世代的な発想かな?

5/29付時事通信より、

研修医の農作業「待った」=厚労省「医療に該当せず」−大分大、中止へ

 大分県九重町の町立飯田高原診療所が大分大学付属病院から受け入れた研修医に行っていた農家や旅館での研修について、厚生労働省が「内容が研修目標に当てはまらない」として、中止を指示したことが29日、分かった。これを受け、大分大は研修を取りやめるとともに、既に研修した2人には別の医療機関で再研修させる方針を決めた。

 飯田高原診療所は今年度、大分大付属病院の研修医4人を受け入れる予定だった。4月にはこのうち1人が1週間、九重町の農家で搾乳や苗代づくり、ラベンダーの植え替え作業などを体験。もう1人も5月に2週間程度、温泉旅館に泊まり込んで接客や配膳(はいぜん)、風呂掃除をしたり、自然保護施設での活動を経験したりした。

 野瀬善明所長は「医師が患者の心情を理解できないと信頼関係は生まれない。地域の人と触れ合うことで、人間性を磨く機会になる」と研修の狙いを説明する。

 これに対し、厚労省医事課は同省局長通知「臨床研修の到達目標」で規定した「地域医療」に該当しないと判断。28日に九州厚生局を通じて大学側に中止を求めた。

今の研修医は求められるものが多くて本当に大変そうです。研修で取得される目標は、え〜と、多分なんですが、

    救急医療が出来て、小児科が出来て、分娩を取れる
他もあったような気がするのですが、適当に優しくフォロー下さい。他にも出たり消えたりしている、強制配置の問題もとりあえずのターゲットは研修医です。研修医は、え〜と、国から研修費用をもらっているはずですから、他の医師と違って法律上や憲法上の問題をクリアしやすいと言えばクリアしやすいですからね。もちろん決定はしていません。

でもって今度は、

    「医師が患者の心情を理解できないと信頼関係は生まれない。地域の人と触れ合うことで、人間性を磨く機会になる」
こういう事を取得するために、
  • 九重町の農家で搾乳や苗代づくり、ラベンダーの植え替え作業
  • 温泉旅館に泊まり込んで接客や配膳(はいぜん)、風呂掃除
  • 自然保護施設での活動
こういう企画に諸手を挙げて賛成する人もいるのが目に浮かぶようですが、野瀬善明所長もこんな事をやって人間性を磨かれたのでしょうか。あくまでも「たぶん」ですが、やっていないと思われます。もしやっていなければ野瀬善明所長の人間性は磨かれていないか、他の方法で磨かれた事になります。

年長者が若者を信頼しないのは昨日、今日のお話ではなく、野瀬善明所長も若者時代にはさらなる年長者から信頼されていなかったでしょうし、それに反発しながら現在があると思うのですが、どうも違うようです。この野瀬善明所長がどういう方か興味が出てきたので少し調べて見ます。

まず略歴なんですが、

医籍検索で野瀬善明氏は1人しかおられず、また登録年も昭和44年(1969年)ですから、九州大学医学部前教授の野瀬善明氏と町立飯田高原診療所長の野瀬善明氏は同一人物であると判断できます。

九州大学医学部卒業後、4年間は間違い無く循環器内科におられたと思うのですが、5年目には九州大の講師になられ、6年目からは医療情報学を研究されていたように思われます。これは推測ですが、医療情報学の草分け時代に活躍されたと考えられ、12年目には助教授、18年目には教授になられています。

大学人事に疎いので、単に肩書きと職制だけの事かと思うのですが、1987年に九大附属病院教授になられ、さらに1999年に大学院教授になられていますが、大学院教授になられると附属病院の方は部長になっておられます。職歴がそうなっているので「そうだ」としか言い様が無いのですが、そんなものなのでしょうか。ちょっと判らないところでした。

それでも今でも九州大学医学部医療情報学のページには野瀬前教授の業績がしっかり掲載されています。少し畑が違うのでまったく存じませんが、医療情報学の分野では大物なのかもしれません。いや大物だと推測されます。

この医療情報学とはどんな学問かになります。福岡医誌99(3):56―57,2008に野瀬氏が寄稿されています。まずですが、

医学に特化した情報学として医療情報学の必要性を予見して,医療情報の7つの領域を多くの指導者や仲間とともに模索させていただきました.

医療情報学には7つの領域があるようで、

  1. 見えないものを見えるようにする領域
  2. 経験に頼らず数量化診断する領域
  3. 未来の予知予測技術の領域
  4. 低コストで品質の良い大量の医療サービスを可能とする領域
  5. 先端医療知識技術を医療として実現普及させる領域
  6. 健康増進と長寿を図る健康医学領域
  7. 医学医療情報を電子的に入手する領域
詳細についてはリンク先を御参照頂きたいのですが、一つだけ「見えないものを見えるようにする領域」の内容を引用しておくと、

物理学者と体外からの画像計測装置を,また工学者と断層画像合成プログラムを作り,断層診断の可能性を示しました.さらに三次元像を合成して局在病変の部位と大きさを体外計測しました.これらはCT やPETT などの体外画像診断全盛時代の先駆けとなりました

