色分け社会への懸念

新年早々からこんな物騒な話題を出す事も無いのでしょうが、どうにもこうにも世相はその方向に進みたがり、何が怖ろしいかと言えばそれを容認する雰囲気さえ濃厚に漂う事です。去年ぐらいから流行し始めた「勝ち組」、「負け組」なる言葉、今度は「上流社会」「下流社会」だそうです。どれもこれも余り頻用して欲しくない言葉だと思うのは私だけの感想でしょうか。

世の中を動かすものは殺伐な表現で言えば「富」と「権力」です。他にもいろいろあるとの言い方はされますが、この二つが大きな役割を担っている事だけは間違いありません。少なくともこの二つを無視して語ることは大変難しいとは言えます。

世の中が安定するには権力と富がある程度分散している事が重要です。一極集中してしまうとすこぶる安定を欠く事になります。富と権力が一極に集中してしまう時に何が起こるかですが、大多数の持たざる者から少数の持てる者への反逆が起こります。簡単に書いてしまえば暴動からの革命騒ぎです。そういう芽を育てる温床となるのが、富と権力の一極集中です。

富と権力が一極集中した世界は一見すると非常に強力な統治体制に見えます。ただし内実はそうではなく、これを強力に行なった国は、ブルボン王朝のフランスもロマノフ王朝のロシアも悲惨な革命騒ぎで倒壊しています。一方で巧みに権力と富を分散させたイギリス王室は今でも健在です。日本の皇室もこの延長線で考えると連綿と続いている理由が分かる気がします。

今の日本には閉塞した気分が充満しています。そのモヤモヤした気分の突破口を求める気分が年々強くなっている気がします。小泉自民党があれだけ総選挙で圧勝したのも、小泉改革が何か突破口を開いてくれる期待感を感じ取ったからではないかと考えています。では突破口の広がる先にある世界はどんなものなんでしょうか。

おそらく小泉首相でさえ確固とした未来図をどれだけ描いているかは疑問です。ここ2年ほどで上場企業の収益は劇的に改善したそうです。一昨年が70%、去年でも20%以上だそうです。一方で企業の売り上げは2%も伸びていないそうです。売り上げが伸びずに収支が改善したカラクリはリストラによる人件費の極度の抑制です。リストラの波はまず正社員の数を限度越えて削り、削りすぎて業務に支障が生じたところは非常勤や派遣社員で構図だそうで、この割合は1/3を越える時代になっているそうです。

リストラの結果蓄えられた企業収益はまず不況時代の負債の返済に充てられ、次にさらなる収益の拡大のための設備投資に向けられます。これまではようやくその次ぐらいに従業員への富の分配となる図式であったはずですが、富の分配にあずかれるはずの正社員はかつてとくらべ大幅に減っています。

給与に富を再配分する割合が減ったので、それにより生じた余剰資金はどこに向かっているか、株式を始めとする投資です。従来であれば従業員に回って消費意欲につながっていくはずの資金が、一部のマネーゲームの勝者に転がり込んでいるのが現在の経済情勢であるとは見すぎでしょうか。つまり資本主義経済における富の再分配構造に目詰まりを起しかけていると考えます。目詰まりを起した部分に群がれる人は「勝ち組」「上流社会」を形成し、ほとんどの一般人には縁遠くなってしまっていると言う事です。これはかなりイビツな社会構造ではないのでしょうか。

資本主義という体制は放置すると弱肉強食の殺伐とした社会になりやすい性質があると考えます。企業は営利目的のために激烈な競争を行ないます。競争の究極目標は、当該市場を一社で占めてしまい、独占的利益を享受することになります。かつてはそうなった時代もあり、そんな時代背景から共産主義理論も誕生したのではないかと考えています。行き過ぎた資本主義体制から移行するはずの共産主義体制ですが、これが理論どおりに推移しなかった理由は長くなるので置いておくとして、資本主義体制もその害悪となる部分を抑制するためのシステムを次々と構築してきたはずです。

資本主義体制による富の再配分の方法は、ひとつは国家が税金をその利益から徴収し再配分する機能です。もう一つは企業が従業員に給与として利益を配分する機能です。ふたつは連動しており、企業は利益を過分に溜め込もうとしても税金と言う再配分機能が働くので、税金で召し上げられるより従業員に配分しておこうとする動機になるとも言えます。そういうシステムが巧妙に出来上がっていたから、従業員は会社のために働き、働いた事により会社が得た収益は、直接の給与または税金による再配分で還元されてくると言う信頼感で社会が安定していると見れます。

そのお金の流れがどうにもおかしな方向に捻じ曲げられつつあるように思います。世の中の資金の還流構造に異変が生じ、働いた人に本来回るべきお金の相当な部分が、ごく一部の人に集まるように変わりつつあるような気がします。変わった結果、新しいお金の流れにありつける一部の人間にのみ富が集積する社会構造に変化しつつあるように感じます。

そのうえ私が一番怖いのはそういう構造の変化を受け入れる気分が出ていることです。イビツであるから是正しようではなく、イビツなものをそのまま受け入れ認めてしまおうと言う風潮です。富を享受して持てる者の階級と、持たざる者の階級の社会の構築を容認する気分です。おそらくその延長線上の発想でしょうが、社会の導き手になる超エリートを育成して愚かな大衆はその指導によって暮らすのが日本の繁栄につながると言う理論です。

一見もっともらしい様にもみえますが、その結果生じる社会は富と権力の一極集中世界です。そういう社会体制を持った国家がことごとく滅亡した歴史を知らないのでしょうか。富をある程度分散し、権力も分散構造にあるほうが、一見頼りなさそうに見えても安定社会を築く最重要ポイントであることを知らないのでしょうか。

勇ましそうな小泉首相のもとに蠢く連中は、どんな未来社会を描いているのかに私は十分な信用が置けない気がしています。たしかに「ぶっこわす」としつこいぐらい呼号していますが、「ぶっこわした」後の日本をどうするかについてのビジョンを聞いた気がしません。「改革を断行する」そうですが、断行した後の社会像を聞いた事もまたありません。今年はその後のビジョンを見せられる年になりそうです。どんなものを見ることになるのか、あまり明るい希望を抱き難いのが本音ですが。