厚生労働省での東日本大震災に対する対応について

マスコミ・ソース

7/23付NHKより、

厚生労働省は、東日本大震災が発生した直後の対応を検証した報告書をまとめ、病気の人やお年寄りに避難のための移動が原因で亡くなった人が出たことを教訓として、今後は、避難に医師が付き添えるよう対策をとる、などとしています。

厚生労働省は、東日本大震災が発生した直後の対応を検証するため、東北地方の出先機関などから聞き取り調査を行い報告書をまとめました。

それによりますと、福島県で、病院の入院患者が長距離の移動を余儀なくされ避難が遅れたことから合わせて数十人が亡くなったことや、介護が必要なお年寄りについても、避難のための移動によって過重な負担がかかり亡くなる人がいたことなどを反省点として挙げています。

そのうえで、今後、災害が発生した際の病気の人やお年寄りの避難について医師が付き添えるよう、厚生労働省として対応をとるとしているほか、どこに避難してもらうのか搬送先の病院や福祉施設を、あらかじめ決めておくよう、自治体に求めるとしています。

また、被災者への義援金の支給が遅れたのは、「り災証明書」の発行に時間がかかったのが原因だとして今後は、証明書の発行を待たずに義援金が支給できないか、検討するとしています。

厚生労働省は、報告書の内容を、今後の災害対策に反映させることにしています。

医療についてを注目します。厚労省が問題点としたのは、

  • 病院の入院患者が長距離の移動を余儀なくされ避難が遅れたことから合わせて数十人が亡くなったこと
  • 介護が必要なお年寄りについても、避難のための移動によって過重な負担がかかり亡くなる人がいた

確かにそういうケースがあったと報道されていました。ではどうするかなんですが、
  • 今後は、避難に医師が付き添えるよう対策をとる(今後、災害が発生した際の病気の人やお年寄りの避難)
  • 避難してもらうのか搬送先の病院や福祉施設を、あらかじめ決めておく

会議室の中では解決案かもしれませんが、東日本震災を教訓とするにはエライ短絡的に見えなくもありません。そこで記事にある報告書で確認してみたいと思います。


厚労省の報告書

平成24年7月付厚生労働省での東日本大震災に対する対応について(報告書)が記事のソースです。この報告書は患者や高齢者の避難や義援金だけを報告したのではなく

  1. 厚生労働省の対応体制(本省と出先機関地方自治体との連携体制、原子力災害対策本部及び原子力災害現地対策本部への対応、広報のあり方等)
  2. 医師、看護師等の被災地から求められた人材の確保等
  3. 高齢者・病人・障害者の避難所等への移送(東電福島第一原発警戒区域、避難指示区域からの区域外大規模搬送を含む。)、避難所等への必要な医薬品、医療機器等の配備
  4. 義援金の早期配分
  5. 心のケアを含めた子ども・子育ての復興
  6. 雇用の復興(雇用創出基金事業の成果の検証等)
この6項目について検討報告されています。ただ全部やると長すぎるので、NHK記事にならって
    高齢者・病人・障害者の避難所等への移送(東電福島第一原発警戒区域、避難指示区域からの区域外大規模搬送を含む。)
ここに絞って読みます。まずは「主な対応」として実際に行われた事ですが、これも全部引用すると長いので表にまとめてみます。そうそう検討課題にされたのはNHK記事にもあるように福島のケースです。

日付 事柄
3/14 厚生労働省災害対策本部の中に医療グループ・患者移送グループが結成
3/18 社会・援護局障害保健福祉部が要援護障害者(児)の長距離大規模搬送の調整を開始した
3/21 医療グループ・患者移送グループはこの日までに、約700名の患者を広域搬送した。
3/22 広域搬送後にさらなる転院のために医政局は、被災県以外の都道府県に対し、転院希望患者に係る受入調整担当窓口の設置を依頼
3/23 老健局が被災した施設や避難所からの広域的な避難搬送、被災地への応援職員の派遣の調整を行った


