奈良産科医時間外訴訟の感想

この訴訟のポイントは、


原告の主張 被告の主張
当直は実態として勤務となっている あくまでも当直である
オンコール待機時間は拘束であり時間外勤務にあたる オンコール待機時間は無給である
もちろんオンコールで呼び出されて働いたら時間外勤務である 呼び出されて働いても無給である


ここの「当直」とは医療法16条による当直であるのですが、その労働実態が労基法41条3項に適合するかが争われています。わかりやすい例として愛育日赤事件があります。愛育日赤事件ではどちらの病院も労基法41条3項の宿日直許可を受けておらず、労基署の監査後に慌てて許可を申請したら、許可が下りなかった経緯があります。医師には一般的な基準に加えて通達も加えられており、

 常態としてほとんど労働する必要がない勤務のみを認めるものであり、病室の定時巡回、少数の要注意患者の検脈、検温等の特殊な措置を要しない軽度の、又は短時間の業務を行うことを目的とするものに限ること。したがって、原則として、通常の労働の継続は認められないが、救急医療等を行うことが稀にあっても、一般的にみて睡眠が充分とりうるものであれば差し支えないこと。なお、救急医療等の通常の労働を行った場合、下記3のとおり、法第37条に基づく割増賃金を支払う必要があること。

通常の勤務も割増賃金さえ払えば無限にOKと言うわけではなく、これも基準が設けられています。基準の話は長くなるので、今日は省略します。問題の奈良県奈良病院産婦人科の時間外勤務の情報です。

時間外救急患者数:1115人

  • 手術件数:364件
  • 分娩件数:552件(正常分娩:238件,異常分娩:314件)
ソース:奈良県福祉部健康安全局医大・病院課

リンク元は既に消去されていますが、平成2006年度のデータです。訴訟の対象となったのは2004年と2005年ですが、状況はさほど変わっていないとして良いと考えます。情報から手術と分娩は分けてありますから、年間に916件の分娩と手術があった事になります。そうなれば単純平均で1日2.5件の手術か分娩があった事になりますし、それ以外にも救急外来もあります。そういう医療法16条の当直が労基法41条3項に適合するかが訴訟の焦点です。

つうか誰が考えても適合していないと思うのですが、tadano-ry様から情報提供頂いた判決要旨には、

◎宿日直(夜間休日)勤務

 原告らは、産婦人科という特質上、宿日直時間内に分娩への対応という本来業務も行っているが、分娩の性質上宿日直時間内に行われることは当然予想され、その回数は少なくない。中には帝王切開術なども含まれ、治療も行っている。また救急医療を行うこともまれとはいえない。これらの業務はすべて1人の宿日直医師が行わなければならない。その結果、宿日直時間中の約4分の1の時間は外来救急患者への処置全般および、入院患者にかかる手術室を利用しての緊急手術などの通常業務に従事していたと推認される。

 原告らは、奈良病院から宿日直勤務を命じられ、勤務の開始から終了までの間、場所的拘束を受けるとともに、呼び出しに速やかに応じて業務を遂行することを義務付けられている。したがって、原告らは実際に患者に対応して診療を行っている時間だけでなく、診療の合間の待機時間においても労働から離れることが保障されていない。宿日直勤務の開始から終了までの間、医師としてその役務の提供が義務づけられ、同病院の指揮命令下にある。

あえて要旨のポイントをまとめると、

  1. 宿日直時間内に分娩への対応という本来業務も行っている
  2. 宿日直時間中の約4分の1の時間は外来救急患者への処置全般および、入院患者にかかる手術室を利用しての緊急手術などの通常業務に従事していたと推認
  3. 診療の合間の待機時間においても労働から離れることが保障されていない
  4. 宿日直勤務の開始から終了までの間、医師としてその役務の提供が義務づけられ、同病院の指揮命令下にある
どんな反論を被告である病院側が行なったかある意味興味津々なのですが、奈良県奈良病院の産科当直は労基法41条3項の当直とは認められず、時間外労働であるとして被告は支払いを命じられています。労基法及び関連通達を読めば、これ以外の結論は考えられないのですが、とにかく原告は勝利しています。


