Point of No Retunは越えたか

「越えた」という声が増えています。「越えそう」とか、「dead lineだ」ぐらいなら幾らでもあります。Point of No Retunは感覚的な表現として使われているように思いますが、これについて考えてみたいと思います。

Point of No Retunの言葉で問題なのは、何に対してNo Returnであるかです。これは従来の日本型医療に戻るのが不可能であるPointだと考えます。用法としてもっと単純に医療崩壊を防ぐ時点を越えたと言う意味でもネット上では使われているようにも思いますが、私はそうではなくて日本型医療への回復がNo Returnになったと考えています。もっとも医療崩壊を防ぐPoint of No Retunが別にあり、私が考える日本型医療への回帰が不可能になるPointとは概念的に別にしても良いかもしれません。

日本型医療への回帰がNo returnになるとはどういう事かですが、日本型医療を支えていた大黒柱が折れて再建不能になった状態と考えています。折れて粉々になり、もう二度と同じ柱を使っての再建が不可能な状態です。そんな大黒柱とは何かになりますが、医師の意識そのものだと考えています。

日本型医療の特徴はいくつか挙げられますが、医療で絶対並立するが無いといわれる「cost、access、quallity」がなんとか成立しているのが最大の特徴です。これは世界的に奇跡に等しい事で、こんな事が成立していた国は空前でありもうすぐ絶後になります。こんな矛盾が成立したのはすべて医師の意識の賜物です。

「cost、access、quallity」がなぜ成立しないかと言えば、quallityを上げるのも、accessを確保するにもcostがかかります。quallityとaccessをcostをかけずに確保することは不可能であるとの単純な事実です。一定のcostで求められるのはquallityかaccessのいずれかになり、双方を確保しようとすれば必然的にcostが上昇すると言う事になります。

日本型でなぜ成立したかと言えば、quallityとaccessを維持するのに必要な医師の数や待遇を必要以下に抑えこんでいたからです。quallityとaccessを維持するのに足りない分は「足りるように働いた」から奇跡が実現していたのです。不足分を医師に働かす意識改革(洗脳)はこれも驚くべき事に医師自身が行なっていました。ほんの1年前でも良いと思います。医師の労働への意識は、

  • 医師は労働基準法の枠外の人種である
  • 奴隷自慢は医師の誇り
  • 医師たるものが待遇に文句を言うのは恥である
  • 神経症になったり過労死するような軟弱者は医師に不適格である
医師とは上記したような条件で働くのが当然であり、誇りであると、医師自身が次世代の医師に連綿と教育し洗脳を続けていたのです。だからどんなに過酷な勤務条件であっても「足りるように働いていた」のであり、その成果が絶対不可能とされる「cost、access、quallity」が並立する日本型医療を実現させていたと言えます。

つまり日本型医療の成立の最大の鍵は、医師自身による洗脳による奴隷型勤務礼賛であったことがわかります。私が考えるPoint of No Returnは医師自身による洗脳教育の断絶と、洗脳された医師の覚醒です。この二つが同時進行で今急激に進んでいます。なぜそんな洗脳教育システムが出来たかの由縁はもうわかりませんが、分かるのは一度失われれば二度と復旧は不可能である事は間違いありません。

医師自身による洗脳による奴隷型勤務礼賛が日本型医療を支える基盤であったのですが、これが失われるとなると、現在の医療崩壊の阻止は絶対に不可能です。今までのエントリーで何度か算数を行いましたが、何度計算しても医療を維持する医師の絶対数が大幅に不足しているのです。総ざらいしても絶対数が物理的に足りないのです。足りないのに成立していたのは、足りない分を奴隷的労働で埋め合わせていたからです。

奴隷的労働礼賛意識が低下すると、本来は物理的に足りないところが着実に露呈します。奴隷的労働礼賛意識が濃厚な頃はそれを露呈させないのが医師のプライドでしたが、少しでも意識が低下すると、もともと無理に無理を重ねて隠していたのですから、容易に露呈し、露呈したところを覆う努力を行なうよりも、覆う努力への虚しさに意識が向かう事になります。これが逃散という現象に現れているかと考えます。

奴隷的労働礼賛意識の低下または消失は、医療が焼野原になっても二度と日本型医療の再建が不可能になっている事にもつながります。奴隷的労働礼賛意識でなく欧米同等の意識に医師が近づけば、誰も足りないところを「足りるように働く」意識はなくなり、足らないところは「足りるような人員と待遇」を要求し、要求がかなわないところからは消え去ります。

日本以外では、「足りるような人員と待遇」を要求し、要求がかなわないところからは消え去らないように、医師の数を充足させ、あるいは医師の数に見合うような強力な受診抑制を講じる事になります。どちらかを行なえば、costかaccessのどちらかを犠牲にせざるを得なくなります。焼野原後の医療再建で行なわれる医療はそういうものしかありえない事になります。

奴隷的労働礼賛意識の低下消失が私の考えるPoint of No Returnであり、もうこれは止める事が出来ないと言う意味で越えています。再建もまた不可能ですからもう飛び越えてしまったと考えても良いと思います。それどころか、越えたPointさえ段々見えなくなってきています。

いつ飛び越えたかですが、おそらく1年ほど前でしょう。1年ほど前はネット医師世論でも「日本の医療を支えているのは医師の士気である」の論調が強く、これが失われれば医療は支えきれないの声が確実にありました。あの時がPoint of No Returnであり、今はもう1年後です。

これが医師以外の何人の人にわかってもらえるか、少なくとも後1年はかかるでしょうね〜