こういう対応を厚労省を行ったのですが、これに対する「課題・反省点」として、

  1. 発災直後に、上記(1)アの患者移送グループと医政局が、同じ県の県庁や医療機関等に類似した問い合わせを行ったので、受信側の負担が大きくなったこと、
  2. 要介護高齢者の広域的な避難搬送に当たり、速やかな避難が優先されたため、要介護高齢者に過剰な身体的負担がかかり、死亡者が出た事例が生じたこと、
  3. 障害者(児)の集団的避難先の中に医療福祉と全く関係のない施設があったが、避難者の受け入れについて県や市の許可が必要となり、時間がかかったこと、
  4. 福島県双葉郡大熊町にある双葉病院グループで、避難の遅れやバス等での長距離避難等で容態が悪化した患者・高齢者等、数十人が亡くなったこと、
  5. 福祉避難所について、被災者数に比して必要な福祉避難所の数が不足し、また支援に必要な人材や資機材(ベッド、車いす等)が十分では無かったため、福祉避難所としての機能を十分に果たせない事例が少なくなかったこと

ここの「上記(1)アの患者移送グループ」とは厚生労働省災害対策本部が管轄ですが、これと医政局が別々に活動を行なったとなっています。この辺は官僚独特の縄張り争いなのか、縦割りの連携不足なのかはわかりません。ここももう少し管轄の変遷を見ると、

搬送段階 管轄
避難地域からの広域搬送 厚生労働省災害対策本部
広域搬送からさらにの搬送 医政局


東京でどんな管轄争いが行われていたかは知る由もありません。もう一つ気になったのは、
    速やかな避難が優先されたため
あの時点の情報でノンビリ避難の選択はどんなもんだろうの感想はあります。当時の情報では「居るも地獄、動くも地獄」みたいなものと想像しますが、なかなか微妙な評価です。この「速やかな避難の優先」が否定的に書かれた後に、
    双葉病院グループで、避難の遅れ
たぶん「地域によって」みたいな言葉が抜けていると思うのですが、最終報告書ですからねぇ。でもって今後の対応策になります。これも全部は長いので一番ポイントになりそうなところだけ引用します。

  • 今回、東電福島第一原発の事故対応で明らかになった通り、入院患者・要介護高齢者・要援護者を同時に緊急避難させる場合、医師等が付き添う、安全な搬送手段を確保する、避難に伴う負担を最小限に抑える等、共通した要注意事項があると共に、資源が競合する要素もあるので、厚生労働省としては、災害対策本部が中心となって、部局横断的な対応をする。
  • 双葉病院グループのような悲劇を繰り返さないためには、平時に受入先の事前調整(協定の締結等)を行うよう、地方自治体等の関係機関に求める。

入院患者(施設入所者)に対して、医師が船で言う船長みたいな責任を負う事は、ある程度異論はないと思います。なんのかんのと言っても、それは医師の責務であり倫理でもあるからです。問題になった双葉病院でも医師はその責任を果たそうと尽力しています。ポイントは医師の付き添いではなくて、

  • 安全な搬送手段を確保する
  • 避難に伴う負担を最小限に抑える

これを外部がいかに早急に調達できるかでしょう。被災施設は自力では脱出が困難です。患者も病状はピンキリであり独歩可能な者から、臥床のままで医療支援無しでは生命も危うい患者までおられます。なんと行っても平常の1人や2人の搬送ではなく、集団搬送ですから大量のマンパワーと輸送手段の提供が欠かせません。無ければ動けないです。それと、
    双葉病院グループのような悲劇を繰り返さないためには、平時に受入先の事前調整(協定の締結等)を行う
事前協定が無駄と言う気はありませんが、福島を想定するのなら、相当遠方の施設との事前協定が必要です。近所なら共倒れです。それと1ヶ所と協定を結んでもさほどの効果があると思いにくいところがあります。理由は単純で、被災施設の患者を丸ごと受け入れられる施設はそうそうはないです。現実もそうですが、余力のあるところに分散して収容にならざるを得ないです。

ま、いずれにしてもこういう方針が決まると、避難時に医師が避難者何人に付き1人必要とかの規定作りとか、避難協定の締結率が何%かのチェックみたいな方向にベクトルが動いていくのだけは容易に予想されます。


