まずは11/22付猪瀬直樹Blogより、
「3月11日まで、我われは間違っていた。地震があったら帰宅すると考えていた。東北では“津波てんでんこ”(めいめい逃げろ)という伝承があるが、首都直下地震の場合は逆である。無意味に移動するな、だ。そのためには行政だけでなく民間企業でも3日分72時間の備蓄をする必要がある」
一種の逆転の発想と評すれば良いのでしょうか。地方都市と違い首都東京ともなると、震災が発生しても到底帰宅は困難であるとの結論に達したと考えます。帰宅困難者の試算は猪瀬氏のブログに掲示されている3/11の時のものもありますが、これに合わせて首都直下地震の被害想定(概要)もまとめて表にして見ます。
地域 | 帰宅困難者数 | |
3/11調査 | 首都直下地震の被害想定 | |
東京都 | 約352万人 | 約390万人 (うち23区320万人) |
神奈川県 | 約67万人 | 270万人 (ただし1都3県の試算) |
千葉県 | 約52万人 | |
埼玉県 | 約33万人 | |
茨城県南部 | 約10万人 | |
合計 | 約515万人 | 約650万人 |
まあ物凄い数で、500万人とか600万人と言えば、我がのぢぎく県民すべてに匹敵にするような膨大な数になります。これを公共交通機関が停止し、道路も寸断、もしくは渋滞で麻痺した状態で運送するなんて「不可能」の結論に達してもおかしくありません。命令指示系統・情報伝達系統もとくに震災当日は大混乱なのも容易に想像がつきます。
帰宅するための手段がない状態で無理に帰宅しようとすれば、かえって大混乱が起こりますから、むしろ「動かない」にしようの発想と理解すれば宜しそうです。この動かない期間ですが、
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3日分72時間の備蓄
これも震災被害の規模にもよりますが、3日で公共交通機関がどれぐらい復旧するかは難しい予測です。ただ震災当日に強行帰宅するよりは、ある程度の情報が入手できてから帰宅を目指す方が「マシ」との判断も含まれているとは思います。
冷静な判断としては間違っていないと思いますが、被災者心理を冷静な判断で抑えられるかどうかはまず疑問です。これでも私も被災経験者ですが、震災直後の心理は特殊です。たとえ身の回りの被害が少なくともどこかで舞い上がっています。一種の異常興奮状態で、とりとめもない事を次から次へと気になる状態になります。
個人差はあるとは言え、新しい不安情報に次々に振り回される過敏な心理状況に陥ります。流言飛語、デマの類に安易に飛びつく状況になります。そういう中でとくに気がかりとなるのは家族の安否です。とにもかくにも家族の安否を確認したくなるのは人情だと思います。これを確認することが、震災後にとりあえず無事だった人の最初の行動になるかと考えます。
阪神の時と違い、携帯電話やメイルが普及した状態ではありますが、それでも震災当日にどれぐらいこれが使えるかは微妙すぎる問題です。なんと言っても首都東京の震災ですから、帰宅困難者だけではなく、それこそ全国、さらには世界中から安否確認の問合せが殺到します。これは個人の安否だけではなく、取引先の心配もあるでしょうし、行政関係の問いあわせ数も膨大なものになるのは容易に想像されます。
東日本大震災の時にはネットは奇跡的に機能を保ち、あの落ちやすいツッターが持ちこたえたのは驚異でしたが、首都震災でも持ちこたえられるかどうかは未知数です。やはり震災発生から間もなくの時期に使用不能状態になると考えるのが妥当かと考えます。
そうなると家族の安否を確認できない状態で会社籠城を強いられる事になります。震災時に人は異常心理に陥りやすいとしましたが、そういう状態の時にもっとも辛いのが何もせずに待つという事だと思っています。とにかく何か動いていないと落ち着かないです。また動かずに待っていると、考える時間が増え、不安心理が増幅されると言うのも確実にあります。
さらにを言えば、被災者心理は集団心理によりさらに増幅される可能性もあります。3日は長い時間と言う事です。
ごく普通に考えて、震災当日は会社籠城の選択は出来ても、翌日になるとなんとか動こうの巨大なモチベーションが出てくると思います。それこそ何十kmあっても歩いて帰ろうです。この辺は帰宅困難者の自宅への距離の問題もあるでしょうが、少々無茶な距離でも動き出してしまうのが被災者心理だと思います。また、こういう時の帰宅は本人的には計画的と考えても実質的には行き当たりばったりになります。つまりは行ける所まで行って、そこから考えようです。
・・・と心情論を力を入れて書いていたのですが、どうもそんな事もすべて織り込み済みのような気がしています。建前は建前ですが、本音はもっと違うところにあるとした方が良さそうです。どうも本音の本音は「トットと帰宅してくれ」と受け取れそうな気がします。えらい建前と違うのですが、首都震災が起これば避難所の設置が必要なんですが、そのキャパシティが大きなポイントであると見れます。
