焼野原後を考えよう

医療危機に対しての出来るだけ具体的な対策を行きつ戻りつやってきたつもりです。原因らしき事を手当たり次第に触れてみました。新研修医制度の事、医局制度の事、医療訴訟の事、医療費削減の事、混合診療の事、救急医療の事などなどです。入口は様々ですが、最終的に制度や予算の壁にぶち当たります。私のブログや他の医療危機を訴えるブログを読まれて危機の存在を悟った方々の中に、「このままではやばそう」との感想を抱いてくれる人も確実に増えてきています。

「このままではやばそう」と感じた人々が締めくくる言葉の多くに、「この事をみんなでもっと真剣に考えるべきだ」の様なものが多く見られます。綺麗な締めくくりなのですが、私はその次を考えたいのです。医療関係者も非医療関係者も含めて真剣に考えてもらえる事は嬉しいのですが、個人的に考えてもらっただけでは問題は解決しません。たとえれば絶滅しそうな希少動物の話を聞いて、テレビの前で、「この事をみんなでもっと真剣に考えるべきだ」と話しているのと変わりは無く、それだけでは問題は一向に改善に向かいません。

具体的な成果を得られるためにはどう行動するかを考える必要があります。日本は国民主権の民主国家ですが、ご存知の通り代議員による間接民主主義の形態を取っており、やって欲しい事を実現するには代議員が集まる政治を動かす必要があります。医療政策は国が強固なタガをはめていますから、国会ないし行政府を動かす必要があります。

国や行政府を動かすためにはどうしたらよいか、身近な人間が酒場でウダを上げても聞いてくれません。政治とは国民の声を聞くものではありますが、決して一人一人に聞いて回ってくれるわけではありません。政治が耳を傾けてくれるのは、最低限ある程度の団体で無いと聞いてくれません。医療問題でも最大の医師の団体である日医は声を上げています。

団体が声を上げたら聞いてくれるかと言えば、団体の政治力に軽重が左右されます。残念ながら日医には昔日の栄光は失われ、かつては厚生省をしのぐと言われた影響力は見る影もありません。さらに現在でも日医以上の影響力のある医師の団体は存在しません。医師の声を政治に影響力を持って届る団体は実質存在しない事になります。

個人でも駄目、団体でも駄目となると政治に声を届けようがないという事になります。それでは医療は座して焼野原を待つのみとなります。かつて私は焼野原になり再生が行なわれれば、ある程度望ましい医療が構築されるんじゃないかと考えていました。そう考えている医師も少なくありません。ここまで来れば一度焼野原になり、国民世論として声が出ないと手の施しようが無いという諦観からです。

ところがここ一年ほどの崩壊の様子を見ていると、焼野原にする事さえ国の既定路線のうちに入っているように感じ始めています。国がと言うより、焼野原にする事により再構築される医療に、新たな利権を貪ろうとする有力利権勢力の存在です。有力利権勢力は焼野原後に再構築に多大な影響力を及ぼそうと手ぐすね引いているようにしか思えませんし、有力利権勢力の尻馬に乗っている政治も新たな利権からの資金還流に算盤を弾いているように見えます。政治と有力利権勢力の利害の一致です。そうなればたとえ焼野原になっても医療が良くなるとは思えません。医師にとってもそうですし、患者にとってもよりそうだと考えます。

焼野原後の再構築が有力利権勢力主導の下に行なわれるのは、医師にも患者にも望ましいものとはとても考えられないとすると、どうしたら良いか。一つは焼野原になるのを何とか食い止める努力をする事です。しかし相手は産官複合体です。政治までが加担して焼野原を望んでいるのであれば、これをたかだか25万人程度の医師の力では抵抗する術はありません。私を含めなんとか非医療関係者に危機を訴える運動がある程度の成果を見ても、その影響力は微々たるものです。残念ながら焼野原路線はもはやpoint of no returnを過ぎたと感じています。

焼野原を防ぎようが無いとすれば、焼野原後の有力利権団体の暗躍をなんとか阻止する方策が必要です。相手は産官複合体ですが、暗躍に対してはこれを阻止する方策を立てるだけの時間が残されていると考えています。有力利権団体の暗躍を封じ込める運動、団体の設立する時間です。残されていると言っても十分にではありません。既に後手に回りつつあるかもしれませんが、また手遅れだけにはなっていないと考えています。もっと言えば手遅れになっていないことを祈るばかりです。

崩壊焼野原への暗い予兆を語るのも大切ですが、それだけに終始しても展望が開けません。それよりもいかに医師や患者に被害少なく焼野原状態を過ごさせるか、焼野原状態からどうやって医師や患者の望ましい医療が構築できるかを論じたいと思います。もっともかなり手強い議題ですので、どこまで進めるかわかりませんが、宜しければ皆様のお手をまた借りたく思います。

そうそうこういう議題は理想論と現実論がどうしても交錯してしまうのですが、出来るだけ現実論をまず考えたいと思います。理想論と言えども現実論の足許が無いと砂上の楼閣になると考えるからです。現実論で足許を固めた上で、望むべき理想論への方向性を見出していくと言うようになればと考えています。

と、格好良く花火を打ち上げたものの、明日からどうなる事やら・・・