減点主義世界の医療

非常時に便乗する人の話のつづきの非常時にのみ強い人が出てくる状況さらにつづきです。前回の割愛分をやはり書いておきます。これは前回の時にまとめたものですが、

  • 平時に強い人


      減点主義の世界でコツコツ成果を挙げられる人。ないし減点主義でボロを出さない様に立ち回れる人


  • 非常時に強い人


      非常時の程度によって許されるリスクを見切り、それなりのリスクを背負いながら動ける人


  • 非常時にのみ強い人


      リスク感覚の次元が違い、生き残るためのイチバチ勝負が出来る人
moto様のコメントに、

わたしは、分類に当てはめると「非常時に強い人」かなあ。リスクがないと、退屈で耐えられない気がするけど、あんまり大きなリスクは大嫌いっていうか、絶対近寄らないし・・。
医者で分類すると
平時に強い人→内科
非常時に強い人→外科
非常時にのみ強い人→救急科
でしょうか?

これはこれで面白い意見だったんですが、私はもう少し違う事を考えています。新研修医制度に変わってからの現場をしらないので置いておきますが、それまでの医師養成教育システムは「非常にのみ強い人」を養成を目指していたんじゃないかと思っています。もちろん目指したからと言って全員が「非常時のみ強い人」になれるわけではありませんが、医師たるものの理想像として常に掲げられていたです。ですから、

    あんまり大きなリスクは大嫌いっていうか、絶対近寄らないし・・
この程度の事でも真顔で言おうものなら大変で、間髪入れずに「医師たるものは・・・」式の教育訓話が止め処もなく湧き出し、教育訓話でも屈さなかったものは医師仲間でも「変わり者」「変人」のレッテルが速やかに貼り付けられたです。新人教育ではそういう医師は反面教師として位置付けられ、「ああはなるな」とされるぐらいと言えば良いでしょうか。

何度かかつての医師教育システムは鉄人医師養成システムであるとしてきましたが、「鉄人 ≒ 非常にのみ強い人」としても良さそうな気がするのです。鉄人医師は24時間365日の勤務を屁とも思わない強靭さを一般的には指しますが、よく考えると24時間365日を屁とも思ってはならない仕事環境・生活環境自体が平時とはとても思えません。

24時間365日の環境自体が非常時であり、そういう環境を平時と感じるのは「非常時のみ強い人」である一つの傍証です。歴史転換期に出現する「非常時のみ強い人」とニュアンスが少し異なりますが、平時とは違う異常な環境で能力を発揮する事では共通点があるように考えています。


「非常時にのみ強い人」は平時感覚のリスクを平然と冒します。感覚としてその程度のリスクはリスクとは思わないと言う事です。ただそういう仕事振りは、大きな成果を得る可能性もある代わりに、大きな失敗を起こす危険性も付いて回ります。本当の非常時なら失敗があっても、これを挽回できる成功を収めれば帳消しに出来る得点主義の評価世界です。

かつての医療は得点主義の評価世界の部分があり、トータルとして得点が多ければ失点に関しては帳消しと言う意識は濃厚にあったと感じています。ところが医療界にも平時感覚の減点主義が滔々と流れ込んでいます。減点主義の世界では「出来て当たり前、失敗はすべてを失う」で減点はあっても得点はまずありえない世界になります。減点ゼロが評価の極みみたいと言えば良いでしょうか。

平時の減点主義の世界では「非常時のみ強い人」は住み辛い環境になります。成功のみを続ければ良いのですが、減点主義世界では成功は有効な得点になりませんから、どこかで確率的な失敗を行っただけで致命的な減点を喰らう事になります。


医療崩壊と称される現象の原因の中に、医療の評価が得点主義から減点主義に変わった部分はある程度以上にありそうな気がします。減点主義世界になれば、これに適応するのは「平時に強い人」になります。せいぜい「非常時にも強い人」ぐらいまでが適応できる限界です。医療の評価が変われば、そこに従事する人間は評価に応じて変わるのは当然の事でしょう。

さてこの「平時に強い人」は非常時環境には適合しません。「平時に強い人」はあくまでも平時で能力を発揮する人であり、非常時環境に放り込んでもうろたえるだけの存在になります。当然の事ですが仕事環境・生活環境も平時である事を望み、平時にする様に環境を変えていきます。そうしないと棲息できないからです。

現在の医療は、医療の評価が平時の減点主義世界になっているにも関らず、仕事環境・生活環境は従来の非常時体制を強いている点だと見ることが出来ます。そういう体制に無理があるのは当然で、あちこちでキシミをギシギシと鳴らしています。

非常時と平時では状況が様々に違う点がありますが、ごく簡単には平時の方が体制的に手厚いものが必要です。平時は失敗が基本的に許されない減点主義世界ですから、要求される体制は失敗を少なく出来る勤務環境です。非常時のように、少々の失敗を織り込みながらの得点主義でカバーの様な粗雑な体制は許されないと言う事です。


現在の医療の問題は、非常時体制でギリギリで回していた医療を平時医療に転換する点になります。しかし転換するにはマンパワーが決定的に不足しています。マンパワーの不足を補うには非常時体制を継続しながらの平時評価の医療と言う事になります。机上ではそうなりますし、現実の医療政策もそうなっていますが、そんな矛盾する環境は働く者にとってはリスクばかりの職場にしかならなくなります。

どんな非常時的スローガンを掲げられようが、身の破滅は誰でも嫌ですから、少しでも平時医療に近いところに医師は集まります。剥き出しの非常時医療体制のところは自然に忌避されるわけです。


医療崩壊とは非常時感覚から平時感覚の医療体制に代わる現象みたいな気もしてきています。ま、今はそれでも非常時感覚の医師が中堅以上にまだまだ残っています。彼らが現場を必死で支えているので持ちこたえていますが、10年もすれば中堅層も入れ替わってしまいます。平時感覚の医師が主流を占める時代はもうすぐです。

その時代は確実に私が現役中に訪れますが、厄介な時代に医師をやっているものだと嘆息しています。この歳で激しく変化していく医療への適応を行わなければならないのは、どう考えても決してラクではなく、もう少し若いか、もう関係ない歳であったらと思うばかりです。