次がもう一つの大きな争点であるオンコール問題です。訴訟では「宅直」と言う表現を用いていますが同じ事です。宅直から時間外勤務した時の時間外手当の支払いについての情報はありませんが、これも支払いを命じられているかと思います。病院側の主張として考えられるのは

    勝手に宅直を行い、勝手に出勤し、勝手に働いたのだから手当は不要
これぐらいだと思いますが、ここは平成19年第1回経済財政諮問会議議事要旨での丹羽宇一郎伊藤忠商事株式会社取締役会長の発言を引用しておきます。

 ホワイトカラーエグゼンプションの本当の趣旨は、大手企業の大部分がそうだが、若い人でも、残業代は要らないから仕事をもっと早くスキルを身につけてやりたい、土日でも残業代は要らないから出社したいという人がたくさんいる。しかし、経営者がしてもらっては困ると言っている。なぜなら出社されると残業代を全部払わなければいけない。家で仕事をするよりも、会社に来て色々な資料もあるし、これで自分が人よりも早く仕事を覚えて仕事をしたいんだと。それを今は仕事をするなと言っている。ホワイトカラーエグゼンプションの制度がないからだ。だから、少なくとも土日だけはホワイトカラーエグゼンプションで、残業代は要らないから仕事をさせてくださいという人に、仕事をするなという経済の仕組みというのは実におかしい。これを何とかしてあげたい。

経営者の常識として、

    出社されると残業代を全部払わなければいけない
これを訴訟の場で論破するのは大変難しいかと考えるからです。


当直問題と宅直からの時間外手当問題は原告勝訴で当然のお話ですが、医師がある意味一番注目していたのは宅直問題です。これはまず判決要旨を引用します。

◎宅直勤務

 奈良病院では、救急外来患者が多く、産婦人科医師の需要も高いが、5人しか医師はいない。現実の医師不足を補うために、産婦人科医師の間で(宅直勤務制度が)構築されたものである。

 しかしながら、宅直勤務は奈良病院の内規にも定めはなく、宅直当番も産婦人科医師が決め、同病院には届け出ておらず、宿日直医師が宅直医師に連絡をとり応援要請しているものであって、同病院がこれを命じていたことを示す証拠はない。このような事実関係の下では、同病院の指揮命令下にあったとは認められない。したがって宅直勤務の時間は、割増貸金を請求できる労働時間とはいえない。

この判決部分は少々話題になっているのですが、

  1. 宅直は医師が勝手に決めている
  2. 病院は宅直に対し業務命令も行なっておらず、内規も存在しない
  3. 医師が自主的に行なっているのだから病院の指揮下に無く拘束時間でもない
よって宅直は勤務と認められず、時間外手当は発生しないと言う論理展開です。判決で述べられている事は「そうとも取れる」とは言えます。ただかなり強引な印象はあります。労働者を拘束しているかどうかは、業務命令や内規などの表面的な部分と実態があります。判決は表面的な部分を重視し、実態をスルーした論理構成であると感じます。

産科医が人手不足を補うために自主的に宅直制を構築したのは事実としても、その体制がなければ奈良県奈良病院産婦人科医療は成立しなかったわけです。宅直は何のためにあるかと言えば、どうしてもの時への応援のためであり、なおかつその応援がなければ患者の診療ができないものになります。自主的とは言え、宅直時間中は奈良県奈良病院のために拘束されているわけです。回数もMedical Tribune 2007年4月5日 (VOL.40 NO.14) p.45によれば、

提訴した2人の医師の場合,2年間の当直および宅直がそれぞれ155日と120日,158日と126日にのぼっている。

当直と宅直の配分が不明ですが、年間の1/3〜1/2程度の拘束を受けています。呼び出された頻度の情報が無いのですが、年間の手術・分娩回数から考えてかなりの頻度に及んでいると推測されます。こういう実態を考えると、これを実質的な病院による拘束と判断する余地も十分にあったと考えますが、二審があれば期待することにしましょう。



ところでなんですが、宅直について素朴な疑問があります。それほど忙しくない病院であれば、弾力運用により労基法41条3項による当直は可能です。忙しくとも昔に取得した労基法41条3項の宿直許可を盾に、安価に時間外勤務を行なわせているところはテンコモリあります。実態論議は今日は置いておくとして、この場合は建前上合法的に医師に当直を行なわせ、合法的な対価を支払っています。

