社会貢献活動の義務化

次期首相に決まった自民党総裁が御執心なのが教育問題。教育が現在多くの問題を抱えているのは周知の事実ですが、方向性には首を傾げます。どうやら柱になるのは2点のようで、

  1. 教員免許の更新制
  2. 大学を9月にし、3月の高校卒業後から9月までの間の社会貢献活動の義務化
どちらも問題がありますが、今日はb.の方について考えたいと思います。b.の改革のメリットとして
  1. 国際標準に合わせ国際交流をしやすくする
  2. 社会貢献活動を通じて公や思いやりの意識を育てる
並んでいる言葉「国際標準」だとか「社会貢献」の文字は美しいですが、対象になる人数は約60万人、この膨大な人数を半年間も何をさせるつもりでしょうか。同じようなプランは森元総理が高校生に「ボランティアの義務化」を提唱したものの焼き直しです。あの時は「ボランティアを義務化する」との訳のわからない日本語に失笑を買ったものですが、今度はボランティアの文字は出さずに社会貢献活動にしています。

素直に浮かんでくる疑問が幾つもあります。

  1. 学生をどうやって把握召集するか。


      大学合格者名は各大学は把握しています。ところが合格者氏名は個人情報保護法に当たると考えられ、広く一般公開することは問題があると考えられます。そうなれば各大学単位での行動となりますが、合格した大学が遠方である場合はどうするかです。社会貢献活動に召集されるたびに高い交通費を払う必要が生じます。

      交通費の解消のためには各大学が収容施設を作る必要がありますが、6ヶ月も収容するのなら体育館で合宿とはいかず、それなりの施設が必要です。そんなものを果たして作らせるのでしょうか。さらに言えば現在の案では9月から正式入学ですから、それまでは学生ではなく入学予定者ですから、そんな人の為に作らなければなりません。

      おそらくそんな事は考えておらず、大学入学予定者は各市町村に自分で届け出て、各市町村管轄にする方法を考えているのでしょうが、それはそれでまたまた個人情報保護の観点から如何なものかと考えます。


  2. 6ヶ月間の生活費はどうするか。


      各家庭にとっては大学卒業までの期間が半年延びたのと同じ事です。本来なら不要であった半年分の食い扶持は各家庭に押し付けるということでしょうか。学生であれば奨学金も受けられますが、入学もしていない予定者にはそんなものもありません。義務として強制労働させて金はビタ一文払わないと言う事でしょうか、


  3. 学生スポーツはどうなるか。


      「大学は勉強をしにいくもの」ではありますが、スポーツエリートにとっては必ずしもそうではありません。大学はスポーツをしにいくところです。プロを目指すもの、オリンピックを目指すものも大学に入ります。そういう連中も十把一からげにして社会貢献活動に従事させると言う事でしょうか。6ヶ月も体を鈍らせたらそれを取り戻すのは容易ではありません。例外免除規定を作りたくとも、入学が9月になっているためそれまで彼らがトレーニングする場所がありません。まさか彼らだけ社会貢献活動を免除し、さらに入学前なのにトレーニングをさせると言うのでしょうか。


  4. 脱落したらどうするのか。


      何をさせるかだいたい想像はつきますが、6ヶ月間もあれば脱落者は出てくると思います。彼らは大学入学を認めないと言う事でしょうか。何と言っても義務ですから修了しないと入学は認められないはずです。脱落者は翌年も学力試験を通過しても6ヶ月の強制労働はやはり耐え難いでしょうから、大学には永久に入学できない事になります。

      そんな柔な連中は切り捨てろとの意見も出るでしょうが、人間の才能の不思議なところで、画期的な発明や発見をする人は、しばしば人との協調性を欠く者が少なくなく、そういう人物を入学前のハードルで弾く事は大きな損失になるような気がします。
今朝の時点でとりあえず思いついたのはこれぐらいです。他にも良く言われるものに、ありそうな活動として清掃活動なんかに従事させたら、清掃で食べている人の職場を奪い取る事になります。老人介護もありそうな活動ですが、この場合はひとつしくじれば事故につながります。やりたくもない事を義務として無料で強制され、事故に対して責任だけを負わす事も問題は大きいと思います。やる気の無い人間ほど事故が起き安いですからね。

どうにも最近の社会の風潮としてなんでもかんでも「義務化」、「強制化」の文字が躍るのにはウンザリします。社会は時代とともに変化し、変化とともに人々のものの考え方、気風は変わります。考え方、気風が変われば、前時代の人間のモラルとはずれてきます。ところが為政者のモラル感覚は前時代どころか、前々時代か、前々々時代であり、そのモラルを郷愁的に復活させたくてしかたがありません。口で言っても躍らないのなら次に出てくるのは「義務化」、「強制化」です。

義務や強制でしか動かない個所は、社会の流れから取り残された部分と考えます。そこに人々の関心を集めたいのなら、集まるだけの魅力をそこに作る必要があります。そういう努力をすべて放棄して義務と強制で強引に穴埋めしようとする発想は危険です。現代社会において、社会の問題を義務と強制で解決した成功例は聞いた事がほとんどありません。

それにしても次期総理は60万人ものタダ働き人口を創出させて何をしたいのでしょうか。