行ってしまって、終わった人のお話

にゃご様からの情報です。

いまさらではありますが、かの御仁についての新ネタをご紹介します。

地元の市医師会へ産婦人科医会から質問状が突きつけられました。
なにかというと、これです。

糸島産屋プロジェクト 発起人
http://www.itoshimaubuya.com/staff
読売新聞の記事
http://goo.gl/vcrCP

 映画「玄牝」でも話題になった、あの吉村医院をモデルに
「産屋うぶや」なるものを作る事業を、信友先生は推進しておられるようです。
http://goo.gl/AmJE5

とりあえず1/18付読売記事を起します。

糸島市に「産家」を

 自然なお産に備えて心と体を整える場として、糸島市で「産屋」をつくろうという計画が動き始めている。児童虐待などの子育てを巡る問題が深刻化する中、母親となる女性やその家族に新たな命を産み育てる力を養ってもらおうというのが狙い。(向井由布子)

 「糸島産家プロジェクト」は昨年末、春日助産院(春日市)の大牟田智子院長や福岡市成人病センターの信友浩一病院長、街づくりイベントなどを企画する糸島市NPO法人「いとひとねっと」代表の桑野陽子さん(47)ら6人が発起人となってスタートo自宅分娩も扱う春日助産院の「分院」という形で実現させようと、現在、立地場所を探している。

 メンバーらが施設のモデルとして参考にしているのが愛知県岡崎市の「吉村医院」・同医院では可能な限り、医療の力に頼らない自然分娩を実践している。

 桑野さんによると、同医院では通常の診察や出産はもちろん、敷地内の古民家で妊婦がまき割りや畑仕事を体験。「出産は痛くてつらい」「過去の出産の医療行為が心の傷になった」などと悩む全国の妊婦らが、共同作業を通じて自信と心の平穏を得ているという。父親やきょうだいとなる子どもたちに新しい命を迎える心構えが備わるよう支援もしている。

 糸島市でも同様の取り組みを導入しようと模索中。妊婦に限らず、出産後の女性や産まない選択をした女性にも、体の変化の仕組みを学んで女性としての生き方を考える場にしてもらう。桑野さんは「糸島の風土や食材が健康な心と体をつくるのにきっと役立つはず」と話している。

 23日午後1時から糸島市二丈波呂の龍国禅寺で、吉村医院の吉村正院長の講演会を開き、取り組みについて語ってもらう。ミニコンサートもある。参加費は5000円で、事前の申し込みが必要。問い合わせはいとひとねっと(092.332.9716)へ。

糸島市ってどんなところか気になるのですが、お手軽にwikipediaから、

糸島半島の中央部および西部と、その南側から南西の福岡県西端部の一帯を市域とする。北側と西端部は玄界灘に面し、東側は福岡市に接する。南部は脊振山地があり佐賀県と接している山岳地域で、南西部は唐津市に、南東部は佐賀市に接する。

糸島半島の付け根とその西側の玄界灘沿いの地域を筑肥線筑肥東線)が東西に通っており、同線沿線の旧前原市域を中心に近年ベッドタウン化が進んでいる。

地図で確認すると福岡市のお隣のようで、人口10万人ほどの街で、地理的にも福岡市のベッドタウン的な面はあるようです。この糸島産屋プロジェクトの「はじめに」にプロジェクトの趣旨が書かれています。

愛知県岡崎市の吉村医院・お産の家院長 吉村正先生の著書に『「幸せなお産」が日本を変える』というタイトルの著書があります。

自殺、児童虐待、いじめ、DV、少子化など社会問題は多様化し、増えるばかりです。

問題だけを見つめると悪いのは誰か、犯人探しだけに終わってしまいがちです。

私たちはさまざまな問題をひたすら紐解くと、人が人として誕生するとき「お産」で大きく変わると思うようになりました。

命がけで日々お産と向かい合っている産科医、助産婦との出会い、話をすればするほど、それは間違いないという思いになりました。

人(医師)に任せきった不自然なお産ではなく、自分らしい自然なお産。

生まれようとしている子どもによりそったお産。

そこにしか生まれない親子の絆。

未熟で前向きに進むことしかできない私たちですが、同じ思いの人たちがつながることで、間違いなく「日本を変える」と日々まじめな顔して熱くなっています。

そんな私たちにしかできないことをこれから少しずつ、楽しくやっていきます。

一人でも多くの女性が、自分らしく自然なお産を経験し、本当の「女」になること、

そして、何より私たち自身が本当の「女」として私らしい生き方をしていくことが

日本を平和でしあわせにする!!

