三木の秋祭り

私の故郷の祭りです。どこでもそうですが、地元の人間は地元の祭を一番に置きたがるもので、三木もその例外に漏れませんし、私もまたそうです。地元では播州三大祭のひとつに数えられると胸を張っていますが、そう思っているのはおそらく三木の人間だけでしょう。ただし播州三大祭に入るか入らないかは別にして、田舎にしては盛大な祭りです。三木と言うひなびた町に不相応なぐらい立派な祭りであることだけは間違いありません。

この祭りにも危機が忍び寄ってきています。ご多分に漏れず少子高齢化の影響は深刻になってきています。祭りの基本は播州型布団屋台と言われる、屋根に三段の布団を重ねたような屋台を担いで練るものです。三木のものは必ずしも他の播州地方の屋台と較べて大型と言うわけではありませんが、それでも1トンぐらいはあり、担ぐのに50人程度は必要です。屋台を出すのは旧町内の地区が出すのですが、担ぎ手を見ると年々高齢化が進み、若者が目に見えて減ってきています。

担いで練ると言っても、平地であれば少々高齢化しても可能なんですが、問題は祭りのクライマックスである宮入にあります。宮入りする大宮八幡宮は山の中腹にあり、そこには神社特有の長くて急な石段(85段)があり、そこを担ぎ上げるのが祭りの華であり、三木の男の心意気の見せ所なんです。担ぎ手もそうですし、見るほうもそこに熱狂します。石段の存在が祭りを盛んにしてきたと言えます。

ところで三木と言う町は大工道具を中心とする金物産業で栄えた町です。しかし金物産業は衰え行く一方です。原因は大工が大工道具を使わなくなった事です。のこぎりやカンナ、ノミといった基本道具も電動工具に取って代わられ、一部の名人芸で売る職人に対する高級品を除き、従来主力を成していた普及品の売り上げは減りこそすれ全く増加は期待できず、三木で大手とされていたメーカーは次々と倒産してます。

地場産業の衰えは三木の経済に大打撃を与え、町の活気自体も火の消えたような状態になっています。もう手遅れかもしれませんが、ようやく行政も新たな活路を探し始めています。活路の方向は観光産業の育成です。発展の止まった町は見ようによっては怖ろしく古いものが残っています。高度成長期には見向きもされませんでしたが、今の時代には「レトロ」として逆にもてはやされる可能性があります。

この手法は兵庫県では篠山や出石で成功を収め、どちらも立派な観光都市として多くの観光客を呼び寄せています。これの超大型版が京都、奈良であり、高山なんかも含まれるかもしれません。三木も遅ればせながらもその方向性で動きつつあるようです。

観光立地を目指すのならこれだけ盛んな祭りは貴重な観光資源のはずです。その視点からすれば市をあげて祭りを盛大にする姿勢が不可欠のはずです。ところが昔から三木では行政当局は祭りに怖ろしく冷淡です。何事につけ「規制」、「規制」の姿勢で、まるで厄介事の様に扱い、いっそのこと無くなれば平穏無事で目出度いぐらいのスタンスが昔から変わりません。とくに明石の事故以来締め付けは格段に強くなり、いったい誰のための祭りを目指しているか意図不明の代物に化しています。

祭りのクライマックスは屋台の石段登りなんですが、これを見るのが極端に難しくなっているのです。昔は石段の両脇に見物客が鈴なりに連なり、さらに石段下、石段の上にも立錐の余地も無いぐらいの見物客が埋め尽くしました。宮入の時にはその大勢の見物客の間を屋台が登り、担ぎ手も見物客も一体となって祭りの興奮に酔ったのです。

ところが明石の事故以来の警備の締め付けは、石段の両脇の見物客を締め出し、石段下、石段上からも見物客を追放し、ついには誰も見ることが出来なくなるような異常な体制での宮入と化しています。宮入の石段登りを見ているのは制服の無愛想な警官のみという光景がおかしくないはずがありません。

今年の祭りは例年に無く寂しく感じました。理由は見物の主力である旧町内の人口の減少、近隣の祭礼がどんどん土日に集約されてきた事による人出の分散化などもあげられますが、行政が祭りの一番おもしろいところを消し去る努力も遠因のひとつと考えます。

一体行政は祭りをどうしようと言うのでしょう。行政の究極目標は祭りを消し去る事、もしくは誰一人いない境内に宮入りする祭りが目標とでも言うのでしょうか。明石の事故以来雑踏警備は異常なぐらいの厳戒態勢となっています。参加する人間がどれだけ不便で、興味を削ぐ行為であっても「安全のため」の葵の印籠の前にはすべての人間がひれふさなければならなくなっています。三木の祭りは間違っても祇園祭のようなシャナリシャナリの祭りではありません。男の魂が荒ぶるところが祭りの魅力なんです。「過剰な安全」のためにそれを去勢する事のみが正しい方向性と言い切っていいのでしょうか。

石段脇の参道が危険と言うのなら、締め出すのではなく、そこに安全に見れるようなスペースを作ると言う方向性に何故動かないのでしょうか。石段横に観客席を作ると参道の木を切らなくてはならないと言う議論があるそうです。たしかに立派な木ですから、切る事に素直に賛成できないのはわかります。それなら切れないから作らないのではなく、少々見難くても切らずに作る工夫を考えれば良いじゃないですか。そんな事を一度でも検討した事があるのでしょうか。

もともと石段登りは見難いポイントでしたが、祭りを三木の振興の引き金に考えるのなら、これをなんとか見やすくする工夫を知恵を絞ってなぜ行なわないのでしょう。観客席の設置のために最終的に何本か木を切る必要が生じても、あえて強権的に切ってしまうのも大局的には、将来的には有益であるなら、批判を全身に背負っても断行する行動力が今必要とされています。三木はそれだけ追い詰められているのです。衰えきった三木の再生の可能性はもう祭りぐらいしか残されておらず、最後の可能性さえ懸命に押し潰す市の姿勢にひたすら疑問を感じてしまいました。

それと行政当局と表現しましたが、市と警察でもかなり温度差があると考えています。市の人間は当然のように地元採用が大部分を占め、地元の人間であれば祭りを愛していない人間は少数派だと考えます。一方で実際の規制に当たる警察は兵庫県単位の人事異動で動いてくるだけのよそ者がトップを占めますので、この種類の人間は祭りなど余計な雑踏警備が抱え込むだけの厄介者としか見ていません。警察権力は強大ですが、ここで市が前面に立って動けば様相は変わるはずです。はっきりしたビジョンを持ち、それに信念を持って市が突き進めば警察と言えども無視するわけにはいかないからです。

そんないろんな事を考えながら祭りを見ていましたが、最終的には人材難に尽きろと思います。市長としてそこまで有能な人材は、三木ではかろうじて初代市長の衣巻顕明氏に可能性があっただけで、以後歴代市長は平凡だけが取り得の人材ばかりです。「貧すれば鈍す」の言葉どおり三木を再生するビジョンとプランをもった人材は出てこないでしょうか。このままガチガチ過剰警備至上主義でついに衰退するだけかと思うと、深いため息だけを残して、神戸への帰途についた夜でした。