感想

これでも私は阪神大震災の経験者です。あれから17年経ち阪神当時より情報網の整備は進んではいると思っています。しかしそれでも東日本震災では被災地からの情報不足、被災地への情報不足は阪神同様に起こっていたと見ています。それぐらい被災直後の情報は混乱するものです。

平時の会議で出される防災対策の前提は、中央である東京は健在で、被災地の自治体もまたまた健在。そこから粛々と情報が上がってくる前提で物事を考えがちです。仕方がないといえば仕方がないのですが、大抵はその路線で構築されていきます。しかし現実にはそうは問屋が卸さないケースは多々あると思っています。とくに被災直後の数日はそうです。

中央統制型の情報網は、何段階かの情報ステップのどこかが滞れば麻痺します。それこそ担当者の○○の承認がないと上にステップアップしない感じです。しかし大規模災害では現場に近くなるほどそういう伝達機能は麻痺しやすくなります。ですから現場からの情報伝達は単線ではなく複線化、それも幾つものルートがある方が望ましいのではないかと思っています。

場合によっては途中のステップを飛ばして上に登る迂回ルートみたいなものです。状況がそれなりに落ち着けば一本化していけば良いので、超早期の混乱期にはとりあえず上に情報を昇らせる点を重視すべきのように思っています。そういう時期には情報の質より速度・量を重視する考え方です。それと下からは複線で情報を登らせるにしても、中央は完全に一本化するのが必要です。中央は複数ルートの情報を元に、その時点での最善策を考えるです。


ごく簡単には現場からは幾つものルートで情報が上るのに対して受け手は一つみたいなシステムです。ところがいつもいつも思うのですが、中央は常にバラバラです。最初はどこが受け皿か不明で、時間が経てば○○緊急対策会議、××省、△△緊急委員会など、バタバタと立ち上げた臨時組織と、既存の組織が権限も境界も曖昧に並立状態になります。現場からの「救援頼む」の情報は、中央の適切な部署に現場が間違わずに届けなければならない様になっているように見えます。

中央がそういう状態になりますから、現場からの情報はどうしても単線ルートに乗せないと「正しい中央」に届かない状態になるとすれば良いのでしょうか。そりゃ、前線に近いほど中央のどこの部署が適切に対応してくれるなんて知りようがないです。現場は現場でテンテコマイだからです。

これは中央がラクするように被災地の現場に負担をかけているように見えて仕方ありません。余裕が無いのが被災地の現場であり、余裕があるのが中央のはずです。余裕のある中央はとにかく情報を拾い上げて、これを中央の適切な部署に振り分ける作業を行うべきだといつも思っています。

そりゃ、そんな事をすれば玉石混合の悲鳴情報ばかりになり、中央が適切な判断を下せなくなるという意見もあるでしょうが、被災地の現場が中央に判りやすいように情報を整理する役目を負わされるのも変と思ってしまいます。私の案も長所ばかりではありませんが、とくに被災直後は硬直した情報収集システムでなく、もう少し柔軟性を持たせられないかです。これは情報だけでなく対応全般もです。


あの双葉病院にしても、病院自体からの情報発信は無理になっていたとしても、救援部隊が一度は到着しているのです。現場を見た救援部隊が臨機の処置が取れなかったのは、臨機を行う許可情報ルートが糞詰まっていたのも少なからぬ原因と考えています。そういうあたりを教訓としてシステム構築を検討すべきと思っているのですが、平時に戻ると、

    双葉病院グループのような悲劇を繰り返さないためには、平時に受入先の事前調整(協定の締結等)を行う
これだけで総括されてしまうあたりに会議室の限界を感じてしまいます。これは縦割りの厚労省担当部分の問題点の指摘と解決だけと言うわけです。これも報告書にあるのですが、

関係省庁、地方自治体及び関係団体(以下「関係省庁等」という。)との間で緊密な連携を図る必要が生じた。今回の震災対応を踏まえ、関係省庁等との連携という観点からも、厚生労働省防災業務計画等を見直し、必要な改定を行う。