『「幸せなお産」が日本を変える』

こんなことを考えている私たちです。

「はぁ?」てなところですが、6人の発起人も素晴らしいメンバーで、

大牟田 智子

    福岡県春日市の春日助産院院長 助産
    愛知県の医療系大学卒業後、神奈川県の北里大学医学部付属病院産科病棟に勤務。1984年、帰福。福岡逓信病院産婦人科病棟に勤務する傍ら、春日助産院にも勤務。その2年後に病院を退職し、助産院のスタッフとなる。1998年、テムズバリー大学助産修士コースカリキュラム終了。2005年より、『春日助産院』の二代目院長に就任。
信友 浩一
    福岡市医師会 成人病センター院長 医師
    1971年九州大学卒業。1980年ハーバード大学大学院卒業。国立療養所近畿中央病院内科、国鉄中央保健管理所主任医長・産業医、 国立医療病院管理研究所医療政策研究部長、 国立循環器病センター運営部長。
    2010年3月に九州大学大学院教授を退官後、現在福岡市医師会 成人病センター院長として医療システムの構築、 改革に邁進。診療情報共有宣言・福岡県医師会、福岡市東区医師会医療連携ネットワークなどの発足にも深く関わる。
 
森 由香
    Crescent moon(クレセントムーン) 代表
    子育てをしながら、”お産” “育児” “生き方”をキーワードに、学んだり、考えたり、話し合い、伝える機会を作る活動をしている。多彩な活動の経験を活かし、糸島産家プロジェクトのアドバイザー的存在。
桑野 陽子
    NPO法人いとひとねっと代表 食生活アドバイザー
    前原市(現糸島市)での子どもフェスタ実行委員長など子育て支援の活動を経験後、2009年NPO法人いとひとねっとを設立。未来のために食、文化、歴史、自然を活かしたまちづくりを目標に人ネットワーク構築に向けて邁進。
山本 恵廣川 聡子(事務局)
    NPO法人いとひとねっと副代表 
    2009年NPO法人いとひとねっとを桑野陽子とともに立ち上げる。WEBデザイナーとアロマセラピストの二足のわらじを活かし、ハードとソフトの両面から糸島産家プロジェクトの事務局を担当。

類は友を呼ぶと言えばよいのでしょうか、なるほどそういうプロジェクトを行うに相応しい人材が集まっています。他にもスタッフと言うのも御紹介されていまして、

松本 亜樹

    「tete 手から手へつなげたいもの、思い、日々の暮らし」メンバーとして、糸島を拠点にさまざまはワークショップや講座を企画、開催。
    毎年行われる田んぼコンサートの実行委員としても活躍。
大松 久美子
    自然農農家を営みながら、オーガニックな生活を地域に広がるよう活動。
    「tete 手から手へつなげたいもの、思い、日々の暮らし」メンバーとして、糸島を拠点にさまざまはワークショップや講座を企画、開催。
    糸島の自然の中で、親子が自由にのびのび遊び集うことで心身の豊かで健康な成長をはかる「みつばち長屋」主宰、
    市民の集まる場としての図書館づくりをめざした「としょかんのたね」世話人
在原 みどり
    「tete 手から手へつなげたいもの、思い、日々の暮らし」メンバーとして、糸島を拠点にさまざまはワークショップや講座を企画、開催。
    マクロビオティックカフェ エヴァダイニング」スタッフ。
浦田朝夏
    オーダーメイドの木工家具工房スタジオターンをご主人と営みながら、糸島のさまざまイベントスタッフとして活動。
    「tete 手から手へつなげたいもの、思い、日々の暮らし」メンバーとして、糸島を拠点にさまざまはワークショップや講座を企画、開催。

経歴だけで眩暈がしそうな気がしていますが、そういう方々が集まらないと、とても始められるプロジェクトではないだろう事だけは理解出来ます。プロジェクトが実現するかどうかは知る由もありませんが、こういう方々は異常なパワーを持っていますから、いずれ凄いものを作り上げるんじゃないかと予測しておきます。

別にアドバイスなんてする気はサラサラないのですが、吉村医院式が成功する最大の鍵は、薪割りとか、畑仕事ではありません。吉村式で不可避になる新生児死亡率の上昇と、それに伴うトラブルを回避させる技です。吉村式に批判的な医療関係者も、そのトラブル回避の技だけは感歎の思いで見ています。まあ、それが出来そうなメンバーが集まっているとは言えますが、そう簡単にコピーできるかどうかはかなりの不安を覚えるところです。

プロジェクトが実現すれば、現在吉村医院の近隣の産科医療機関が蒙っている被害を、糸島市及び隣接する福岡市ぐらいに及ぶでしょうから

    地元の市医師会へ産婦人科医会から質問状が突きつけられました
これぐらいはあるでしょうね。もっとも「質問状」とは非常に穏やかな対応で、よほど人情味に溢れた土地柄なのではないかと想像します。



さて信友氏です。経歴を見ると九大退官後、見事に福岡成人病センター院長に再就職されておられます。これは長年の努力の成果として良いのでしょうか。同じ九大で医療情報学の草分け的存在であった野瀬善明氏が町立飯田高原診療所であったのと較べると、世渡りの上手さは比較にならないように感じます。

世故に長けられても批判するような事ではないのですが、今回のプロジェクトの参加は誠に興味深いところがあります。たぶんですが福岡成人病センター院長にも定年があると思いますから、次の世渡りのための布石と見ても、それほど的外れではないと思います。そちらに今後の活躍の場を求められる意思表示と素直に受け取ります。