なかなか先進的な研究をされていた事がわかります。


さてなんですが野瀬氏は2008年3月に退官されています。そして2010年5月現在で町立飯田高原診療所に所長として勤務されているのも記事から確認できます。ここも推測になりますが、教授退官後に就職されたのが飯田高原診療所であるとしても良さそうです。この飯田高原診療所がどんな診療所であるかなんですが、情報が殆んどありません。かつてはHPもあったようですが、現在はアクセス不能で、辛うじて判るのは、

内科, 呼吸器科, 循環器科, 皮膚科

こういう診療科があるのと、周囲1km以内に最寄の駅がないことぐらいしかわかりません。もう少し診療所をイメージできる情報がないかと探してみると、チト古いのですが平成10年10月付大分医大第二内科会報第15号「同門会便り」てなものが出てきました。

 当診療所は大分県の南西部に位置し、九州本土最高峰のくじゅう連山北麓に広がる飯田高原の中心にあり、別府市とほぼ同じ面積の中にわずか人口2,500人の日本でも有数の原野率の高い地区です。

 第二内科とのつながりは古く、医大開学時にさかのぼります。昭和50年8月に町営の飯田へき地診療所が開設されたおり、大分市医師会立アルメイダ病院に勤務されておられた御厨義昭先生、神崎維康先生らが交代で昭和57年まで、その後、数人の常勤医師を経て、昭和62年6月から平成4年5月までは明石光伸先生らの大分県厚生連鶴見病院の諸先生が交代で診療にあたっており、第二内科の草創期の大先輩のたちが活躍された診療所でもあります。

 その後、ようやく平成4年6月よりは、第二内科より佐藤竜吾先生、卯野規敬先生、後藤孝之先生らの医師が常勤し、平成6年6月より現在5年目になります。週1回鶴見病院の明石光伸先生に、また23年間月1回の市川武城先生の皮膚科診療の協力を得て、四季折々に美しく装う大自然のなかで、高齢者、独居老人に在宅訪問診療を積極的に取り入れ、日常診療を行っています。

 診療内容は、約400人の小児と、老年者も(65才以上)600人(高齢化率25%)を数えるため、内科だけにとどまらず多岐にわたります。農作業中の事故等の処置・縫合も少なくありません。検査機器はX線撮影装置、心電計、超音波装置だけですが、不便は感じません。

 緊急時には、玖珠郡内の救急病院だけでなく、いつでも厚生連鶴見病院、日田済生会病院(岩橋正人先生、井上聡一先生)が対応してくださり、心強いかぎりです。 

 看護婦2名、事務1名の計4名のスタッフで一日平均40人前後の外来患者の診療と、一回あたり15〜20人の高齢者の訪問診療を毎週火曜・水曜の午後に行っており、月間のレセプト件数400〜450件・・・(以下略)・・・

エエ〜と、エエ〜と、無理やり野瀬氏の経歴をまとめると、

  1. 卒業後5年前後は臨床医として働いた
  2. 以後は退官するまで基礎研究に尽くされた
  3. 退官後に就職した医療機関は、ある程度なんでもありの僻地診療所
  4. その僻地診療所は大分大が伝統的に医師派遣を行い、現在でも大分大の臨床研修の一部を担っている
途中で「野瀬前教授 = 野瀬診療所長」か何度も疑問に思いましたが、医籍検索の根拠を否定するのは難しそうです。かつてと違い臨床分野の教授でも退官後の就職先に困る時代になっているそうですから、基礎分野の教授となるとこういう進路でも珍しくないのかもしれません。


野瀬氏が創設された医療情報学は、九大でこれまた妙に有名になった医療システム学とは別の分野になっています。医療システム学が医療情報学から分かれたのか、概念としてまったく違うものなのかは医療システム学の方にページがありませんから不明です。どうでも良いような連想ですが、野瀬氏は「どうやら」ですが医療情報学の分野では草分け的人物であり、かなりの大物のように思いますが、そんな野瀬氏でも退官後は町立飯田高原診療所長である事に、某医療システム学教授は危機感を抱かれたんじゃないかと思ったりしています。

もう一つ、これもどうでも良い連想ですが、野瀬氏より7つほど年齢が上ですが、五代ほど前の総理が高校生に「ボランティアの義務化」を提唱していたのを思い出します。もう1人、野瀬氏より10歳ほど若い三代ほど前の総理が「大学を9月にし、3月の高校卒業後から9月までの間の社会貢献活動の義務化」を提唱していたのも思い出します。

三代ほど前の総理と五代前の総理と合わせて、この世代の方々は、この手の教育活動が非常に好まれるんじゃないかとも感じています。まあ、一国の総理が提唱して実現しなかった事を、小規模ですが実現させたので野瀬氏の方が実行力に優れているとは言えるかもしれません。もっとも野瀬氏が行なったのは「ボランティア」でも「社会貢献活動」でもなく、研修医のための地域医療の研修ですけどね。


細かい情報の収集に熱中しすぎて、もともと何を書くつもりだったのか忘れてしまいしたが、大した話ではありませんから、まあ良しとしておきましょう。