省庁間の緊密な連携ではなく、省庁の壁を破って一元的に統括し迅速に対応できるような中央の体制構築が本当は必要ではないかです。とは言うものの、臨時システムは組織図では既存省庁の上に居ても、実質は既存省庁の官僚が動かしますから、言うは易しになるのだけは確実です。となると今回の報告書程度のお話でお茶を濁すのがお約束の様な気がします。


システムと人の関係

これ前にやった人間の分類です。

  • 平時に強い人


      減点主義の世界でコツコツ成果を挙げられる人。ないし減点主義でボロを出さない様に立ち回れる人


  • 非常時に強い人


      非常時の程度によって許されるリスクを見切り、それなりのリスクを背負いながら動ける人


  • 非常時にのみ強い人


      リスク感覚の次元が違い、生き残るためのイチバチ勝負が出来る人
システムの整備は大事ですが、所詮はヒトが動かすものです。とくに大震災時対応なんて、ある程度のマニュアルがあっても不測の事態の連続にどうしてもなります。ヒトと言う観点から言えば、「非常時にのみ強い人」がトップとして君臨していれば既存のシステムで対応してしまうと言えます。既存のシステムで対応すると言うか、持ち前の破壊力で省庁間の壁をぶち壊しながら対応してしまうと言えば良いでしょうか。

逆に「平時に強い人」がトップに座っていれば、どんなシステムを組もうが効果は乏しくなると予測します。「平時に強い人」は非常時にうろたえるだけでなく、うろたえながらも平時ルールの死守に全力を尽くしてしまうからです。これは悪口ではなく、平時ではそうするのが良いのですが、平時ルールのまま非常時に強引に対応しようとするのが「平時に強い人」の特徴だからです。

ではシステムが有効なのはどんな時かと言えば、「非常時に強い人」がトップになった時かと考えます。非常事態対応に生じるリスクをシステムとして吸収してくれれば、「非常時にのみに強い人」に近い能力を発揮してくれる事が期待できます。「非常時に強い人」も基本は「平時に強い人」と似たところはありますが、責任リスクの考え方で差が出るように考えています。

「非常時のみに強い人」はリスク感覚自体が異次元ですが、「非常時に強い人」も「平時に強い人」もリスク感覚自体はノーマルです。どちらも責任リスクを気にするです。そこでシステムが責任を負ってくれる状態になった時に、「平時に強い人」はそれでも平時ルールに固執するのに対して、「非常時に強い人」は責任リスクのタガが緩んだ分を見切って働いてくれるです。

非常に大雑把な見方ですが、上記3種類の人間の出現比率は、

    平時に強い人 >>> 非常時に強い人 >> 非常時にのみ強い人
上述したように「非常時にのみ強い人」がたまたまトップに君臨してくれれば良いのですが、震災は平時に突然に起こり、「非常にのみ強い人」がトップに君臨する事はまずありえません。「非常にのみ強い人」は平時ではうだつが上らないのが特徴ですから、被災現場レベルで活躍する可能性はあっても、とても中央のトップに近づけないからです。

ここで「平時に強い人」がトップに座ってしまえばどうしようもありませんが、「非常時に強い人」がトップにいればシステムが優秀であれば優秀であるほど成果が得られます。「非常時に強い人」は平時でも優秀なことが期待できますから、トップになる可能性はありえるです。だから優秀なシステムを作っておく価値は十分にあります。

ただ問題はシステムは平時に構築されます。平時の主導権は圧倒的多数派の「平時に強い人」であり、その感覚で危機システムを作ってしまいますから、その点は如何ともし難い点があります。たとえば、避難時に医師が付き沿うにしても、そもそも通常はそうするものですが、ルール化されれば、

  1. 避難に必要な医師数、看護師数が充足していない状態の避難は不可
  2. 安全な搬送手段、確実な搬送先が確保されるまで避難は不可
てなものが出来上がり、これを破って問題が生じれば管理監督責任みたいなものが出てくる気がします。事態がそれを許さないの主張は、平時に作った平時感覚の「非常時ルール」に縛られていくです。これが「平時に強い人」が作る非常時対応組織とすれば言いすぎでしょうか。そう考えれば世の中「そうは期待出来ない」てなところでしょうか。もうちょっと楽観的に考えたいのですが、なかなか難しそうに感じています。