3周年

「何がって?」言われそうですが、開業してからです。思えば3年前は不安がテンコモリの船出でした。開業すれば絶対もうかる時代は過去の伝説となり、診療所倒産がさして珍しくなくなり、つぶクリなんて言葉が出ている時代ですから、期待でワクワクなんて状態からは程遠かったのはよく覚えています。

内装費が当初予想よりやや多くなったあおりで運転資金が最初からピーピー、そのうえ診療報酬は2ヶ月遅れで入りますから、最初の2ヶ月のほとんど収入がゼロに近かった時代は本当に苦しかったです。だいたい小児科にとって夏場は閑散期になりますから、落下傘開業という条件も重なって、まさしく閑古鳥外来であった事は記憶にも記録にも刻まれています。外来患者がゼロの日も何日かあり、10人以下と言うより5人以下の日が珍しくもない状態が3ヶ月以上は続きました。

閑古鳥外来の1ヶ月の集計を出して、「これがせめて1週間の数にならないと」と言ったら、職員の失笑を買った事もあります。当時の日常からすると余りに遠い目標でしたし、とても現実味のある話とは思ってくれなかったようです。無理もない話です。当時の時間の余りようは、診療所のHPのCoffee breakを1日で書いてしまうぐらい暇でした。Coffee breakは7作目ぐらいから長編化してきたんですが、長編化しても1週間もあれば余裕で仕上がり、ものの2ヶ月ぐらいで10作まで書いてしまいました。それぐらい書き物に専念する時間が溢れていたという事です。

二年目の夏も暇でした。あの夏に熱中していたのはペーパークラフト。ネットからダウンロードして作っていたのですが、機関車のような複雑な作品が半日で出来上がるぐらい時間が余ってました。玄関脇の飾り窓のディスプレイも製作時間があまるほどあり、海を作り、空を作り、飛行機を舞わせ、陸地には街を作り、電車を走らせ、配線をして電飾で飾るぐらいは余裕の時代でした。

そんなかんのはありましたが、無事4回目の夏がやってきした。まだ潰れずに頑張っています。ゆっくりですが尻上がりに伸びているようです。去年ぐらいからとりあえず潰れる心配だけはなくなってきたようです。これもすべて職員の献身的な業務への姿勢の賜物だと思います。本当に零細診療所には過ぎたスタッフが集まってくれていると思い、感謝の言葉しかありません。

このブログでは時に過激な論を飛ばしますが、日常の診療はベッタリ地面に張り付いたような仕事です。でも診療所の仕事はそういうところに価値があると信じています。そういうところがおもしろいのであり、私が一番やりたかった医療だからです。先端医療は刺激的でワクワクさせられますが、医療者の多くは末端医療に従事し、医療全体の底支えをしていると考えます。私も先端にいるより底の方で支えている方が性に合っているようで、後は体が動く限り続けていきたいと思います。

願わくば来年、4周年のエントリーが書けますように。