首都直下地震の被害想定(概要)の避難者データがその傍証で、
分類 | 震災当日 |
避難者総数 | 約700万人 |
避難所生活者 | 約460万人 |
疎開者 | 約240万人 |
帰宅困難者 | 約650万人 |
とりあえず避難所のキャパシティは約700万人分しか確保できないとなっていると考えます。そのうち避難所生活者は自宅が被災した都民と受け取れそうに思います。そうなると疎開者は帰宅困難者のために割けるキャパシティではないかと考えます。つまり帰宅困難者のうち約400万人の行き場がないと言うか、避難場所を提供できないのが基礎計算と言うわけです。
それだけのスペースを作り出すのが困難なわけですが、現実には発生します。屋外に放置するわけにもいかないので、何らかの対策を立てなければなりません。そこで出てきたのが会社と言う建物の有効利用です。会社員なら震災後も会社を避難所にしてもらえれば急場は凌げるです。東京は本社ビルが林立するところですから、400万人ぐらいは収容できるであろうです。
それと今回の想定は比較的狭い範囲の震災被害であり、帰宅が困難になるような遠距離通勤者の自宅自体は健在の可能性が高いと言うのがあります。自宅に帰るまでの時間稼ぎを会社がやってくれれば、震災直後の避難所のパンクを防止できると言うのが本当の狙いだと見ます。
ただし東京都が提供する避難所の様に、行政が手を回すことも無理です。あくまでも会社持ちの避難所であり、運用日数も数日程度のものを構想している事になります。数日でなぜにOKかと言えば、被災者心理として自然に巨大な帰宅モチベーションが発生するからだと考えます。止めたって振り切って勝手に帰ってしまうです。家族が心配で帰ると言う人を引き止められるものではありません。いくら東京都が、
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首都直下地震の場合は逆である。無意味に移動するな、だ
かなりと言うか相当現実的な計画の様に私は感じました。
少し視点を変えてみたいと思います。首都と首都以外で大規模震災が起こった時の違いです。首都の方が人口が圧倒的に多く、経済の中枢でもあるだけに被害が大きなものになるのはスケールから必然ですが、もう一つ違う点があると考えています。首都以外で大規模震災が起こった時の基本対応は、
- 震災直後の急場をとにかくサバイバルする
- やがて被災地以外から救援の手が伸びてくる
私も古いですが被災経験者です。私の経験なんて些細なものですが、震災は起こってみないとわからない事が多々あります。建物もそうで、地震に生き残れるか生き残れないかさえも実際に起こってみないと「わからない」と思っています。倒壊もありえますし、倒壊しなくともライフラインの途絶によって機能しないもありえます。建物は健在でも内部の機能の損傷が強くて役に立たないもありえます。
高層ビルならエレベーターが動かないだけで半身不随になります。震災の時の水不足でポリタンを当時住んでいた10階まで運んだ事がありますが、運んだだけで精も根も尽きそうになりました。あの時はまだ若かったですが、今の歳なら果たして運べたかはチト疑問なぐらいの重労働です。火事だって運次第としか言い様がありません。起これば消防は期待できませんし、延焼も手の施し様がなくなります。
建物がそこそこ生き抜いて機能を保っても情報の問題があります。被災時には被災地ほど情報が入りにくくなります。中心地にいるほど情報の入手が困難になりやすいです。被災者の安否情報の確保も大変なんですが、政府が機能するためには膨大な情報が必要であり、これを機能的に収集するのが難しくなります。情報の問題は収集だけではなく伝達の問題も同様です。
政府が被災地外で基本的に健在であっても震災救助はある程度の混乱を来たします。ましてや政府自身が被災したら、尚の事の混乱が加わらないとは誰も言え無いと思います。そうなると震災直後の超急性期のサバイバルは首都以外よりも長期化する懸念は十分あると考えられます。ものは考えようで、政府が被災者であるだけにかえって対応が早くなるの期待も無いとは言えませんが、国と言う組織はそこまで反応が軽いとは思いにくいところがあります。
首都震災では被害スケールの桁が首都以外より遥かにデカイのは間違いありませんから、首都以外からの救援と言っても、それこそ国を挙げての体制が必要になるでしょうし、そんな桁外れのスケールを指揮できるのは国しかありません。そんな国を挙げての救援体制は首都以外でも時間がかかりますが、自らが被災しながらどの程度の時間で体制を構築できるかは未知数の部分が多いと感じています。
首都震災の特異さは
- 規模の桁外れの大きさ
- 政府自身が被災者になり、被災地の中心にいる
- 救援規模が国を挙げてのレベルになる