一方で宅直は当然の事ながら労基法41条3項に該当しません。該当しませんは正確さを欠きますから、そういう宿日直許可を取っている病院は聞いた事がありません。それでもこの訴訟に示された通り、内規なり、届出なり、業務命令なり、何か病院からの指揮があれば勤務になる可能性があります。判決文はその事を明記し、今回は病院の指揮下でないから拘束時間でないとしています。逆に考えれば宅直も正規の勤務時間に含まれる可能性を十分に示したものと考えます。

宅直の実態も様々で、診療科の特性、病院の繁忙により常に呼び出される状態の宅直と、本当の意味での非常時にのみ稀に呼び出される宅直があります。ただどちらも今回の判決での条件を満たせば勤務である宅直になる可能性があります。多忙な宅直はさておき、暇な宅直であっても同じ勤務として扱われても不思議ありません。

労基法について語るのも最近怖いのですが、労基法の勤務時間は個人的に2つの時間に分類されると解釈しています。

  • オンタイム
    1. 正規の勤務時間(時間外勤務を含む)
    2. 労基法41条3項に基づく当直時間
  • オフタイム(休憩時間を含む)
オフタイムかそうでないかの違いは使用者の拘束があるかないかで判断され、拘束があれば勤務時間ないし当直時間として給与が支払われる形です。労働時間の分類が正規勤務時間と当直時間しかありませんから、宅直が勤務として認められれば自動的に正規の勤務時間になるような気がします。これについては何か通達と言うか、判例みたいなものがあり、別種の定義も出来たような気もするのですが、探せ出せないので保留にしておきます。

ただそうなると、余り呼び出されない病院の宅直であるなら、労基法41条3項の当直よりお手当は多くなることになります。多分4倍ぐらいになると思います。これはさすがにどうかと感じない事もありません。とは言え訴訟の場となると労基法で多用される弾力運用で「まあまあ」はさすがにあまり通用しなくなります。医師の労働実態と労基法の乖離は壮絶なもので、労基法なんてものが入るとすぐに大騒動になるだけでなく、病院の経営悪化に拍車をかけます。


そこで現実的な妥協案を考えろとよく御指摘を受けますが、ちょっと思いついた事があります。ここまで書けば気が付いた人も多いでしょうが、労基法と医師の労働実態を近づけるために、実質の夜勤である当直の勤務時間化は絶対必要と考えています。そういう意味で今回の判決は評価しています。もう一つの宅直問題ですが、これを労基法41条3項に基づく当直にすればどうであろうかと言うことです。

宅直が労基法41条3項に基づく当直勤務であれば、拘束しても合法的なります。賃金も正規の1/3ですから、実際に病院で勤務するのに較べて明らかな差が出ます。もちろん呼び出されて勤務すればこれは正規の時間外勤務ですから、時間外手当は支払われます。従来より病院の負担は増えるでしょうが、これぐらいは病院側も歩み寄って欲しいところです。つまり、

  • 医療法16条の当直は勤務とする(労基法41条3項に適合するところは除く)
  • 宅直は労基法41条3項に基づくものとする
病院当直が労基法41条3項で可能であり、なおかつ宅直が必要なところは、病院当直と宅直で「時間給の1/3以上」以上の枠内で差を設ければ良いかと考えます。「時間給の1/3以上」は「1/3しか払ってはいけない」でなく、「1/3以上支払いなさい」ですから、1/2でも2/3でも時間給そのものでも良いわけだからです。

この妥協案も労働時間の最低限の建前上の正当化だけで、本当はと言うか、本来は36協定に伴う時間外勤務の上限の問題とか、宅直に労基法41条3項の適用が可能かとか、宿日直許可が可能としても当直回数はどうなるなどの、労基法に則れば無理な話を弾力運用で押しきり、基本的に現状の労働時間を受け入れると言う大幅な譲歩をしたものです。ただそれでも、この程度の勤務医の待遇改善を行なう余力もないぐらい病院の経営体力は搾り取られていますから、こんな妥協案でさえ夢物語なのが今の医療の現状のように感じています。