルはやはりあるということです。これが他のジャンルを侵食すると非常に珍妙な状態が生じます。本職のバラエティでは裸で暴走するような芸人が時事番組で司会をしているような現象です。そういう番組を見るときに視聴者はどう感じるでしょうか。

もちろん個人的な感想に過ぎないですが、あまり真っ当な扱いの番組と受け取り難いと考えています。言ってみればバラエティ番組の亜流程度のものと見なされます。たとえ司会を任されたお笑い芸人が真剣に取り組んだとしても、視る方にはそんな意識がなかなか湧いてきません。どこかにおふざけがある、ないしはシャレみたいなものであるという意識です。申し訳ありませんが、とても真面目にやっているものと受け取れないのです。

それでもお笑い芸人でも真剣にテーマに取り組み真面目な番組にするものもいます。だから一概にお笑い芸人の進出を否定する気はありませんが、もともと生真面目なテーマな番組なのに中途半端にバラエティのエッセンスを取り入れるものですから、番組の品位と言うか信用性が疑われる仕上がりになるものの方が多いような気がしてなりません。

冒頭のFNS歌謡祭も広い意味で娯楽番組、バラエティの範疇に入るものです。でもそこに遊びはあってもおふざけはありません。遊びも大人の遊びです。だから上質のエンターテイメントと評価できます。あそこで司会が愚にもつかぬ駄洒落でも連発して仕切るようなら、低級のバラエティ番組に堕しますし、それが分かっているからこそあの構成であったと考えています。

硬くておもしろくない番組に隠し味としてバラエティの手法を取り入れる事は否定しません。それによって番組を分かりやすく、より広い人数の人に見てもらえるからです。ただ何でもかんでもバラエティにすれば良いものではないと考えています。バラエティにするのに相応しくない番組は世に沢山あります。もともと水と油ほどもバラエティに相性の悪い番組さえもバラエティの要素を無理やり盛り込んでいるのが最近の番組作りのような気がしています。

NHK的な生真面目な作りの番組に出会うと妙にホッとする、時代から遅れつつあるおっさんの独り言でした。