非常時に便乗する人

世の中には非常時に強い人と言うのがおられます。修羅場に強いタイプとも言えますが、ちょっと違う感じで、混乱時にのみ活き活きとその能力を発揮するタイプです。混乱と言ってもタダの混乱ではなく、大混乱と言うか動乱の時代にのみその真価が現れるタイプです。幕末で有名なのは長州の高杉晋作なんかはそうだと言われていますし、土佐の後藤象二郎なんかもそうかもしれません。ある意味、西郷隆盛なんかも該当しそうな気はします。

こういう人物は平時には目立たない燻った存在であったり、下手したら破天荒な生活で身を持ち崩したりします。幕末の3人の例を挙げましたが、唯一長生きした後藤象二郎が典型で、維新の元勲に並びそうな存在であるのに、残された明治での逸話は手のつけられない暴走機関車として、誰もが手を焼くだけの無用の人になってしまっています。

平時になって世の中が収まってしまうと、その能力を活かす場所がどこにもない才能の持ち主と言えば良いでしょうか。

3月の震災も一種の非常時ですが、残念ながら指導者クラスでは「非常時に強い人」は出てこなかった様に思います。人知れず存在したかもしれませんが、私の知る範囲では登場しななかったように感じています。これはまだ非常時に強い人が能力を発揮するほどの混乱状態で無かったためかもしれませんし、そういう人物が日本で枯渇しているためかもしれません。


さて、震災直後の人々の心理状況は一言で言うと強い不安心理です。かなりの強さの不安心理で、不安を打ち消すような情報には拒絶反応を示し、不安を助長させる情報に親和性を強く抱く状態です。自分の不安感情を満足させる不安情報に満足するみたいな状態で、満足しても安心することなく、さらなる不安情報を探し回るような状況と言えば良いでしょうか。

私だってそうでなかったとはとても言えませんし、そういう不安を助長させるような情報発信と完全に一線を画していたかと自信がありません。誰しもある程度の不安情報を求めていたと思っています。不安が不安を求める一種のパニック状態と言うか、ヒステリー状態の時期は確実にあったと思っています。

とくに今回は強烈な津波被害だけではなく、原発事故問題も起こり、原発事故については現在ですら後処理が延々と続く状態になっています。津波被害も加えた地震被害だけなら強い不安状態から醒めていくのはまだしも早かったと思いますが、原発事故問題は不安心理を長く引っ張る要因に確実になったと考えています。


長く続いた不安状態ですが、それでも漸く平静さを取り戻しかけていると感じています。誰もが不安状態が強いときには、それなりに不安を助長させる情報発信は行なっていたかと思います。あれは自分の不安を満たすために、不安情報を書かざるを得ない心理状態であったからだと考えています。しかしそういう人々は平静さを取り戻すに連れて落ち着いて行っています、

かなりの人々が震災前とは言えないかもしれませんが、かなりの平静さを取り戻して時点において、浮き彫りになった一群の人々がおられるように感じています。それらの人々は震災前でもそれなりに名のある人たちです。平時でも一種の斜に構えた意見の持ち主で、それなりの評価を得ていたと記憶しています。そういう一群の方々人々が震災を契機に水を得た魚の様に大活躍を始めます。

不安心理のツボを突く刺激的な意見を次々と発表し、文字通り世間の注目を浴びます。もちろん、そのすべてがガセとかデマと言う訳でなく、正しい部分もきっとあったと思いますが、それより何より人々が求める不安感情を満たすに十分な刺激的な内容を矢継ぎ早に繰り出して行っていたと思っています。一時は時代の寵児みたいな状態であったとしても言いすぎではないと思っています。


一群の人々にとって幸いであったのは、不安の題材が放射能と言う「怖い」事だけは知れ渡っていても、実体と言われると知らない人が多いものであった点も大きかったと思います。一時は「放射能は怖い」とさえ書けば、だれでも「そうだ、そうだ」の大合唱となるぐらいでしたからね。これに対して「そこまで怖がる事はない」「正しい怖がり方がある」みたいな意見は袋叩きにされていました。

それでもそこまでの強い不安心理であっても、それでも人々は徐々に醒めていき平静さを取り戻します。一群の人々は、醒めていく不安心理を逆に掻き立てる様な刺激で対応していたと思います。醒めるのと、刺激のアップは反比例し、しばらくは奇妙な平衡状態を保っていた時期もありましたが、ついに醒める時期が来ます。

そうなった時に無闇に刺激を強化していた一群の人々が完全に浮き上がってしまったと言えると見ています。


彼ら一群の人々は、ここに至っては震災不安から抜け出られない人とは言えないと考えています。そういう人も含まれているかもしれませんが、本態として完全に違う感覚の人々だとする方が宜しい様に感じています。彼らは「非常時に便乗する人」ではなかったかと言う事です。震災による不安状態で最高の能力を発揮できる人ではありますが、その実態は不安を食い物にしている人です。

その傍証として、周囲の状況変化に付いていけません。いかなる状態でも便乗できる人なら、周囲の状況の変化を素早く読み取って変化に合わせることが出来るはずですが、彼らは不安状態が醒めても、同じ手法で押しまくるしかしません。彼らが活躍できる環境の狭さを示していると考えます。

おそらく今後は急速に支持者を失い、それでも残るカルト的な狂信者のみで閉じたカテゴリーを構築していくのじゃないかと予想しています。これも震災を彩った一つの風景であり、また風景の終焉が近づいているのだと思っています。一種の徒花みたいなものでしょうか。

非常時には平常時と違った能力が求められます。その時に平常時も非常時も変わらず強い人、非常時には弱い人・混乱する人、逆に非常時には強い人と出てくる事になりますが、非常時に妙な能力を発揮する人も確実に存在する事も確認できた様に感じています。その能力が光彩を放った時期から平常時の活躍を見直せば、少し面白い人間観察が出来るように思っています。