ホワイトカラーエグゼンプションにもう少しこだわる

経団連が提唱するホワイトカラーエグゼンプションに関する提言の中で「ホワイトカラーの労働時間概念と労働時間管理の考え方」から一部抜粋です。

ホワイトカラーは、「考えること」が一つの重要な仕事であり、職場にいる時間だけ仕事をしているわけではない。自宅に居るときや通勤途上などでも、仕事のことに思いをめぐらすことは、珍しいことではない。逆に、オフィスにいても、いつも仕事をしているとは限らない。つまり、「労働時間」と「非労働時間」の境界が、ホワイトカラー、その中でもとりわけ知的労働者層においては、曖昧といえる。

さらに、ホワイトカラーの場合、会社の業務が終了した後、自分の興味がある分野の研究や自己啓発などを自発的に行うこともある。これらの時間は、会社の業務ではないからといって、一概に「労働時間」ではないともいいきれない。場合によっては、こうした研究や自己啓発が本人の職業能力の向上に繋がり、業務に役立つことも十分に考えられるからである。

(中略)

ブルーカラーとは異なり、「労働時間」と「非労働時間」の境界が曖昧なホワイトカラーの場合、賃金計算の基礎となる労働時間については、出社時刻から退社時刻までの時間から休憩時間を除いたすべての時間を単純に労働時間とするような考え方を採ることは適切ではない。「業務を中断している時間」というのも当然考えられるわけであるが、賃金を支払う側にとってこうした業務の中断時間を厳密に把握し、事後的に証明することは、事実上不可能といえるからである。

全部は長いので読みたい方は引用元を頑張って読んでください。私も精読はしきれていません。業種によってこの辺の受け取り方は異なるのでしょうが、余り好意的に解釈していないという立場で分析します。

抜粋文中でしきりに強調されているのが「労働時間」と「非労働時間」の境界です。ホワイトカラーたるもの常に業務に専念すべしというのが前提のようです。現在の勤務時間内でも空き時間が出来、そこでちょっとした休憩をとればそこは「非労働時間」であると考えるのが妥当と解釈すれば主張が良く分かります。ブルーカラーは経営者から見て、生産ラインに貼り付いているという「目に見える」形で仕事をしています。一方でホワイトカラーが考え込んでいるのは、現在の業務の改善策を思考しているのか、週末の家族旅行を考えているか分かったものじゃないと受け取ればよいかと思います。経営者にすれば業務について考えている時間だけしか賃金を払う義務がないとの見解で、業務以外の雑念に知能を費やした分に関しては、経営者は「非労働時間」であると考えるわけです。

とはいえ人間の頭の中が何を考えているかは外からはわかりません。それでも経営者は業務に専念する時間しか賃金を払いたく無いというのが基本的主張のように考えられます。そこで考え出した理屈は、従来の就業時間帯にも「非労働時間」が含まれるが、従来の非就業時間内にも「労働時間」が発生しているとしています。つまり24時間365日のうち、業務の事を考えている時間のみを推測で計算し、その分だけに賃金を払うという論法です。

分かったような分からんような理屈ですが、まず言えることはたとえ出社していてもその時に業務の事を考えていなければ「非労働時間」になるわけです。虫歯が猛烈に痛み、その日の仕事が手につかなかったら、その日は出社していても「非労働時間」つまり休日同様というわけです。そのかわり虫歯が治り、休日に業務の事を一生懸命考えたら、それはカウントするというフォローはいちおうついています。

しかし結局のところ、従業員がある時点で「労働時間」なのか「非労働時間」なのかは神のみぞ知る領域です。そこで経営者が業務で思考して欲しい分だけ賃金を決めてしまう方式になります。ある業務を遂行するのに○○時間の思考を要するから、その分の賃金を払う。その分だけ働いたかどうかは成果で評価すると考えれば良いでしょうか。必要な労働時間をどこでどう費やすかは労働者の裁量ですから、従来の労働時間や残業の概念はすべてなくなると考えればよいかと思います。

ホワイトカラーエグゼンプションと横文字が格好良さそうですが、これって請負契約じゃないのでしょうか。ある仕事を請け負い、ある期日までに仕上げる契約をする。それを達成するために請け負った方は万難を排してこれを遂行する。仕事が容易であれば、ノンビリやれば良いでしょうが、大抵はかなりシビアな条件である事が通常で、契約を守るために請負者は突貫工事で残業の嵐に見舞われる事になります。

経営者がホワイトカラーエグゼンプションに適用したい労働者は、相当広い範囲を想定しています。何と言っても主張する基準が年収500万ですからね。さらに与える業務は経営者が裁量します。経営者が裁量する業務量がどんな量になるかは推して知るべしです。当然といえば当然ですが、与える賃金の少なくとも数倍の業務量であろうことは誰でも考えるところです。その上で業務を達成したものは幾ばくかの賃金アップの変わりにさらに過酷な業務量が与えられます。業務を達成できなかったものは、「さぼっていた」との烙印が押され落伍者になります。

いかにも経営者が思いつきそうな提案です。私は関係なくてよかったとシミジミ思っています。