ボールの意味

昨日は参った、参った。やっとこさエントリーを書き上げて登録しようと思ったら「メインテナンス中」のお知らせ。ビックリしたビックリした、突然ですからね。某巨大掲示板の医療板も「大杉」とかでアクセスしにくくなっていた事と合わせて、国家権力の介入なんて妄想が思わずグルグル回ったりしました。ただ冷静に考えれば、某巨大掲示板はともかく、うちのようなマイナーなブログを妨害するために「はてな」全体を停めるなんて力技はありえないでしょう。医療危機を書いているブログが「はてな」だけに集中しているわけでも無し、うちが絶大な影響力を持っているわけでも無しですからね。

ところで今朝の新聞を拾い読みしていると今後の医療危機問題を語っていくために参考になりそうな箴言がありました。鉄鋼王D.カーネギーの言葉なんですが、

    「人に物を教える事は出来ない。知りたいという者の手助けが出来るだけだ。」
妙にしっくりと心にはまってしまい、思わず「これだ」と感じてしまいました。

どんな社会問題でも良いのですが、自分が直接困らない限り関心を寄せません。医師だって他人の事は言えず、医療問題に関連したもの以外はそんなに関心が高くなりません。患者もそうで自分の医療が直接現実的に困らない限り医療に関心を寄せなくて当然でしょう。困ってもいないのに危機と言われてもピンと来ないのを責められません。

医師ですらそうです。この問題を尖鋭に感じているネット医師の意識の集約だけでも1年かかっています。福島事件以降、ネット世界に大挙進出したネット医師の論客たちも、様々な意識を抱いていました。簡単に色分けすれば、

  • 阻止派
  • 妄想派
  • 精神論克服派
  • あきらめ派
初期に勢力の強かったのは危機阻止派です。危機阻止派に対して、危機自体の存在を疑う妄想派もおり、精神論克服派も混じっての論争があったかと思います。これが時間とともにまず妄想派、精神論克服派が姿を消します。危機は確実にあり、精神論でどうにかなるものでないと意識が進んだためだと考えます。阻止派の危機意識の勝利ですが、阻止派に対しあきらめ派が急速に勢力を増します。ここから長い阻止派とあきらめ派の論争が続く事になります。

長い論争でしたが、ここ数ヶ月で心のドミノが起こったようにあきらめ派に意識が集まりつつあります。これは阻止派が医療危機問題について、阻止方法を考えに考え抜いた末に「阻止する手段が無い」との結論に達したためだと考えます。阻止派の努力は無駄であったわけではなく、問題の根本を掘り出し、その問題を具体的に解決する方法まで編み出しましたが、それを医師だけで実行する手段が無いという冷然たる事実です。実行させるためには国民が世論として要求しなければ不可能であると言う事です。

何回かこのブログで触れている「ボールは投げられた」の意識はそういう意味です。ボールを国民に投げる前に医師は自分たちだけで危機を克服する手段を考え抜きました。結論は上記のように「医師だけではどうしようもない」です。

医療関係者以外の方から「ボールを投げられてもどうしたらよいかわからない。具体策を教えよ。」の声があります。具体策はこのブログだけでもそれなりに書いてあります。他の医療系ブログにもテンコモリ書いてあります。そういう提案、具体策を実行できる環境を作るのがボールを投げられた国民の役割だと考えています。付け加えると、ネット医師が感じているぐらいの危機意識を持つ事です。それがないと医師が提案している具体策に理解も共鳴も出来ません。

ではどうやって危機意識を拡げるか。残念ながら一挙に国民の意識を変え、世論を喚起するような妙案は医師側にありません。医師以外の方には暴論とも聞こえる焼野原論も、それぐらいのショック療法があれば意識が変わるんじゃ無いかとの発想です。最近では焼野原程度でも意識は変わらないんじゃ無いかとの悲観論さえ出ています。

私も最近では焼野原になっても意識が変わらないんじゃないかと危惧し始めています。ですからせめて焼野原になったときに、「これが焼野原だなんとかしなければ」ぐらいになってくれる事を期待しています。それに向かっての運動をしようと考えています。投げられたボールを受け止めたと感じた人は、自分が出来る範囲、自分が出来る行動で危機意識をたとえ一人でも伝えれば良いのではないでしょうか。それこそ一人の影響力は小さくとも、その数が多ければやがて絶対動かないと思っていたものが動きます。

残念ながら一般国民の医療への意識は非常に低調です。医療機関なんて病気が無ければ無縁の機関ですし、医療で日常的に関心があるのは年間の社会保険料と稀に受診する時の窓口の支払いだけです。後はマスコミが煽る医師叩きに「そうだ、そうだ」とバラエティー番組を見るぐらいの感覚で快哉を叫ぶのが精々です。そういう姿に医師は切歯扼腕していますが、危機を感じない、危機を知ろうともしない人間にいくら危機を説いても馬の耳に念仏です。

医師が説いても駄目だったからボールを投げられた考えてください。ボールを受け止めるとはそういう意味です。ボールは投げられたとはっきり書く以前からボールは無数に投げられています。ただし以前はボールを投げながら医師だけでも何とかなるんじゃないかとも考えていましたが、今の段階に至っては受け止めた者が行動しないと何も変わりません。

このブログも時に難解と感じられる事があるでしょうが、ボールさえ受け止めればすべては同じキーワードで書かれている事がわかります。他の医療系ブログでも同様です。医療系ブログといえども内容はたった一つのキーワードを手を変え、品を変え書いてあるだけです。そうただ一つのキーワード「わかって欲しい」です。