個人の信念ですから、私がとやかく言うほどの事はないかもしれませんが、信友氏はこれまで中央の政策に波長を合わせるのに尽力されていたかと思います。つまり信友氏につながる人脈と言うのが認識されています。信友氏のプロジェクト参加は、一連の人脈の方々も賛同していると受け取られる可能性が出てきます。

ここで推測として一連の人脈と見なされている方々がどうお考えかです。賛同して後押しされているのか、それともこのプロジェクトについては賛意を表さないのかです。どっちなんでしょうね、私如きでは知る由もないお話ですが、まあ、賛同されていたら怖いお話で、医療政策として今後推進される危険性が出てきます。

一連の人脈の方々のお考えも「なかなか」のものがありますが、それでも吉村式の推進者なんて立場にそうは安易に立たれないと思います。医療者としてかなりリスキーなものだからです。今回のプロジェクト参加は、信友氏が築き上げた中央人脈の方々にしても「行ってしまったな」と受け取られそうな気がします。この辺のサバイバル感覚の線引きは海千山千の方々ばかりですから、シビアだと推測しています。


信友氏につながる人脈の方はともかくとしても、今回へのプロジェクトへの参加で信友氏にトドメのカラーが加わった事だけは間違いありません。それにしても、まだ福岡成人病センターの現役の院長職にあるのですが、院長がそういう方針の成人病センターは個人的にチト怖い気だけはしています。そう言えば、成人病センターは救急を受けられているのでしょうか。

医療機関の性格的に三次救急だとは思うのですが、きっとどんな状況であっても入院を受けられる方針にされている事だと思います。プロジェクトの産屋からの救急搬送も同じ感覚でされる予定だとするのが当然でしょう。そう言えばこんな写真が残されています。

この時に挙げられた「医療政策課題にまつわる5つのキーワードを教えてください。」を再掲しておきます。
  1. 医師は応召義務を果たしていない
  2. 医師は被害者意識を捨てよ
  3. 数値と事実で議論を
  4. 医師も弁護士型の専門家集団にすべき
  5. 「医療理念法」を
「他人を信じなさい」の信念に従ってきっとプロジェクトの他の発起人を信じられているのでしょうし、吉村式の結果を周囲に撒き散らすのも「医師は応召義務を果たしていない」で一蹴し、迷惑だと感じても「医師は被害者意識を捨てよ」で整合性が保たれます。ただ「数値と事実で議論を」はどうでしょうか。これもきっと吉村式の「数値と事実」を他人の講釈で信じられた結果だと推察できます。

ここはNATROM様がより的確にまとめられています。NATROM様は吉村式の産院ができ、吉村式により起こった分娩トラブルの搬送先に産科医がいなさそうな福岡成人病センターを推薦されています。搬送されれば院長の陣頭指揮の下、

我々は産婦人科医がいないからといって、妊婦の搬送依頼を断ったりはしない。あるいは、胎児心拍モニターがなく、胎児心拍が測れないからといって何も手当しないなどということもない。そもそも医療は、今あるものでどうにかするものだ。「帝王切開ができないから受けない」──ありえない。「NICUがないから」──そんな理由でなぜ診療を断っていい、なぜ、許されるのか。そんな習慣をつけたのは誰か。医師たる者が、業務を独占しながら、応召義務を果たさない。いつ、医師の神経は麻痺したのだろうか。

個人的に院長以外のスタッフは裸足で逃げ出してしまいそうに思いますが、それでも院長だけは踏み止まって全国に宣言されている提言を実践されるに違いないとされています。これもよく考えてみれば吉村式産屋プロジェクトに限定されたお話ではなく、すべての救急搬送に該当するお話になるかとも考えられます。福岡の救急搬送の成績は全国でも非常に優秀です。

しかしそれでも「たらい回し」回数が9回を数えるものがあります。重症救急で1回の照会で搬送先が決まらないケースが1281件もあり、2回でも252件が搬送先が決まっていません。1回目はともかく、2回目をすべて信友院長指揮下の福岡成人病センターに搬送すれば成績は非常に向上します。ここで必ず福岡成人病センターは応需しますから、照会無しで直に搬送すれば、福岡の照会回数はすべて1回になるという怪挙が実現します。信友氏の語録です。

少なくても、私たちの世代、団塊の世代までは、そんなことはなかったと記憶ししている。何々がないからできませんなどと言ったら、上司からこっぴどく怒られた。「患者を見殺しにするのか!」と。そう叱咤する指導者もいなくなったのだろう。たぶん我々の10歳年下からの世代から、そういう習慣ができ上がっていった。そんな気がしている。

この程度の事態なら「患者を見殺しにするのか!」と信友氏自身が「叱咤する指導者」で頑張られるでしょうから可能なはずです。マスコミが指標に挙げる事が多い重症救急なら年間1300件足らずですから、可能でしょう。そうなっても被害者意識の「ひ」の字も出ないわけですし。



「終わったな」が私の感想です。ただ信友氏が終っても場合によっては産屋プロジェクトが遺物の様に残る可能性があります。福岡では、信友遺物の後始末(尻拭い)が大変になるかもしれません。そうなった暁には、関係者の皆様、御愁傷様です。